6 ある男の回想2
エマと顔を合わせなくなってから十日ほどが経った。俺も忙しかったこともあり、そう頻繁に事務棟をウロウロするわけにもいかない。訓練終わりに少し回り道をして経理課の前を通ったり、いつ来てもいいように警ら上がりにエマの好きそうな菓子を買って帰ったりもした。だが相変わらずエマの姿はどこにも見つからなかった。
自分でも滑稽なのはわかっている。今までどれほど好きだと言われても、すべてスルーし、あまつさえ別の男を勧めたりしていたのだ。
俺はエマの好意に甘えていたのだと、今になって気が付いた。あの恋人でもない友人とも呼べない、だがただの上司と部下でもないなんとも曖昧な関係が、すごく心地良かったのだ。その心地良さはエマのあのちょっと寂しそうな表情の上に成り立っているのだという事に、もっと早く気付くべきだった。
「エマ……俺は……」
今さら虫がいいのはわかっている。
だがじっとしていられなくて、サンダース団長の執務室へ向かった。団長ならエマと会っているかもしれない。執務室に着きノックしてドアを開けると、団長のふたりいる副官のひとりトマスが居た。
「お疲れさまです、副団長」
「あぁ、団長はおられるか」
「いえ、今日は合コンだと定時の鐘と同時に飛んで帰られました」
「ハァ?」
ちょっと悔しそうな顔でトマスが続ける。
「ですから、男女複数人で飲んだり食べたりキャッキャウフフと出会いを楽しむアレです」
「いや、合コンくらい知っている」
「なんと、経理課の女性事務官達と合コンなんですよ! 俺も行きたかったのに!」
「ハァ〜?! 経理課?!」
なんで経理課なんだ! まさかエマはいないよな?
「あの男の誘いには絶対乗らないとガードの固いアリッサさんまで、今回は参加するそうなんです。こんなこと前代未聞ですよ!」
「アリッサさんはいい、何人行くんだ!」
「もちろん女性陣全員ですよ。騎士と四対四で。団長はダニエルとジェイクを連れていきました。あとひとりは誰かな? 俺も夜勤じゃなければっ! くぅ!」
トマスが本気で悔しがっている。
いやいやいや、ちょっと待て。団長はアリッサさん目当てだからまだいい。紹介するのがダニエルとジェイクとか、ガチなやつじゃねぇか!
真面目で顔もスッキリと整って頭も回り将来有望な副官のダニエルと、素直で人懐っこく顔もかわいい系なのに剣の腕も立つ「ギャップ萌え! おっきなワンコみたいでカワイイ!」と女性からも人気急上昇中のジェイク。しかも、ふたり共ここしばらく恋人はいない。
団長は本気で良い男を紹介するつもりだ。これはマズイ。ただでさえ俺は見放されそうになっている(いやもう見放されたのか?)のに、優良物件を紹介されちまったらどうなるんだ。
団長は、あとひとりも間違いなく良い男を選んでいるはずだ。かわいがっているエマに、チャラい男なんか紹介するはずがない。誰だよ! 口数は少ないが大人の包容力があるクマさん系のハリーか? それとも『なんで近衛じゃなくて第一にいるんだ?』と言われるほど爽やかイケメン王子様系のスコットか? 他の男を紹介するだなんてそんな、
――エマが誰かのものになってしまうのか?
「おいトマス! どこの店で何時からだ!」
「団長からあまりに自慢されて悔しかったので、そこまで聞いてません」
「クソっ」
定時の鐘から一時間以上経っている。騎士団御用達の店を片っ端から見て回るしかない。
俺は団長の執務室から飛び出した。
◇◇◇◇
どこにも居ねぇ……
騎士団でよく使う居酒屋や飲み屋は全部回ったが、見つからなかった。団長とアリッサさんが高位貴族のためもしかしたら高級店に居る可能性も無くはないが、合コンという特殊な会の性質上ほぼないだろう。
表通りの飲み屋は全滅だ。と、横道に目をやると見覚えのない新しい店が目に入った。こんなところにビストロなんてあったか……昼間の警らでは、看板が置かれていなくて気付かなかったが。
窓からそっと覗くと、団長だ! やっと見つけた!
