第79話 二人とデート(3)
僕はイスに座って二人の動きを目で追い掛ける。楽しそうにする姿は見ていて飽きがこない。
幸子と結愛は室内を一通り見て回ると洗面台へ向かった。講師役を買って出た幸子は結愛に洗顔の大切さを語たる。
「化粧のノリは洗顔で決まるんや。血行を良くする目的もあるんで、ぬるま湯がええな」
「ここにある石鹸を使えばいいんだよね」
結愛は丸い緑色の石鹸に目をやる。蛇口の下に手を入れると自動で水が出た。温度調整をしたあと、石鹸を濡らして掌に擦り付けた。その両手を顔に持っていこうとした矢先、幸子が止めた。
「まだや。泡が少ないわ。洗顔は掌で擦るんとちゃうねん。泡で洗うようなイメージでやらな肌に悪いで」
「そうなんだ。じゃあ、もっと泡立てないと」
聞き分けのいい生徒となって顔を洗う。
「それくらいでええやろ」
幸子の声に従い、両手に湯を溜めて顔に掛ける。泡が残っていると、ここや、と指で触れて伝えた。
用意されていたタオルで水気を取ると、結愛はさっぱりした様子で自分の頬を指で押した。
「突っ張った感じがしない」
「洗顔専用の石鹸やからな。ここからが本番や。メイクスペースに移動するで」
「はい、幸子先生」
「やめーや。そんな柄とちゃうわ」
ほのぼのとした遣り取りが微笑ましい。
結愛をイスに座らせると幸子は小瓶を手に取った。
「洗顔のあとはすぐに肌に潤いを与えなあかん。用意されたコットンにたっぷりと化粧水を含ませて顔全体を叩くようにやるんや」
「わかった。やってみる」
早速、行動に移す。結愛の手付きを見ながら、そうや、と幸子は横手から言った。
「終わったら乳液や。これで潤いを閉じ込める。掌に垂らして全体に馴染ませていくんや」
「これは叩かないんだね」
「その通りや。あんま擦らんようにな」
「肌に悪いからね」
結愛に先手を打たれた幸子は笑って、よーわかっとるやん、と気さくに返す。
数分で終わると幸子は他の小瓶を見比べる。
「これで土台は整った。あとはどんなメイクがええかで使うもんが変わってくる。なんか希望はあるんか?」
「少しニキビが気になるから自然な白さにしたいかな」
「わかった。ホンマは紫外線対策もした方がええんやけど、ここは時間制やからな。延長料金を避ける意味でファンデにするわ。自然な感じがええなら、パウダーやなくてリキッドタイプやろな」
幸子は小瓶を結愛に手渡す。
「コットンでもええし、手で塗ってもええで」
結愛は手で塗ることを選んだ。購入した時、コットン代が浮くからと溌溂とした顔で言った。
その後は細かい技術の話となった。アイラインの引き方や鼻を高く見せる方法など、結愛は熱心に聞き入った。合間に質問をされると幸子は面倒がらずに丁寧に教えた。
「あとは努力と研究やな。小瓶の役割も全て教えたんやから自分で好きなようにやってみたらええわ」
「わかりました、幸子先生」
「それ、やめーや。次は先輩やな」
いきなり話を振られて、え、と声が出た。
「まさか化粧じゃないよね?」
「そのまさかや。中性的な顔を見てたら、試してみたくなるやないか」
「あたしも見てみたい。ね、やろうよ」
「こんなんでも男なんだけど……」
「ごちゃごちゃとうるさいねん! なんもせんかったら、金がもったいないやろが! どつきまわすぞ!」
幸子が牙を剥く。覗いた犬歯は獰猛な野犬を思わせた。対抗する手段を持たない僕は黙って頷くしかなかった。
結愛にしたように洗顔から始まった。終わるとメイクスペースに連れて行かれ、指示に従ってされるがままとなった。
「可愛い系の方が似合うんやないかな。それやったら、こっちのシャドウがええやろ。目はそうやな、もう少し大きく見える方がええか」
