第69話 リベンジマッチ
四限目の講義を終えた僕は正門に向かう。今日は誰とも話をしていない。歩きながらスマホを起動。アプリにメッセージも入っていなかった。
たまにはこんな日もあるだろう。そう思って歩いていると足が止まる。
正門の先に一人の女子高生がいた。胸のリボンは黄色で、よく見ると片方の側頭部を刈り上げていた。
「久しぶりやな」
特徴的な関西弁で、はっきりと思い出せた。響輝の腹部にボディーアッパーを決めた相手だった。
仲間が潜んでいるかもしれない。それとなく目で周囲を探った。
「なんでここに?」
「警戒せんでもええ。今日は結愛に頼まれてきただけや」
「姿が見えないんだけど」
「大変なことになっててな。こっちや」
返事を待たずに歩き出す。
スマホを利用できない状態なのだろうか。疑惑よりも心配が勝り、付いていくことにした。
雑居ビルに挟まれた細い道を突き進む。特徴のない脇道に入って更に右へ折れる。道なりに行くと人影はなくなって前方にブロック塀が見えた。周囲に抜ける道はなく、完全な袋小路になっていた。
疑問を口にする前に先頭の女子が振り返る。
「ごくろうやったな」
「僕を騙したんだね」
「気づくんが遅いわ。それより、ここ、ええやろ。滅多に人は来んし、報復に相応しい舞台やと思わんか?」
揶揄するような声で言うと拳を固めた。
「先に手を出したのはそっちじゃないか」
「おまえ、根っからのウソつきやな!」
大きな声で事実を強引に捻じ曲げる。
「幸子のいう通りの卑劣漢のようだな」
思いもしない後ろからの声に驚いた。振り向くと長身の女性がいた。
髪はショートで白いウインドブレーカーと黒いパンツを穿いていた。
「あなたは?」
「三人がかりで幸子を痛めつけた者に名乗る必要はない。覚悟しろよ」
その場で切れのあるジャブを繰り出す。上体を揺らしながらフックやショートアッパーを混ぜて、軽やかなステップを刻む。最後は鋭い右のストレートを見せた。
堂に入ったシャドーボクシングは経験者を思わせる。
「凄いやろ。プロテスト合格、間違いなしの実力者や」
「なんでこんなことをするんだよ」
「おまえらに大恥をかかされたせいやろが! こっちの立場がなくなって、どんだけ学校で肩身が狭くなったと思うねん! おまえをやったあとは城山や。顔面をぐちゃぐちゃにしたるわ」
幸子は舌を出した。自分の首に親指を突き付けて掻っ切るように動かす。説得の余地はないと判断して女性に向き直る。
「なんでここまでするんですか」
「私の可愛い妹分に手を出した奴が悪い。城山という女にもわからせてやる」
「そんなことはさせない。僕の大切な彼女に、絶対、手は出させない!」
パーカーのポケットに右手を入れた。相手の女性は速やかに構える。
「ナイフでも出すつもりか?」
「女性を相手にそんなことはしない」
「ちょっと待てや。おまえの彼女は結愛やろ」
幸子の声に僕は、もちろん彼女だ、と一瞥もくれずに返した。
「なんてヤツや。ただの獣やないか」
「そのようだな。これで遠慮なく、ぶちのめすことができる」
「やるのはいいけど、勝敗はどうするつもり?」
「意識が飛んだら負けだ」
女性はフットワークをしながら答えた。
「僕の負けはそれでいい。君の負けは膝を突いた時や倒れた時でいいよね」
「あり得ないがいいだろう」
「あと、僕が勝ったら誰にも手を出さずに大人しく帰ってくれよ」
「その条件、全て飲んでやる」
ポケットから右手を出した。掌を合わせて自らの頬を両手で何度も叩いた。
「活を入れるのは勝手だが、そんなことで勝てると思うなよ」
滑るようにして女性が距離を詰める。
僕は後ろに下がりながら両手を振った。手数は多いが一発も当たらない。空を切る平手打ちに外野の幸子は笑って言った。
「なんや、それ。素人丸出しやな」
反面、女性は自ら後ろに下がる。息遣いが荒くなり、肩を上下させた。
驚いた幸子は声を掛ける。
「杏寿さん、どないしたんですか」
「なんでもない」
やや耳を赤くした杏寿は軽く頭を振って前に出た。僕は当たらない平手打ちで対抗した。
杏寿が踏み込んだ右脚の膝が曲がる。上体を不自然に揺らしながら堪えた。
その時、動きが止まった。僕は駆け出し、ボクシングでいうクリンチを見せた。
「杏寿さん!?」
幸子の理解を超えていたのだろう。僕に抱き着かれた杏寿は、ああぁ、と嬌声を上げて両膝を突いた。僕が離れると四つん這いの姿で全身を震わせた。
「僕の勝ちですよね」
「な、なんでや! こんなん認められんわ!」
「それなら本人に訊けばいい」
大事な人に危険が迫っている。非情に徹した僕は杏寿の後ろに回ると両肩を掴んで起こした。背中に覆い被さるようにして片方の胸を掴む。
「僕の勝ちだよね?」
乱暴に胸を揉みながら訊いた。
「あぁ、そ、そんな……」
「はっきり言ってくれないと困るんだけど」
杏寿の肩に顎を乗せた。今度は両手で胸を揉みしだく。
「あああぁ、もう、やめて……あ、あなたの、うぅん、勝ち、です……」
「これで異論はないよね」
幸子は悔しさで顔を赤くした。俯いた状態で、もう、ええわ、と吐き捨てた。
納得していなくても僕の勝ちは揺るがない。ぐったりした杏寿を尻目に早々と袋小路から抜け出した。
その後は見つけたトイレに駆け込み、両手と両頬を執拗に洗った。ハンカチで水気を取ると香水の匂いは完全に消えた。
身も心もさっぱりした状態で土手の道を帰っていった。




