第67話 一肌脱ぐ
涙もろいにも程がある。家に帰ってきた僕はベッドに俯せとなった。恥ずかしさで身悶えるような時間を過ごし、ガバッと起き上がる。
枕元にあったスマホを掴み、画面に名前の一覧を表示させた。スワイプして綾芽の名で指が止まる。
綾芽は愛クリーン株式会社の社長を務めている。バイトを採用しているかはわからないが、頼めば仕事を回して貰えるかもしれない。
直後に反社組織という言葉が頭を掠めた。迷った末、ルチルに電話を掛けることにした。
『この時間に電話とは珍しいな。何かあったのか』
「いきなりなんだけど、ルチルの会社関係でバイトの募集とかある?」
『どうだろうな。お父様に訊けばわかると思うが。早急に必要な金なら私が用意できる。いくらいるんだ?』
「僕ではなくて。その、できれば定期的に働ける環境を提供して欲しいんだけど」
かなりまどろっこしい言い方をしている自覚はある。
『その人物の特徴くらいは教えられるだろう』
「十七歳の少女なんだけど」
『茶髪でも働けるところがいいんだよな』
「できれば」
『少し時間を貰うぞ』
ルチルは電話を切った。女の王子様らしい男気溢れる対応に、ただ感謝するしかなかった。
想像よりもかなり早い。三十分くらいで電話が掛かってきた。
『見つかったぞ。子会社が経営しているレストランがホールスタッフの募集をしている。働き次第で正社員や店長にもなれるそうだ』
「手間を取らせて悪かったね」
『それはいいが、アイツに頼まれたのか?』
「違う。僕の独断だよ」
『一日デートの影響か。詮索は私の性に合わない。ま、余計なお世話と受け取られないように上手くやることだ。こちらはバイトの面接に来れば、余程、おかしなことをしない限り、即採用だからな』
話は纏まった。レストランの詳しい位置を教えられ、上手く誘導する道筋を二人で考えた。
『あとは拓光の頑張りに掛かっている』
「そうだね。この埋め合わせはきっとするから」
『私は美知のような筋金入りのビッチではないが、それなりに期待しているぞ』
「凄いプレッシャーなんだけど」
思わず漏れた本音にルチルは朗らかに笑った。
翌日、四限目の講義が終わると走って正門へ向かう。目で探すまでもなく、制服姿の結愛は目立つところに立っていた。
「遅れてごめん」
「そんなに待ってないっすよ」
「じゃあ、帰ろうか」
「なんか、デートみたいっすね」
結愛は照れたように言った。
「デートだと思うよ」
結愛の手を握る。それ以上の力で握り返し、そうっすね、と弾んだ声で歩き出す。
いつもの土手の道をゆく。白い雲の合間に青い空の一部が見える。程よい風は肌を優しく撫でていった。
「菅原先輩は不思議っす」
「自覚はないんだけど」
「五人の女性は憧れるレベルっす。特有の力もあって凄いっす。それを纏める菅原先輩は普通じゃないっす」
頭に香水の瓶がちらつく。今も少量、身体に吹き付けている。やがてくる夏には唯一の対抗手段となるだろう。
「結愛も入れて六人だね」
「……あたしは勢いで、恋人になった感じだし。ガチで勝ち抜ける気がしないというか。なにをしててもイライラして、将来のことを考えるだけで気分が酷く落ち込む時があるっす」
その言葉を聞いたことで俄然やる気が出た。僕の判断は間違っていないと確信に変わった。
「この時間だし、なにか食べようか」
「いいっすけど、ATМに寄っていいっすか」
「そんなこと、しなくていいよ。ここは僕が奢る。少しは彼氏らしいことをしたいからね」
「彼氏らしい行動なら、いつでもいいっすよ」
結愛は周りを見て少し頬を赤らめた。見える範囲に人がいないだけに強烈な殺し文句となった。
「嬉しい申し出なんだけど、今日は食欲の方を優先しよう」
「先輩が望むなら、それでいいっす」
結愛は繋いだ手を大きく振った。心なしか足取りが軽くなったようだ。
国道沿いに、そのレストランはあった。赤い三角屋根に白い壁は洋風の建物に見える。窓から店内を見ると吊り下げられたランプシェードが各テーブルを温かみのある光で包み込んでいた。
「ここに入ろう」
「ここっすか。先輩、財布的に大丈夫っすか?」
「平気だから」
結愛の背中に手をやり、軽く押すようにして店内に入った。
初めての店もあって近くにいた女性に目がいった。
臙脂のベレー帽と同じ色のショートエプロンを身に着けていた。白いシャツの袖は捲り上げているのではなくて、そのようなデザインであった。
目敏く見つけた女性が足早にきて、何名様ですか、と訊いてきた。
「菅原で二名です」
「お待ちしていました。こちらのテーブルになります」
情報が行き届いていて滞ることなく席に着いた。
向かい合わせになると結愛が先に口を開く。
「もしかして予約っすか?」
「さっき歩いていた時にスマホで済ませておいたんだよ」
「サプライズっすね」
「そうなるかな。メニューはこれだよ。好きなのを選んでいいよ」
テーブルの端に縦に置かれていたメニューを手に取り、開いた状態で結愛へ押し出した。真剣な目で見たあと、こちらに心配そうな顔を向けてきた。
「先輩、かなり良い値段なんっすけど」
「口コミの評価が高い店だから、多少はね」
さりげない態度で値段を見ると八百円よりも下がなかった。一品で五千円を超えるものまであった。冷たい汗を背中に感じる。
いろいろと見るフリをして、二番目に安いコーヒーセットを注文した。結愛は遠慮しながらもタンシチューを頼んだ。一口ごとに牛タンの柔らかさと深みのある味を絶賛した。
腹が満たされた頃合いで僕は横手に目を向けた。
「なんだろう、この紙は」
ナプキンを入れた容器の後ろから一枚の紙を取り出した。書かれた内容に関心を寄せるようにして読み込む。
「ホールスタッフのバイト募集だね。時給は千円を超えていて、飲食店の経験がなくてもいいみたいだよ」
「本当っすか」
「ほら、ここに書いてあるよ」
僕は書かれた部分を指で示す。結愛は真剣な顔で先を読み込んでいく。
「働く時間も自由に決められるっす。正社員にもなれるって書いてあるっすよ」
「真面目に仕事に取り組めば、そうなるよね。ひょっとしてバイトに興味ある?」
「あるっすけど、面接に何回も落ちてるし。敬語とかよくわかんないっす」
「習うより慣れろって言葉もあるし、試しに面接を受けてみたらどうかな」
やんわり勧めると結愛は少し俯いて、そうっすね、と小さな声で呟いた。
その二日後、バイトデビューっす! とスマホの電話で喜びの声を伝えてきた。
これで全てが解決する訳ではないけれど、結愛の明るい未来がほんの少し想像できて自然に笑みが零れた。