瞼を閉じた僕に幸子の声が降ってくる。くすぐったいような感覚が顔を通して伝わる。上体が動くと、止まっとけ! と怒鳴られた。
「結愛、似合いそうな服を持ってきて貰えるか」
「可愛いチュニックがあったから、それにしよう」
「ウィッグはセミロングで頼むわ」
「わかった」
僕は等身大の着せ替え人形になった。
「もう目を開けてもええで」
「どんな感じに」
幸子が鏡を塞ぐ形で立っていた。
「あの、見えないんだけど」
「まだ見んな。全て終わってからや。着替えに入るで」
幸子はシャツのボタンを外しに掛かる。されるがままになっていると、アカン、という声が聞こえた。
「ヘンな気分に、なるわ。先輩、悪いんやけど、向こうで、自分で着替えてや」
「そうするよ」
シャツの胸元を開けたことで香水の効果が強まったのだろう。僕は急いで結愛の元に行く。薄紅色のチュニックを受け取ると、隅の方で着替えた。
「これも」
結愛は目を背けるようにして白いスカートを手渡す。かなりの抵抗を感じたものの思い切って穿き替えた。
「これで、いいかな」
「あとはウィッグや」
用心しながら幸子が近づく。結愛が手にしたウィッグを受け取ると僕に被せた。細かく位置を修正して最後はブラッシングで髪を馴染ませた。
「これでええな」
「鏡で見てみなよ」
幸子と結愛に勧められて鏡の前に立った。
円らな瞳の美少女がこちらを不思議そうに見ている。それが僕であると認識するのに数秒の時間が掛かった。
「どや、びっくりやろ。めっちゃ可愛いやん。ウチの妹にしたいくらいや」
「もう、拓光ちゃんが愛らしくて、表情を抑えるのが大変だったよ。マジ天使すぎてハートがきゅるきゅるする」
「時間がないわ。今のうちに写真を撮らな」
「あたしはスマホの待ち受けにする」
「え、この姿を撮るの!?」
半ば興奮状態の二人に道理は通用しなかった。何枚も撮られた。ポーズまで要求された。それに従う僕もどうかと思う。魔が差して自分の姿をスマホに収めた。
そんなこんなで最後は大慌てで店を出た。ギリギリで延長料金を取られないで済んだ。
僕を中心にして通りを並んで歩く。
結愛は笑顔で伸びをした。
「こんなにメイクが楽しいなんて思わなかったなぁ」
「せやろ。結愛は元々が可愛いんやから、もっと自信を持たな」
「そうかな。でも、拓光ちゃんの可愛さには負けるよ」
「それはウチも認めるわ」
服装は元通り。ただし、顔のメイクを落とす時間はなかった。恥ずかしい気持ちで一杯になる。
「拓光ちゃん、顔が赤いよ」
「このメイクで、外を歩くのは……勇気がいるんだよ」
「パンツルックのかわい子ちゃんやないか。なんも問題ないやろ」
「シャツのボタンが右なんだけど」
「気にすんなや。今時はデザインが良ければ女でも右ボタンを着たりするわ」
幸子は豪快に笑った。ただの白い長袖シャツにデザインの良さを追求するのは酷である。
急に静かになった結愛が気になり、横目となった。歩きながらスマホの画面を見つめている。
「この待ち受けは宝物だね」
「飽きたら消していいから」
「そんなことしないよ」
「ウチも大切にするわ」
幸子と結愛は目を合わせて満足そうに微笑んだ。
その後、天使の画像は僕の彼女達の間で大流行となった。
響輝にも伝わった。その経緯はわからない。キャンパス内を歩いていた僕に話を切り出した。
「あの天使の彼女が、この大学の学生って言うのは本当なのか」
「なんで僕に訊くんだよ」
「拓光なら知ってるって。教えてくれ。一目惚れなんだよ」
「確かにこの大学の学生だよ」
「マジか! 本当にありがとな!」
興奮した響輝は早々と走り出す。視界に入る全ての女性に目を向けて、間もなく見えなくなった。
「見つからないと思うけど」
僕は生欠伸をして第三講義棟へと歩いていった。




