第81話 アップデート(2)
『こんばんは、隣に座っていいですか?』
『こんばんは。拓光さん、どうぞ』
その遣り取りを経てCキーで青いアバターをベンチに座らせた。わくわくした気持ちが抑えられなくて会話入力欄に文字を打ち込んだ。
『今回のアップデートには驚きました。アバターに服を着せるだけで、ここまで自分を投影するとは思いませんでした』
『喜んでいただけて嬉しいです。あと木下さんの頑張りのおかげです。その木下さんから拓光さんに言伝があります』
『どのような内容ですか?』
『それなのですが、「菅原様、度々の失言、申し訳ありませんでした。心から猛省しておりますので平にご容赦ください」だそうです』
綾芽の言動によるのだろう。先輩と後輩の立場が完全に逆転していた。撫子は未だに隆志の姉が綾芽で、反社組織と呼ばれる代表と知らなかった。知らないでいる現状が一番、安定しているように思えた。
『キャンパスで偶然に会った時のことを謝っているのだと思います。根が真面目みたいなので表現が少々おおげさではありますが』
『なにか思い詰めた顔をしていたので少し心配になりました』
『今度、木下先輩に会った時に僕から「過剰に自分を追い詰めないでください」と話しておきます』
綾芽の誠意とわかっていても、あまり実弟を追い詰めるのもよくない。メインプログラマーなのでサークル活動に悪影響を及ぼす。こちらには実害がないので、一度、綾芽とは真剣に向き合う必要があるだろう。
『そうしてくれると助かります。それと今回のアップデートに間に合いませんでしたがSEを入れる予定にしています』
『サウンドエフェクトですか?』
『そうです。現実で雨が降っていれば、プログラムの判断でその音を流します。風が強い時もそうです。早朝はスズメの鳴き声をランダムで流し、晴れた昼日中はハトも考えています』
『想像するだけで楽しくなりますね。そこまでリアルに寄せるなら、アバターの顔や肉声なんかも取り入れてみてはどうでしょう』
僕のような体質にとっては大いに助かる。そうはいないと思うけれど。
『顔や肉声は拒絶反応が凄くて実装を諦めました』
『そうなのですか? 現実に限りなく近いリアルを手軽に体感できる。そうなれば一定の需要が見込めると思ったのですが』
『独自に取ったアンケート結果になるのですが、コミュニケーションが苦手な方は顔や声にコンプレックスを持っている方が多いようです』
とても頷ける回答だった。
リアルに寄せるほど、会話のハードルが上がる。その高さを乗り越えられるのであれば、そもそもツールに頼る必要がない。
『よくわかりました。アバターの動作が個人限定なのも頷けます』
『どういう意味でしょうか? 要望があるのでしたら、はっきり言ってくださると今後のアップデートがはかどります』
撫子の一文を見た僕は仰け反った。余計な一言を早々と後悔した。美知に感化された訳ではないが、つい指が文字を打ち込んでしまった。
気を取り直して会話入力欄と向き合う。
『ここにくる前に美知に会いました。その時の話題が頭に過ってしまいました。他愛無い話なので忘れてください』
『とても気になります。教えてくれませんか? 私では気付けないことかもしれないので』
その認識は正しい。アバターを使って疑似セックスなど、絶対に撫子では思いつかない。僕も同じで美知ならではの発想と言える。
それを教えて欲しいと請われても困る。上品は無理としても下劣にならないように心掛けて指を動かした。
『二人一組でする組体操のような動作を電脳世界で再現できないのかなと』
『あの城山さんがそのような話をされたのですか? コンプレックスとの関連性が見出せないのですが』
優しく語り掛けるような言葉が僕をますます追い込む。話の流れがおかしいことはわかっている。その部分をやんわり指摘されると身悶えような息苦しさを覚えた。
『仲よくなった二人がすることを電脳世界でも、できないのかという願望に基づく内容です』
『キスのようなことですか?』
『そこから発展した四十八手です』
そこで文章が止まった。文字での沈黙の圧力が凄まじい。居心地の悪さがダイレクトに伝わってイスに座り直した。
『エッチですね』
『そうですね』
『実装はしないと思います』
『そうですね』
短い遣り取りが続く。僕は心を空っぽにしてキーを打つ。
『続きは現実で』
その一言でピンクのアバターは光に包まれた。
夜のキャンパスのベンチに青いアバターがぽつんと座る。現実の時間を見ると午後十時半を過ぎていた。
画面を見ていた僕は長い溜め息を吐いた。撫子が最後に入れた一文が頭から離れない。
議論の続きは現実で、という意味なのか。
それとも現実でエッチなことを――。
悶々とした夜の始まりとなった。




