第90話 探り当てる(1)
二限目を終えて大講義室を後にする。ランチをどこで食べようかと考えながら第一講義棟を出た。
強い日差しに晒された。吹く風が生暖かい。ダボダボのTシャツ一枚とクール系のボディーソープのおかげで汗は感じない。念の為に香水の力も借りていた。それでも心配は尽きず、自ずと歩く足が速くなる。
「拓光さん、ランチですか」
横手から撫子が笑顔で話し掛けてきた。水色の半袖ブラウスに白いロングスカートが爽やかで人物とよく合っていた。
「そうです。撫子さんも?」
「はい、今月は少し切り詰めたいと思うので、『ガツ盛り飯店』に行こうかと思いまして」
しおらしく言うと、こちらを窺うような目をした。
「安くて美味しい店でしたよね。僕も一緒に行っていいですか?」
「もちろんです」
撫子は満面の笑みで答えた。
二人揃って北門を出て入り組んだ住宅街の道をゆく。
建ち並ぶ民家の先の角地に以前と変わらない状態で店はあった。引き戸のガラス部分から中を見るとカウンター席はそこそこの客で埋まっていた。一様に背中を見せた状態で忙しく手を動かす。
空いているところを探していると左端の人物に目がいった。
栗色のソバージュを後ろに纏めて結んでいる。着ていたノースリーブワンピースはピンク色。周囲と馴染めず、異質な感じがした。
撫子も同じような気分なのだろう。同じ人物を見ていた。
先に僕が話し掛ける。
「やっぱり気になります?」
「そうですね。ちょうど右隣が空いているので座ってみましょう」
引き戸を開けて店内に入る。
撫子は気になる人物の右横に付けた。続いて僕がカウンター席に座って覗き込むようにして左を見た。
視線に気付いた美知は食べる手を止めた。
「珍しい組み合わせですねー」
「そうでしょうか」
以前の美知の言葉を思い出し、僕も話に加わった。
「美知と店の組み合わせの方が珍しいというか。確か、前は可愛くないとかで、とても来るような感じじゃなかったと思うんだけど」
「あー、そうですねー。そんなことも言ってましたねぇ。食わず嫌いもなんなので試してみたらぁ、病み付きになっていましたねー」
美知はレンゲを手に取り、中華丼の端を掬って一口にした。微笑みながら口を動かし、卵スープの器を持ち上げて飲み干した。
あまりに美味しそうに食べるので僕と撫子は早口で定食を注文した。
「でも、あれですよねー。泉先輩がこんなデカ盛りのところにくるなんて、思いもしませんでしたー」
「そうですか? ここの一食は普通の二食に相当するので、家計に優しくてよく利用しています」
「ちょっと失礼しますねー」
美知は脈絡なく、撫子の胸を掴んだ。軽く揉んですぐに手を離す。断りを入れたとは言え、突然の行為に見咎めるような目になった。
「急になんてことするんだよ」
「悪意ではないですよー。前々から気になっていたんだよねぇ。泉先輩はー」
美知は撫子の耳に口を近づけて、男ですよね、と小声で言った。
「どうして、そのように思うのですか」
「胸を握られた時にぃ、すぐに反応しなかったじゃないですかー。触った感じでは、それってパッドですよね?」
「少し大きさにコンプレックスを持っているので使っています」
撫子は冷静に返した。
想定の範囲なのか。美知は視線を下に向ける。
「ロングスカートが多いですよねぇ。パンツルックは嫌いなのですかー」
「そんなことはありませんよ。今日はロングスカートですが」
失礼な質問が続く。黙っていられなくなった僕は口を挟んだ。
「撫子という名前から性別がわかるじゃないか」
「そうですかねぇ。家裁で名前の変更ができるって聞いたことがありますよー。もちろん理由は必要ですぅ。例えばですがー、トランスジェンダーなどがありますねー」
「わかりました。食べたあとにお話しします」
揺るぎない声で言った。
三人共、今日の講義は四限目以降とあって撫子のアパートに移動した。
各々が座布団に座るのを待って撫子が口を開いた。
「城山さんの言う通りです」
「トランスジェンダーを理由にして、家裁で名前を変えたんですねー?」
「そうです。元の名前は雅之と言います。これで納得していただけたでしょうか」
撫子から笑みが消えた。やや厳しい目で美知を見つめる。
「事情はわかりましたー。だけどぉ、その状態で本当に拓光君のことが好きって言えるのかなぁ。どちらかと言えばー、木下先輩の方に気があるのではー?」
「今はそのような気持ちはありません。拓光さんの優しさに触れて、私は本当に好きになりました」
撫子の顔に微笑みが戻る。僕を見る目には慈愛が溢れていた。
「そのようですねぇ。あとこれは個人的な興味になると思うのですがー、男性の部分を見せて貰えませんかー」
「ここで、ですか?」
「わたしは泉先輩と同じ女性ですぅ。だから恥ずかしくないと思いますよー」
「拓光さんがいますし」
赤らめた顔で僕を見る。
美知は立ち上がると近くの襖を開けた。
「拓光君なら入れそうですねー」
「わかったよ」
重い腰を上げて押し入れに入る。美知はにんまり笑って襖を閉めた。
「これで大丈夫ですよー」
「まだ手術は受けていないので」
「なるほどー、こんな感じなのですねぇ」
声だけが聞こえる。もう出てもいいのでは、と襖に手をやる。
「見るだけでは悪いのでぇ、わたしも見せますねー。胸はこんな感じですよー」
「大きいですね。私の理想に近い形で羨ましいです」
「見慣れているので、そうは思わないのですがー。同性であってもじっくり見る機会は少ないと思うのでぇ、下の方も見てみますかー?」
僕は襖から手を離した。生唾を呑む音がやけに大きく聞こえる。知らない間に聴力が増しているようだった。
「どうですかー」
「綺麗な形をしていると思います。毛は意外と薄いのですね。あと色もくすんでなくて、少し想像と違いました」
「黒アワビではないですよぉ。例えますとー、赤貝ですねー」
この会話は僕の想像通りなのだろうか。美知のことなので見えない僕をからかって遊んでいるように思える。撫子の言葉にしても言わされているような感じがする。
興奮は瞬く間に怒りに変わった。襖に掌を押し当てた状態で横に動かす。できた隙間に指を入れて勢いよく開けた。
美知の背中が見えた。何も着ていない。 М字開脚をしているようなポーズでこちらに顔を向けた。
「拓光君のエッチー」
「ご、ごめんなさい!」
押し入れに引っ込んだ僕は慌てて襖を閉めた。
二人の声を聞くのが怖くて両手で耳を塞いだ。その状態でじっとしていると勝手に襖が開いた。
「もう大丈夫ですよー」
美知の笑顔を見て僕は力が抜けた。四つん這いの状態で這い出し、大きな溜息を吐いた。




