第63話 新たな恋人
今日、最後の講義になる四限目が終わった。隣には響輝がいて呆れたような顔を見せる。
「いくら今日が暑くても、タンクトップはないんじゃないのか」
「本当はパーカーを着てきたんだけどね」
「講義の前に聞いたが、どんな汚し方をしたら捨てることになるんだ?」
興味剥き出しの笑顔で、なあ、と言って身体を寄せてくる。
僕は躱すように立ち上がってリュックを背負う。
「それより小腹が空いたよね?」
「確かに。でも、まずは服だろ」
指先で僕の胸を突くと響輝は笑って歩き出した。
第一講義棟を出ると寒気がした。両腕を交差させて露出した肌を摩る。
「な、やっぱり服だろ」
「そう、みたいだ」
「近いところなら駅前だな。ジーンズショップがあったはずだ」
「安いのがあればいいんだけど」
財布の中には万札がない。五千円札と小銭が少々。使い切ると残りは家にある三千円だけ。今月はあと二週間あるので極貧生活が決定する。
響輝は着ていたジャンパーを僕に被せた。
「寒くない?」
「タンクトップよりはマシだよ。あと金がないなら俺がいくらか出すぜ」
「そこまでして貰うと悪いよ。これは少しの間、借りるけど」
ジャンパーをコートのように羽織って正門に向かう。
その足が止まった。響輝は振り返って、どうした? と訊いてきた。
正門の向こうに三人組の女子がいた。全員が黄色いリボンのセーラー服を着ていた。その内の一人、ボブカットの女子がこちらを指さす。
「あれじゃね?」
「違うんじゃね?」
「隣じゃねーよ」
「もっと近くで見ようや」
ガラの悪さを隠そうとしない。だるそうな姿で三人は歩き、僕の前で横一列に並んだ。
赤茶けた髪の女子が僕の胸元に顔を近づける。
「タンクトップだからコイツで確定だわ」
「マジじゃん。なんか女っぽいし、おまえついてんの?」
「えっと、何が?」
ボブカットの女子に、いきなり股間を掴まれた。目にした響輝は、おい、と声を荒げた。
「うわ、マジ!? ふにゃふにゃの状態で、これかよ。パオーンすぎんだろ」
「カマっぽいのに? おまえ、こっちにもサービスしろ」
赤茶けた髪の女子が股間に手を伸ばす。その手首を響輝が掴んだ。
「乳臭いガキが調子に乗んな。回すぞ」
「やってみろや」
片方の側頭部を刈り上げた女子が割り込んで三白眼で睨む。
瞬間、腰を回すような動きを見せた。響輝が短い声を発して後ろによろける。がら空きの腹部にボディーアッパーのような一撃が入った。
伸びていた背は丸まり、必死に痛みに耐える。歯を食い縛っているのか。一言も喋ることができないようだった。
赤茶けた髪の女子が少し顔を引いた。
「さっちんの一発は、いつ見てもエグイんだわ」
「ボクシングジムに通ってる本格派だから、そーなるわな。あ、パオーンのインパクトで忘れてた。早く連絡しないと」
ボブカットの女子はスマホを使ってメッセージを送る。
「つーことで、あんたらはここで待機な」
「あの、これってどういうこと? 会ったこと、ないよね」
「あたしらはね。用があるのは結愛だし」
その名前を聞いても誰かわからない。知り合いの線は消えた。相手が一方的に僕のことを知っているのだろうか。
「もう来たってか」
「マジ走りじゃん」
「体育の時でも見たことない速さだわ」
「そんだけ本気なんやろ。からかってやんなや」
響輝をよろけさせた女子が軽く拳を握る。二人は作り笑いを浮かべて口々に宥めた。
臙脂のジャージを着た女子は僕の前で止まった。乱れた茶髪を素早く手で整える。
「あたしの名前は北村結愛だ、っす。あなたの名前を教えて欲しいっす」
「あなたって」
赤茶けた髪の女子が笑いそうになる。すっと隣にきた刈り上げ女子は、しばくぞ、と低い声で言った。
