5 ある男の回想1
「副団長、本当に好きでした」
「もういいって。何度も言わせるな、他の男を探せ」
「そうですね……ありがとう、ございました。失礼します」
エマは俺から書類を受け取ると、ペコリと頭を下げて執務室を出て行ってしまった。
「は? おいっ」
出ていく瞬間、なんだか泣きそうな声とくしゃりと笑った顔が気になった。すぐに追いかけようかと立ち上がったが、もうすぐ昼休みだ。あとで食堂で会うだろうし、その時に聞いてみよう。なにより今は俺も冷静ではないと思い直した。
今日は早朝から王都に入り込んだ盗賊団の捕物があり、その際賊のひとりを取り逃すという失態を冒した。すぐに追いかけ事なきを得たが、段取りの指示を誤った自分が不甲斐なくイライラとしてしまったのだ。
エマはたまたま仕事で執務室を訪ねてきて、俺を気付かう言葉を掛けてくれた。なのにあんなふうに冷たく突き放してしまったのだ。はっきり言ってただの八つ当たり、俺は最低だ。昼休みまでに少し頭を冷やそう。そう思い、昼を知らせる鐘が鳴って少ししてから執務室を出た。
食堂に入って周りを見渡すが、エマの姿はなかった。少しして団長も来たので『あいつ、今日は来ませんね』と言うと、『ん〜? まあ来たくない日だってあるさ』と意味深な返事が返ってきた。
仕方がない、明日会った時にでも話そう。
――と、あの時は思っていた。
何故だ。あれから四日も経つが、エマとは一度も遭遇していない。いつもなら書類仕事はエマが持ってきていたし、書類がない時でも食堂に行けば『副団長〜』とニコニコしながら駆け寄ってきていたのに。
執務室にも食堂にも来ない。こんなに会わなかったのは、出会ってから初めてかもしれない。昨日も経理課から書類を持ってきたのは男性の事務官だった。エマは休みかと問えば、いつも通り朝から出勤していると言う。
そうだ、昨日の書類を自分で経理課まで持って行くかと思い立った。エマの様子も気になるし、あの八つ当たりの事も謝りたい。事務棟へ行き経理課を覗いてみると、少々バタついた雰囲気だった。ここにもエマの姿はない。そこにいた女性、確かクレアと言ったか彼女が対応してくれた。
「エマは他部署へおつかいに出ております」
「そうか……わかった。また来る」
エマに会えなかったので、書類はクレアに渡した。なんとなく、笑顔なのに彼女の目が笑っていない気がした。
まさか、こんなに会えなくなるなんて……あの最後に執務室で会った時、すぐに追いかければよかったと後悔が湧いてくる。今までは何もしなくても偶然会えるものだと思っていた。だが、そんなものは己の思い上がりだったと痛感する。
何もしなくても偶然会えるんじゃない、エマがわざわざ会いに来てくれていたから会えていたんだ。
最後に会った時のエマのくしゃりと笑った顔が浮かんでくる。近頃は告白を受け流す時に『他の男を』と言うと、『副団長がいいんです』と笑って言いながらも、わずかに悲しげな表情を浮かべる事に気付いていた。
あの時はどうだっただろうか。たしか『そうですね』と言わなかったか……何故だ? いつもなら否定するのに!
あぁ、しかも『好きでした』とも言われた気がする。『好きです』ではなく『好きでした』だ。またいつもの掛け合いだと思ってサラッと流してしまったが、何故俺はあの時に気付かなかったのか。
ジワジワと焦りがにじみ出る。エマに会うためには、こちらから行かなければ会えないんだ。
それからは仕事の合間を縫って、経理課やエマの居そうな場所を目で探すようになった。
◇◇◇◇
最初、エマとはただの副団長と事務官という関係だった。ある日ほんの気まぐれに、机の上にあった貰い物のチョコレートを彼女に勧めた。ちょっと驚いたような顔をした後、嬉しそうにチョコレートを頬張る姿が印象に残った。
それからもクッキーや飴などを勧めると、小動物のようにモグモグと食べる姿が面白くて、俺自身貰い物を摘む程度だったのがいつの間にかエマに『餌付け』するために、わざわざ出先で買うようになっていた。
エマから突然告白されたときは驚いたが、しかしどうせすぐに飽きるだろうと思い『勘違いだろう』と答えた。訓練場でキャーキャー騒ぐ令嬢達もそうだからだ。俺達第一騎士団の訓練を見に来たくせに、そこに近衛の白い騎士服姿が通り掛かると、すぐにそちらへキャーキャーと寄っていく。
近衛は王族の警護という職柄、高位貴族出身者がほとんどだ。貴族出身よりも叩き上げの平民の方が多いむさ苦しい第一騎士団など、所詮その程度なのだ。
俺自身も誇れるような由緒もない男爵家の三男だ。大した家柄でもない上に爵位を継ぐのは長兄だ。
エマは子爵家の令嬢だと聞いている。どうせまたあの令嬢達と同じだろうといつものように告白をスルーしていたが、意外にもそれは半年も続いた。
単純にエマとの掛け合いが楽しかった。エマが告白をしたら俺がそれを軽く流す。いつもそういうお約束。どんなに流しても『副団長がいいんです』と言ってくれた。そう、言ってくれていたのに。こんなことになるまで気付かなかったなんて、俺は本当に馬鹿野郎だ。