第72話 騒々しい十三階段(2)
階下に降りると母と鉢合わせになった。どうやらチャイムに反応して出ようとしていたらしい。
「あの、僕が出るから」
「いいけど」
母は廊下に立ったまま待機の姿勢を見せた。ごまかしようのない窮地に立たされた。急かすように再びチャイムが鳴る。
「出ないなら私が」
「大丈夫だから。ちゃんと僕が出るよ」
足早に向かって玄関ドアを開けた。身を寄せ合うようにして立つ六人がいた。いきり立った要が大きな一歩を踏み込んだ。
「なんだよ、これは。あたしだけじゃないのかよ」
返答に迷っている僕に代わって母が言った。
「もしかして要ちゃん?」
「お久しぶりです」
「やっぱり、そうなのね。小学生の時とはまるで違うからびっくりした。すっかりお嬢さんね」
「それほどでも。服の力もあると思います」
要は白いワンピースのスカートを揺らして言った。
「あら、あなたはこの間の」
「先日は大変、失礼しました。これはお詫びの品ではないのですが、受け取ってください」
綾芽は紙袋を母に手渡した。
「これは?」
「時期が早くて小ぶりになりますが黒アワビです。刺身や炒め物でお召し上がりください」
「こんな高価な物を本当にいいんですか?」
「それだけの無礼を働いたので」
綾芽は殊勝な態度で軽く頭を下げた。質素なスーツ姿にも謝罪の意味が含まれているように思えた。
その遣り取りを見ていたルチルが分厚い長財布を取り出す。隣にいた美知が止めるように手を掴んだ。
「美知、手を離せ」
「対抗する気持ちはわからないでもないんだけどぉ、現金はダメだよー。ちなみにいくら出すつもり?」
「帯留めだ。少ないなら持って来させる」
「家に来ただけでぇ、そんなことする人はいないよー」
揉める二人を余所に結愛は呆然となった。
「……住む世界が異次元くらい違う」
相当なショックを受けながら目を左右に動かす。
ルチルは黒のゴシックロリータ。頭には蝶を模した青い髪留めを付けていた。
美知は桃色のドレスでスカートがふんわりと膨らみ、舞踏会に向かうお姫様のような姿をしていた。
結愛は緑を基調にした横縞のサマーセーターに白いショートパンツを合わせていた。二人と見比べるような動作のあと、長い溜め息を吐いた。
「あの二人と比べてはいけません」
撫子は水色のブラウスに青いジーンズ姿で微笑む。
黒アワビの衝撃から抜け出した母は僕に目を向けた。
「女性ばかりだけど、どういう関係の方々なの?」
口を開き掛けた要に綾芽の鋭い視線が飛んだ。他の者にも同様の視線を注ぐ。
少し考える間のあと、要が言った。
「仲よくさせて貰ってます」
「大学で知り合いましたー。ルチルもそうだよねぇ」
「まあ、そうだ」
「私は大学のサークルの代表で菅原さんはサークル員です」
「出資者として私も参加している」
撫子の言葉を引き継ぐように綾芽が言った。
最後に残された結愛は、菅原先輩の後輩です、と小さな声で一礼した。
「上がって貰いなさい」
母は紙袋を覗き込むようにしてキッチンにいそいそと向かう。
「そういうことだから、どうぞ」
「それはいいんだけど、この人数はなんだよ」
納得のいかない要が周囲を見回す。
「偶然が重なっただけだよ。僕が呼び出した訳ではないし」
「そうなのか?」
要の疑問に答えるように一同は頷いた。
「そうですよー。でもぉ、こんなにいるとズコバコはおあずけですかねぇ」
「なんの目的で来てるんだ、おまえは!」
「そういうルチルはどうなんですかー」
「……私は生で出して貰おうと」
ルチルはモジモジしながら、既成事実、という言葉をポツリと添えた。
「会話の内容まで異次元なんだけど」
驚く結愛の肩を撫子がポンポンと叩く。聖母の微笑みで、毒されてはいけません、と微妙に毒を含んだ言葉を掛けた。
「そ、それよりもだ! そこの黒アワビ。無礼とはなんのことだ」
「黒アワビって卑猥ですよねー」
「話の腰を折るな!」
「どうということはない。坊やの部屋で全裸で抱き合っただけだ」
「おおおい!」
要は僕の胸ぐらを掴んだ。ルチルは憤怒の形相で指を鳴らす。美知は笑顔で、はいー? と言いながら詰め寄ってきた。
「み、皆の想像とは違うって。綾芽さんが酔っ払って家に来たことがあるんだよ。その時、ほら、布団を用意できなくて、それで。あと全裸は僕も朝まで知らなかった。そうですよね」
「そのようだな。酒のせいで身体が火照っていたのもあって脱いでいた。では、邪魔する」
綾芽は黒いパンプスを脱いで上がる。他の者もそれに倣って階段へ向かう。
その途中、静かな対抗意識を燃やしたのか。結愛が小さな声で言った。
「……先輩の前であたしも全裸になったっす」
一言で全員が殺気立つ。撫子の笑顔が強張って見えた。
「どこでだ」
低い声でルチルが僕に訊いた。
「その、結愛のアパートで。脱がせたんじゃないんだけどね」
「自分で全裸になったっす。真実の姿を見て欲しくて」
助けを求める目に結愛は気付いてくれた。身体に負った傷については語らず、目を伏せて口を閉じた。
「ま、まあ、大胆な行動ではあるけど、生乳を揉まれたあたしが一歩、リードだよな。そうだろ、拓光」
「私と並んだに過ぎない。王様ゲームで、これでもかというくらい揉まれたからな」
「どういうことなんだよ!」
要が食って掛かる。その相手はなぜか僕だった。
「二人だけの王様ゲームだから、仕方がなかったんだよ」
「嫌々みたいなことを言っているが、股間は正直だったぞ」
「ルチルがビッチ化してるぅー」
「おまえとは違うからな。一緒にするなよ」
騒々しい状態で二階に着いた。廊下には門番という風に彩音が仁王立ちの姿で立ち塞がる。
「不潔な兄さんらしい状況ですが、妹としてはかなり不愉快です。なんですか、この淫乱女性の集団は」
「また、やりたいのか」
前に出たルチルは柔道の構えを見せた。彩音の白い頬が仄かに染まる。強烈な歯軋りをしているかのように頭を小刻みに震わせて、結構です、と言い放って部屋に引っ込んだ。
「助かって、ない……」
「坊や、急にどうした?」
自室の前で立ち止まる僕に綾芽が怪訝な顔を寄せてきた。
すっかり忘れていた。部屋には杏寿がいる。ベッドに寝そべった状態で胸を露出していた姿が頭から離れない。
祈るような気持ちでドアノブを握る。数秒で決意を固めて思い切って開け放つ。
十三階段の最後の一段。僕は踏み止まることができるのだろうか。




