第73話 騒々しい十三階段(3)
誰よりも早く、部屋に飛び込む。ベッドを見た瞬間、全身から力が抜けた。十三階段の最後の一段は上がらずに済んだ。
杏寿は用意した座布団に正座をしていた。胸は露出させていない。騒々しい声を聞いて態度を改めたのだろう。
「アンタ、誰よ?」
不機嫌な声で要が言った。
「そちらこそ、誰なんだ」
「拓光の幼馴染で彼女なんだけど」
「私も彼女だ」
ルチルは腕組みした状態で要の半歩前に出た。
「はあ? 彼女が二人もいるはずがない」
「わたしも拓光君の彼女ですよー」
美知が更に話をややこしくする。
「あとー、どうしてノーブラなんですかー」
「それは、締め付けるものが嫌いだからだ」
「その胸の大きさでは詭弁としか言いようがない。ちなみに私も彼女だ」
綾芽は大人の雰囲気を纏わせて不敵な笑みを浮かべる。
「どうなってるんだ!? まさか、そこの女もそうなのか」
杏寿は撫子に向かって言った。
「そうです。私も拓光さんの彼女になります」
「加納先輩もきたんっすか」
結愛は困ったような顔になる。すかさずルチルが言った。
「知り合いなのか?」
「まあ、同じ学校のОGで、その、菅原先輩の住所を教えたのは、あたしなんで」
「何故、教えた?」
穏やかな口調で綾芽は迫る。底冷えするような眼光に結愛は首を竦めた。
「凄い頼み込まれて、それで断れなくなったっす」
「どうしてー、そんなに拓光君の住所が知りたかったのかなぁ」
美知は近づき、にこやかな顔で杏寿を見下ろす。
「後輩の幸子が三人相手にやられて、それで一緒に報復することになって」
そこまで話すと杏寿は僕の方を見た。何となく察して言葉を引き継ぐことにした。
「僕のところに来たんだけど、誤解とわかって大事にはならなかったんだよ。それで今日は改めて謝りにきたんですよね」
「そうです。あの時はごめんなさい」
二度目の謝罪を受け入れて、どうにか辻褄を合わせた。不審に思う者はいないだろう。
その時、美知が笑顔で、ああー、と何かを思い出したような声を出した。
「三白眼のあの子ですねー。わたしにゲロ吐かせるとか言ってぇ、自分で吐きそうになった可哀そうな人でしたねー」
「おまえが『最強ビッチ』か」
「わたしは普通でぇ、あの子が弱いだけですよー」
穏便に済む流れがのんびりした口調で崩された。不穏な空気が漂い始める。
「幸子は弱くない。それに腹を殴ったのか」
「見よう見まねでやってみましたぁ。こんな感じですかねぇ」
桃色のドレス姿で、ふんわりしたボディーアッパーを披露した。一回では終わらず、ゲロゲロぱーんちぃ、とふざけた調子で言った。腰の入らないパンチを何度も見せつける。
杏寿は怒りに任せて立ち上がる。即座に拳を握った。
「ボクシングを舐めるな!」
「おまえだろ、舐めてんのは」
恐れを知らない美知は踏み込み、鋭く腰を回してショートフックを放つ。杏寿の顎先を掠めると、たちまち膝が揺れ始める。踏ん張れず、後ろにペタンと倒れた。
「ルチル!」
「わかっている!」
指名されたルチルは座卓を踏み台にして杏寿の首を両脚で挟んだ。右腕は胸に抱え込み、三角締めの体勢に入った。
見ていた綾芽は感心したように頷く。
「良いコンビネーションだ」
「遣り過ぎないようにしてくださいね」
仲裁に入ると思われた撫子はやんわりと声を掛ける。その横で結愛は代弁するように怒りを露わにした。
「幸子だけでも腹が立つのに、ボクシング経験者の加納先輩を連れていくなんて、本当に許せないっす」
「わたしもムッとしたからねー」
