第68話 酔っ払いは突然に
喉の渇きで目が覚めた。しょぼつく目でスマホを見ると日付が変わる十二時を少し超えていた。
明かりを点けてのろのろとベッドから下りる。少し寒さを感じてパジャマの上からパーカーを羽織り、自室をそっと抜け出す。
足音を忍ばせて彩音のドアの前を通り過ぎ、軋む階段をゆっくり歩いて一階へ降りた。
両親が眠る寝室から微かな寝息が聞こえる。起こさないようにしてキッチンに向かう。
食器棚でコップを取り出し、冷蔵庫を開けた。
ペットボトルの水に目がいく。牛乳とスポーツドリンクもある。迷っていると紅茶の缶を見つけた。手に取ると指に何かが触れた。手の中で回すと一枚のラベルが貼られていた。
『私物に手を出した愚か者は大外刈りの刑に処します』
僕は即座に元のところへ戻した。代わりにスポーツドリンクをコップに注ぎ、一気に飲んだ。
喉の渇きが癒えた。軽く伸びをしてキッチンを出ると玄関の扉を叩く音がした。男性が制止するような声に「姐御」の言葉が含まれていた。
飛び出した僕は急いで鍵を開けた。
「ようやくか。中に入れろ」
「綾芽さん、もしかして酔ってます?」
側にいたスーツの男性に目をやると無言で頷いた。
「水を飲みますか?」
「もう飲んだ。とにかく横になりたい」
頷く男性を見て僕は肩を貸して綾芽を中に入れた。扉の鍵を掛け直し、パンプスを脱がせる。
「まだかー」
「僕の部屋は二階です。階段、上がれますよね?」
「平気だ、と思う」
項垂れた綾芽を支えるようにして歩かせる。階段を上がる時は倍の時間を掛けた。
動いたことで気分が悪くなったのか。綾芽は急に静かになった。それに乗じて彩音のドアを足早に抜けた。
急いで自室に連れ込むと、綾芽の膝が曲がる。引っ張り上げるようにしてベッドまで運び、仰向けに寝かせた。
汗を感じた僕は机の引き出しから香水を取り出し、パジャマの中に突っ込んで吹き付けた。
「……苦しい。脱がせて」
力が入らないのか。スーツのボタンに指を掛けては滑り落ちた。代わりに僕がボタンを外した。
「スカートも」
「それは」
「早くして」
あまり声を出されると家族に気付かれる。仕方なくスカートの裾を掴んで引っ張ってみた。びくともしない。
「少し触りますよ」
「いいわ」
綾芽の腰を浮かせるようにしてスカートを回す。前にきたフックを外してファスナーを下ろした。今度は上手くスカートを脱がせることができた。
黒いストッキングの中に見える紅色のショーツが煽情的で、二回の深呼吸を余儀なくされた。
「少しは楽になりましたか」
「寒いわ」
「掛け布団でいいですね」
「良くない」
否定した綾芽は端に寄って横向きになり、空いたところを手で叩いた。
「わかりました」
僕は向き合う形で横向きとなった。綾芽の頭の下に左腕を入れて抱き寄せる。
「何かありました?」
「会合で腹が立った」
綾芽は左腕を僕の背中に回す。左の太腿は僕の脚の間に差し込んだ。密着した状態で不満を口にする。
「組織の中では、小さい会社でも、ちゃんと利益を上げている。とやかく言われる筋合いはない。旧態依然の堅物共が」
僕は右手で綾芽の頭を撫でた。子ども扱いで機嫌を悪くするかもしれない。そう思いつつ優しく手を動かした。
拒絶する声はなく、綾芽は囁くように言った。
「気分が安らぐ」
「よかったです」
「しばらくこのままで」
「わかりました」
穏やかな時間が流れる。
いつの間にか、綾芽は眠っていた。規則正しい寝息を聞いていると意識がぼんやりする。何度も瞼が落ちそうになり、その都度、大きく目を見開いた。
限界だ、と心に思った瞬間、プツンと意識が途切れた。
翌朝、目覚まし時計の役割を彩音が果たす。
「私が寝ている間にとんでもない破廉恥な行為に及んでいたのですね。妹として見過ごす訳にはいきません。しかも前にきた女性と違う人ではないですか。節操の無さに呆れました。兄さん、説明責任を果たしてください」
「え、な、なんのこと?」
制服姿の彩音が赤ら顔で僕を見下ろす。
「とぼけても無駄です。その胸に抱いた女性の姿が証拠です」
「綾芽さんは別に!?」
着ていたシャツがない。ブラジャーも見えない。
「いつの間に」
上体を軽く起こすとストッキングやショーツも穿いていなかった。全裸の姿に軽くない衝撃を受けた。
「ち、違う。誤解だよ」
「白々しいです。全裸の女性と一緒にベッドにいて何をどのようにすれば誤解になるのですか。不誠実な二股野郎に掛ける情けはありません」
「き、来た時にかなり酔っぱらっていて、それで苦しそうだから」
「だから全裸にしたのですか? そこまで脱がす必要がありますか?」
厳しい追及に反論の言葉が浮かばない。ただし冤罪に近いこともあって、なけなしの勇気を振り絞る。
「僕が脱がせたのはスカートだけなんだよ。あとは綾芽さんが自ら脱いだとしか言いようがない。信じて欲しい」
「……もう朝か」
胸に顔を埋めていた綾芽が動き出す。
「綾芽さん、僕が脱がしたのはスカートだけですよね」
「そうだったか?」
「そうですよ。昨晩のことをよく思い出してください」
綾芽は目を擦りながら欠伸をした。
「キスはしたな」
「え、いつ!?」
「一度、明け方くらいに目が覚めて、その時だったか」
「兄さんは不潔です。もう二度と起こしてあげません。というよりも永眠してください」
彩音は足音を立てて出ていった。
「どこだ、ここは?」
「……僕の部屋ですけど」
「そうなのか」
何事もなく起き上がると、床に落ちていた下着を手早く身に着ける。タイトなスーツを纏い、女社長の威厳を取り戻した。髪の一部に寝癖はあるが。
「坊や、世話になった。次に会う時は、もっと優雅に過ごしたいものだ」
「そう、ですね」
綾芽は颯爽と部屋を出ていく。間もなくして母の驚く声を聞いた。
説明責任という言葉が僕に重く圧し掛かる。




