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第49話 密室の六人(1)

 アパートまでやってきた。緊張しないように呼吸を整え、赤錆の浮いた階段をそろそろと上がる。

 最初のドアの前に立ち、ゆっくりと深呼吸。覚悟を決めてノックを三回した。

 中から、はい、と返事が返ってきてドアは開いた。

「わざわざ迎えにきてくれて、ありがとうございます?」

 撫子は僕の横から現れたピンクのドレス姿の美知を見て驚いていた。手にはステンレス製の電子ジャーを持っているのでインパクトは十分だろう。

「一升分あるのでぇ、そう簡単には無くなりませんよー」

 間延びした声のあと、僕の耳に口を寄せる。

「拓光君と二人の時はこちらの口調にするね」

「わかった」

「じゃあー、お邪魔しまーす」

「私は食材を持ってきた。期待していいぞ」

 ゴスロリに身を包んだルチルの登場に撫子は、え? と明らかに困惑した顔になった。まともに言葉が出て来ない。

 僕は横に避けた。そこへオーバーオールの要とパンツルックの綾芽が現れた。

「なんであたしだけ、荷物運びなんだよ」

「私の力は肉体的なものではない。それに何も用意できなかったのだから、他で貢献するのが筋だろう」

「そりゃ、まあ、そうかもしれないけど」

 要は両手に大きな袋を提げていた。不機嫌にスニーカーを踏ん付けて脱いで部屋に上がった。

「坊や、今日も楽しもうではないか」

「そう、ですね」

「あの、もしかして最初から私の部屋で夕飯を食べるつもりだったのですか?」

 撫子は心配そうな顔で僕に訊いてきた。

「ごめんなさい。騙したみたいになって。僕も反対はしたのですが、他の四人がここがいいと。その、お邪魔します」

「それはいいのですが、皆さん、狭くないですか? テーブルや飲み物も急には用意できないですし」

「大丈夫だ。食材もそうだが、飲み物も持ってきた」

「私は自分用のビールを用意した。問題はトイレなのだが、共同なのか」

 綾芽は一目で水回りがないことに気付いた。

「はい、外にありますので、あとで案内します」

「わかった。クッションはあるのでまずはテーブルだ」

「もしかしてあたしにやれと?」

「折り畳み式だ。誰でもできる」

「それならアンタが」

「何も用意できなかったよな?」

 綾芽は静かに凄む。事実もあって要は、わかったよ、と反論なく折れた。

 荒い手付きで取り出した物を組み立てていく。

 ルチルは上機嫌で重箱をばらして置いていく。

「これがA5の霜降りだ。量は五キロくらいか。あとは有機栽培された野菜を切り分けたのが、これだ。こちらは養鶏場から取り寄せた卵だ。必要な調味料も持ってきた。和三盆わさんぼんと大分県の老舗の醤油だ。好きなだけ使ってくれ」

 綾芽は一目で、ほう、と感心したような声を出した。

「贅沢な逸品だ。かなり無理をしたのではないのか」

「何を言ってんだ? 我が家で普通に出される食材だぞ」

「身なりと違って、どこかのお嬢様なのか」

「身なり通りのお嬢様だ!」

 ルチルは座った状態から片膝を立てた。威嚇するように両手を前後させて肩の位置まで引き上げた。

 綾芽は悠然と掌を見せた。制止の構えで対抗する。

「落ち着け。私の知っているお嬢様像と違うだけだ。以前、仕事をさせて貰った業界最大手の取引先のゴッドケープには一人娘がいる。そこの代表から聞かされた話と掛け離れていたのだ」

 耳にした美知は、えー、と間延びした声を出した。

「それってぇ、ルチルのパパの会社ですよー」

「おまえのパパは、なんか違う! 確かにお父様が経営する会社だ。私の名前を忘れたのか? 神崎だぞ。崎はみさきとも読めるからケープなんだよ」

「ゴッドケープの一人娘だと!? 代表が話していた質実剛健とは」

「私のことだ。柔道団体で全国優勝を果たした。大学は総合型選抜ではなくて一般模試での入学だ」

「青いバラに例えられたお嬢様は」

「それも私だ」

「頭脳明晰とは」

「私のことだな。ちなみに全統模試ではいつも二桁をキープしていた」

 ルチルは腕を組んだ。鼻高々と言った様子で語った。

 僕の認識も塗り替えられた。ただの金持ちではなくて桁外れの大金持ちだった。

 その中、要は黙々と手を動かす。折り畳み式の座卓を広げた。その上に簡易コンロを置いた。ガス缶をセットして火が出るのを確認。丸くて平たい鍋を上に載せる。

「用意はできた。食器類も揃っているから、あとは飲み物を配ればいいな。これから、どうするんだ? すぐにすき焼きを始められるんだけど」

「換気の為に窓は開けましょうか?」

 撫子の言葉を聞いて被せるように四人は言った。

「ほんの少しな」

「ミリ単位だ」

「ちょっぴりでお願いしますぅ」

「窓を開けるのならば少しでいい」

 最後に綾芽が上手く纏めた。

 その意味を何となくわかりながらも僕は口を閉ざした。無暗に藪を突っつくと蛇ではなくてひぐまが出てきそうに思えた。

 今一つ、納得できない様子で撫子は口にした。

「どうして少しなのでしょう。換気は大事だと思うのですが」

「拓光君と狭いところにいるとぉ、濡れてくるからですよー」

 美知の剥き出しの本音に綾芽は珍しく同意を示す。

「その通りだ。私は車の中で狂おしい程の劣情に駆られた」

「喫茶店ではこの私が取り乱した。下腹部を突き上げる欲望に耐えられなかったぞ」

 力説するルチルの横で要はしおらしく、部屋でチューされたし、と呟いた。口にした途端、頬がほんのりと色付く。

「なんか、もう、気分的に危ない感じが。拓光、先に渡しておく」

 要はオーバーオールの胸ポケットに手を突っ込む。取り出した長方形の紙を僕に手渡した。鎖のような枠で囲まれた中央に文字が印刷されていた。


『生乳タダ揉み券』


 電脳世界の話は架空で終わらず、現実の券となった。

 ちらりと見た美知は愛らしい顔を歪めて笑う。

「講義室の最前列に座った時に使うとぉ、なんか楽しそうですねー」

「そんなこと、するかよ! しないよな、拓光?」

「……え、しないよ。そんなこと」

 少し想像したことで身体が熱くなる。この狭い空間で汗は掻けない。微量の香水がどのような作用を及ぼすのか。考えると胃の辺りが痛くなる。


 波乱のすき焼きパーティーが、今始まる。

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