美知は身動きが取れない杏寿に冷ややかな視線を向けた。
「抜け出せないですよねー。これからどうしてあげましょうか」
「このまま締め落とすのはつまらない。腕を捻って脱臼くらいさせるか」
「ま、待って。それは、やめて。ボクシング、本気だから……お願い……」
涙ぐむ声に僕は黙っていられなくなった。
「そこまでにしてくれないかな」
「いいんですかー。このくらいで。下手をしたらー、大怪我をさせられるところだったんですよー?」
「それは、そうかもしれないけど。あまり酷いことをされると、僕が二人を許せなくなる」
「それは困る。仕方がない。これで勘弁してやろう」
「わたしもヒグマさんと同じでー」
美知は座布団にふわりと座る。
「誰がヒグマだ」
技を解いたルチルはその隣に落ち着いた。
解放された杏寿はゆっくりと上体を起こす。軽く頭を振って顎先に手を当てた。
「驚異の二人っす」
「スカウトしたいところだ」
綾芽の一言が本気に思えて何気に恐ろしい。
最後の差布団には撫子が座った。僕は机の椅子で代用した。
静かになったところで要は杏寿に目を向ける。
「謝りにきたのはわかるんだけど、それだけなのか? 拓光に特別な想いを抱いてはいないんだよな」
「それは……少しは」
「なにかあるのかなー」
美知は口元で薄っすらと笑い、目で怒る。ルチルは両手の指を組み合わせた状態で頻りに手首を回す。
「……胸を揉まれるのが、とても気持ちがよくて。それで今日はノーブラで」
「はいー?」
美知は僕の方に顔を向けた。口角が不自然に上がって怖い笑顔を作った。
「あれだよ。報復にきた時に、僕がタックルを仕掛けて、その時に胸を掴んだ感じになってね」
「揉まれて気持ちよくなるのと、ニュアンスが違い過ぎるだろ。なんならあたしが本当のタックルをしてやろうか」
要は両肩をグルグルと回す。綾芽は楽しそうに笑って見ていた。
話が進まないと踏んだのか。撫子が杏寿に問い掛ける。
「それで加納さんは、拓光さんとどのような関係を望むのですか」
「それは、なんと言えばいいのか。気持ちよくなれる関係、みたいな?」
「そうなるとセフレですかねぇ」
美知は小首を傾げた。
「できれば彼女みたいな感じでも」
「加納先輩まで彼女っすか」
不満げな顔で結愛はちらりと僕を見た。
「それはどうだろう。プロボクサーを目指している訳だし」
望んでいるようなので軽い否定の言葉を口にした。
「両立させれば問題ないと思います。ダメですか?」
「ダメというか、それでいいの?」
「拓光さんが良ければ、お願いします。こう見えて料理や裁縫が得意なんですよ」
「そうなんですか。今から手料理が楽しみ、というのはひとまず置いといて」
女性陣の視線が微妙に刺々しい。即決は控えて少し考えてみる。集中する為に瞼を閉じると、杏寿が丸い膨らみを晒した姿が思い浮かぶ。
それとなく股間に手を置いて答えた。
「それじゃあ、彼女で」
「ありがとう。これからも気持ちよくさせてね」
「また彼女かよ」
要は後ろに両手を突いて天を仰ぐ。
「どれだけ彼女が増えようと関係ない。勝ち残ればいいだけだ」
前向きなルチルは、中出しだな、と言葉を付け加えた。
「ヒグマさんが盛ってるぅ」
「うるさい! 孕んだら勝ちなんだよ!」
「シンプルでいいな」
綾芽が話に乗っかる。
「それは少し困ります」
「そうっすよ。最後は愛情がものをいうっす」
結愛は撫子の肩を持つ。意味合いが少し違うようにも思えるが流した。
今日も無事に乗り切った、と言えるのだろうか。取り敢えず、あるだけのジュースや菓子で持て成すことにした。




