第60話 香水の謎に迫る(1)
金曜日の夕飯は意外と早く、風呂に入ってさっぱりした状態で部屋に戻っても八時になっていなかった。
自室に戻ってベッドの縁に座る。机上のノートパソコンに目を向けたものの起動する気になれなかった。
日常が目まぐるしく過ぎてゆく。体質と香水が中心になって思いもしない展開を呼び込む。五人の彼女ができて流されるように唇を重ねた。それ以上の欲求が日に日に強くなる。
祖父に渡した香水の結果はどうなったのだろう。今の時間、夜であっても深夜ではない。ベッドに転がしていたスマホを手に取り、祖父へ電話を掛けた。
『誰だ?』
旧式の固定電話なので名乗らないといけない。
「拓光です」
『こんな時間に珍しいな。どうした?』
「香水の結果が気になって」
『実に良いタイミングだ。俺の元部下から連格があって、明後日に分析結果が出るそうだ』
日曜日は大学の講義がないので僕にとっても都合がいい。
「自宅の方に伺ってもいいですか」
『もちろんだ。俺も個人的に気になる。失敗作の香水に新たな道が見つかるかもしれないからな』
弾む声を自覚した祖父は威厳を取り戻すような咳払いを挟んだ。
『それとは別に思い付いたことがある』
「なんですか?」
『香水の成分ばかりに目がいっていたが、影響を受ける相手にもよると思ったのだ』
耳にした途端、真っ先に要が頭に浮かぶ。肉体的には完全な女性。それなのに僕の体質への耐性を持っているようだった。
「香水と相性のいい相手だと魅了の効果があると?」
『あくまで可能性だ。その関係で拓光と交際を始めたという女を見てみたい。どうにかしてこちらに連れて来られないか?』
「僕の彼女ですか」
香水の効果を調べる為なので撫子は外す。要も適任とは言い難い。ルチルはあの気質なので祖父と衝突する未来が薄っすらと見える。綾芽は僕の手に余るので最初から考えられなかった。
「……とても女性らしくて、従順なところもあって、試す相手としては適しているとは思うのですが。本当に連れていってもいいのですか?」
『どこに不満がある? 女らしい女は大歓迎だ』
「一度、そちらに連れていった、あの女性なんですけど」
『なん、なんだと!? 拓光、血迷ったのか! あれはとんでもない性欲の化け物だぞ!』
「僕の彼女をなんだと思っているんですか。本当に連れていきますよ?」
さすがに頭にきた。
『やめて、それは。悪かった。言い過ぎた』
「それならいいです。日曜日の午後にいきますから」
『うん、一人で来て。その時間なら結果は出てると思うから。本当に一人で。男と男の固い約束だぞ』
「わかりました。それでは失礼します」
最後は素っ気なく言って電話を切った。怒りで煮え立つ頭を冷やすように手で風を送る。
冷静になると祖父とは別の可能性を思いつく。
香水を使う側との相性も関係するのではないだろうか。祖父は試したが思ったような成果を挙げられなかった。僕にはかなりの効果があるように思う。
他の男性ではどうなのだろう。身近で思い浮かぶ人物は一人しかいなかった。
翌日の正午、響輝と繁華街の一角で落ち合った。
周囲と溶け込むように僕はブラウンのニットシャツと青いジーンズ。大きめの茶色のバッシュで決めてみた。
響輝は白いシャツに黒いジャケットを合わせた。美青年を気取って柔らかい笑みを作る。
「今日は彼女達、いないんだな」
「響輝に用があるからね」
「どんな話だ? 力なら貸すぜ」
「これなんだけど」
早速、本題である香水を取り出して見せた。響輝は顔を近づける。
「どこのメーカーだ?」
「祖父の自作だよ。匂いはいいよ。それを響輝に付けて貰いたいんだけど」
「別にいいが。それだけなのか?」
「ここら辺を一緒に歩いてくれればいいよ」
響輝は釈然としない様子で僕を見る。その表情が急に明るくなった。
「そうか、ナンパだな。六股を狙うなんて、やるじゃないか」
「ま、まあ、そんな感じかな。その為には響輝の力が必要なんだよ」
「そうだろう。俺はこう見えて成功率十パーセントの男だからな」
「なんか、微妙だね」
その一言でナンパ魂に火が点いた。響輝は店舗の壁を掌で突き、僕を挟み込んだ状態で力説した。
「よく考えてみろ。十人に一人だぞ。五十人に声を掛ければ、あっという間に拓光と並ぶ。凄い確率と思わないか」
「そ、そうだね。じゃあ、これを」
香水を渡した僕は二次被害を防ぐ為に少し離れた。響輝は首や手首、服にまで吹き付けた。その思い切りの良さに見ているだけで震えがくる。
「確かに良い香りだな」
用意が整ったので、早速、二人で歩き始めた。
目抜き通りだけあって人の往来が激しい。特に若い女性が多く目に付いた。響輝は少しでも気に入れば積極的に近づいて声を掛けた。
「今、時間ある?」
「見てわからないの? 急いでるんだけど」
足を止めない女性の横に張り付いて粘る。一定の距離を超えると見切って次の相手に声を掛けた。
現段階では香水の効果が見られない。それどころか、響輝が自慢げに語った十人を超えた。
「こんな時もあるって」
強張った笑みで言うと新たに見つけた女性に声を掛けた。
二時間の苦闘を終えた。響輝は店舗の前に設置されたベンチに項垂れた姿で座り、帰りたい、と弱々しい声で言った。
痛ましい姿に少し心が痛む。僕は近くに設置された自動販売機で、ペットボトルのミルクティーと自分用の缶のレモンティーを買った。
響輝の隣に座ると、そっとミルクティーを差し出す。
「これ、疲れた時に飲むと美味しいよ」
「悪いな。なんか、いろいろと」
受け取るとキャップを捻り、一気に喉に流し込んだ。大きな息を吐くと僅かに口角を上げた。
「喉と目に染みる味だな」
「なんか、ごめん。無理に付き合わせたみたいになって」
「謝る必要はないさ。俺の完全な力不足だ」
掛ける言葉が見つからない。僕はレモンティーのプルタブを起こして開けた。林立するビルで狭くなった薄曇りの空を眺めながら飲んだ。
梅雨が終われば暑い夏がやってくる。大海原の空にぎらついた太陽が浮かび、人々の肌に突き刺さるような陽光を浴びせる。その前に香水の謎を解き明かしたい。
明日の結果を待ち遠しく思いつつ甘酸っぱい味を満喫した。