「マジ、勘弁」
両手を合わせると即座に口を噤んだ。
静かになると今度は僕が注目された。その中には響輝も含まれていた。腹を摩りながら目で問い掛けてくる。
今は意識を結愛に向けた。
「僕は菅原拓光だよ。北村さん、もう大丈夫なんだね」
「菅原先輩のおかげで、なんとかなったっす。お礼はいいって言ってたっすけど、させて欲しいっす」
「そう言われても、すぐには思い付かないよ。あ、それなら一つあるんだけど、いいかな」
結愛の目が輝いた。子供っぽい笑みのあと、人差し指と親指で輪を作る。
「タバコをやめて欲しいんだけど」
「やめるっす。他には?」
ボブカットと赤茶けた髪の女子が顔を寄せて小声で言った。
「ヘビースモーカーの結愛が信じらんねー」
「カートン買いとかしてたのにな」
その隣で刈り上げ女子が指の骨を鳴らす。静寂が戻り、再び僕に視線が集まった。
「他は何がいいんだろ」
「なんでも。命令されたら何発でもやらせるっす。どこにいても脱げって言われたら、その通りにするっす」
結愛はジャージのズボンに両手を掛ける。
「ま、待って。そんなこと、言わないから。それに何発って」
それとなく僕は刈り上げ女子を見る。呆れたような顔で、アホか、と言われた。
「パンチやない。セックスに決まってるやろ。おまえは天然か」
「やっぱり、そっちなんだね。だと思ったけど、こんなストレートにくるとは思ってなくて」
「菅原先輩の優しさに触れて、あたしのハートはぶち抜かれたっす。付き合って欲しいっす。ダメならメス奴隷でもいいっすよ」
これを純愛と受け取ってもいいのだろうか。声の大きさもあって周囲の目がとても気になる。
その中、一人の人物に目が留まる。ノースリーブワンピースを着た美知だった。向こうも気付いて、のんびりした調子で手を振った。
栗色のソバージュを弾ませて美知が話に混ざる。
「こんなところでー、なんの話をしてるのかなぁ」
「お、おい、あれって」
「見たことあるからわかる。本物だよ。どうする?」
二人は刈り上げ女子に目をやる。不敵な笑みを返して美知の前へ立った。
「なんや、おまえは」
「あなたは、どこの田舎者ですかー」
「ゲロ吐きたいようやな」
刈り上げ女子は拳を固める。二人の女子は寄り添った。怯えた目をして懸命に頭を左右に振った。
制止を聞かず、先程の再現とばかりに腹部を狙う。その一撃は不発に終わる。美知は身体を横にして躱し、こうですかー、と言って逆に腰の回転を活かしたボディーアッパーを打ち込んだ。
一瞬、両足が宙に浮いたように見えた。エビのような姿が重い一撃を否応なく想像させる。刈り上げ女子は千鳥足となり、その場にうずくまった。声は上げなかったが頭は激しく震えている。
美知は上から覗き込むような姿になった。
「蹴りやすそうなところに頭がありますねー」
その一言で相手は尻餅をついた。目に涙を溜めて、やめて、と小声で言った。
「もしかして『最強ビッチ』の城山先輩っすか」
「酷い通り名だと思うのよねー。それであなたは?」
「北村結愛っす。今日から菅原先輩のメス奴隷になったっす」
「はいー?」
美知は首を傾げたまま、こちらをじろりと睨む。
「えっと、今日、電車で人助けみたいなことをして、それで大学まで押しかけてきたみたいで」
「菅原先輩の優しさにハートをぶち抜かれたっす。代わりじゃないっすけど、ここも後ろもいつでもぶち抜いてくれていいっすよ」
結愛は自身の股間と尻を指さした。
「はいー?」
言葉と姿は同じでも美知の顔が少し怖くなる。
嫌な汗が出る前に僕は早口で言った。
「メス奴隷ではなくて恋人でお願いできるかな」
「やったっす! 全然オッケーっすよ!」
「……六股かよ」
響輝はうんざりした顔で呟いた。