エマは? 机に突っ伏して気持ち良さそうに寝ている。俺は息を切らせたまま店内に入る。
「なんでこいつにこんなに飲ませてんだよ!」
「やーっと来たな」
「あ、四人目って副団長だったんですね」
団長が俺に水を勧める。
「だいぶ走ったみたいだなー。ここで何軒目だ?」
「十一軒目です! クソっなんでいつもの店じゃねぇんだよ」
「私達が選んだからですわ、ふふっ」
「遅かったですね」
眼鏡をクイッと上げながら言うのはダニエルだ。
「遅いもなにもあるか! 俺は呼ばれてねぇよ」
「あら、私は四人目に副団長が来られると思っておりましたよ。でしょ? 団長」
「最初からそのつもりだったぞ」
「何をっ」
「現に来たじゃねぇか。エマが気になってたんだろ?」
グッと言葉が詰まった。図星すぎて言い返せない。
「エマを……官舎まで連れて帰ります」
「駄目ですよ。今のエマは、副団長と会わせられませんね」
クレアから厳しい言葉を掛けられる。
「エマはすごく傷付いています。また同じ事が繰り返されるのなら会わせません」
「そんなことは……ない、と思う」
「副団長、いい加減素直におなりなさいませ!」
アリッサさんのピシャリとした言葉に、皆がシーンと静まり返った。
「いいですか? エマは、あなたに百回も告白したんです」
「百回も……」
「えぇ、百回です。そして百回振られ続けたのです。いつも笑ってはいましたが、振られる度に彼女の心には小さな傷が付いていったのです」
「そんな……」
「そしてその傷がどんどん大きくなり、彼女の心はポッキリと折れてしまいました。好意がないと言うなら、なんであんなに構ったんですか? 変な期待など持たせず、他のご令嬢達のように塩対応なさればよろしかったのに」
「……」
「エマは自分の心を守るために、あなたから離れる事を決めたのです。好きだった心を封印し、元の仕事だけの関係に戻ろうと。もし今後も彼女の気持ちに応える気がないのであれば、このまま放っておいてくださいませ。中途半端に構う事が一番酷ですわ。どうぞお構いなく! 私達が責任を持って支えますわ」
アリッサさんにしては珍しく強い言葉だった。俺は目が覚める思いがした。
「今度こそ間違わない! 俺に彼女を任せてくれないか?」
「信じていいんですわね?」
「あぁ、皆もすまなかった」
「それはエマに言ってください」
クレアはどこまでも辛辣である。
パンっと大きな手を一つ叩くと、団長が
「ほら、俺達は仕切り直しだ。お前はエマを連れてとっとと帰れ」
と俺を追い立てた。
◇◇◇◇
「よおーし! 収まるところに収まった祝いに、乾杯するぞ!」
本日何度目かになる乾杯をし、再び盛り上がり始めた。
「ふふっ団長、ありがとうございました」
「いやなに、俺もあのふたりのことは気になってたからな。イーサンはあれだけエマちゃんをかわいがっておいて自分の気持ちは自覚してねぇし、あとはきっかけさえあればよかったんだ」
「そのきっかけを上手く作ってくださったのは団長です。さすがですわ」
「おっ、やっと俺の格好良さに気が付いたのか?」
「いいえ?」
「なんだ……違うのか」
大きな体を丸めシュンとする団長。
「惚れ直しましたわ」
「ほっ、惚れっ? へっ?」
「団長の胸板も凄い」
「コラッ、ステラちゃん酔い過ぎだ! えっ、さっきのは、アリッサさん?」
「うふふっ」
真顔で団長の胸板をペタペタ触るステラと、アリッサの言葉に慌てる団長。それを見てにっこり微笑むアリッサさん。何度も乾杯をしながら、帰った二人の話で盛り上がる残りの面々。
なんだか楽しい酔っぱらい達の夜はふけていくのであった。