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第43話 長い一日(2)

「ここが目的地だ」

「……そうですか」

 活き活きとした綾芽は即座に降りた。両腕を広げた状態で背を逸らし、木漏れ日の中で伸びをした。

 僕は座席でぐったりしていた。

 車は急加速や急減速を繰り返した。舗装道路だけでなく、両側を畑に挟まれた農道にまで突っ込む。速度を落とさず、車体は上下に激しく弾んだ。丁字路ていじろでは後輪を滑らせて曲がり、ようやく木々に囲まれた大きな三角屋根の家に到着した。

 車酔いの一歩手前。のろのろとシートベルトを外し、ふわふわした足で地面に降り立った。

「酔ったのか?」

「大丈夫です」

「これは慣例だ。悪気はない」

 爽やかな笑顔で言われた。もしもの敵に備えた予防策なのだろう、と想像して自身を納得させた。

「まずは腹ごしらえだが、食べられそうか?」

「なんとか。飲み物があれば嬉しいです」

「ビールやワインでいいか」

「僕は未成年なので、できればジュースで」

 その言葉に綾芽は意外そうな顔をした。

「サークルやコンパで呑み慣れていないのか?」

「大学生の全てが、そうとは限らないと思います」

「そうなのか。それならグレープジュースにするか。この近くの農園で作られた物で、これが肉料理によく合うんだ」

「それで、お願いします」

 肉料理という言葉に拒絶反応が出そうになったが堪えた。

「今日のブランチはテラス席を使う。あのパラソルのあるところだ。好きなところに座ればいい」

「綾芽さんは?」

「先に別のパンツに穿き替える」

 綾芽は自身の股間を指さした。薄っすらと浮かび上がるような染み跡に気付き、急いで目を逸らした。

「困った坊やだ」

 反応を楽しむような声で離れていった。

 僕はパラソルの下にある白い椅子を適当に選んで腰かけた。木製のデッキの下は自然に溢れている。可憐な花々が咲き誇り、風と共に甘い匂いを運んできた。その先には木々が密集して大きな生垣の役目をになう。

 少し視線を上げた。新緑に染まる山々が重なって見える。聞いたことのない野鳥のさえずりがオルゴールの澄んだ音色のように思えた。

「菅原様、グレープジュースをお持ちしました」

 運転手を務めた男性がワイングラスをテーブルに置いた。見た目もあって少し疑った。

「アルコールの類いは、一切、入っておりません。安心してお飲みください」

「ご配慮、ありがとうございます」

 ガラスの細い部分を持ち、縁に口を付ける。それだけで甘酸っぱい匂いに包まれた。一口で酸味と甘味が口の中に広がり、肺にまで染み渡る。軽く吐く息まで濃厚なブドウを感じた。

「表現は拙いのですが、酸味と甘味の調和が取れていて、とても美味しいです」

「喜んでいただけたようで何より。それでは料理を運んできます。少々、お待ちください」

 男性は一歩下がって一礼すると音を立てずに持ち場に戻る。

 一人になった僕は自然を眺めながら夢心地ゆめごこちでワイングラスを傾けた。


 テーブルに料理が出揃った。中央に置かれた大きなバスケットには焼き上がった各種パンが飛び出した状態で詰め込まれていた。

 それとは別に僕と綾芽の前には金縁の大皿が置かれた。収まっているハンバーガーは野性味に溢れている。バンズから食み出したレタスとパティを抑え込むように銀色の串が刺さっていた。

「遠慮しないでどんどん食べてくれ」

 対面にいた綾芽はそう言うと、ハンバーガーの串を抜き取った。崩れないように素早く両手で掴み、大口を開けて齧り付く。唇に付いたソースを全く気にしない。純真な子供のような笑顔で食べ進めた。

 僕は置かれたナイフとフォークを使って切り分けて食べた。

「どうだ、美味いだろ」

 食べ終えた綾芽が指をしゃぶりながら言った。

「ソースもそうですが、このパティはジューシーで最高です。今まで食べてきたどのハンバーガーよりも美味しいです」

「そうだろ。この田島は万能だからな」

 背後にいた田島は、恐縮です、と小声で言った。

 綾芽は機嫌よくジョッキをあおる。空になると後ろに控えていた田島が俊敏に動く。氷水に入れていたビール瓶の栓を手早く開けて適量を注いだ。

 僕のワイングラスにも同じようにグレープジュースを注ぎ、あとは風景に溶け込むようにして立っていた。

 食べ終わると心が満ち足りた。一日が終わったかのように青い空を眺める。

「これからが本番だ。釣りにいくぞ」

「釣りですか?」

「そうだ、私に付いて来い」

 綾芽はクーラーボックスの紐を肩に掛けて一方に歩き出す。

「いってらっしゃいませ」

 田島は深々と頭を下げて僕達を送り出した。

 木々の合間を抜けるとレンガを敷き詰めた小道が現れた。木を傷つけないように隙間を縫うようにして奥へと伸びる。

 先頭を歩く綾芽はにっと笑って振り返る。

「秘密基地みたいだろ」

「ちょっとわくわくしますね」

「期待していいぞ」

 少し綾芽の速度が上がった。僕と同じ高揚感に包まれているようだった。

 レンガの小道の終わりを告げる光が前方に見えてきた。溢れる光に向かって僕達は駆け込んだ。

 一瞬、眩しさで目を細めた。数秒で限界まで見開く。

 青と緑が入り混じる湖が視界いっぱいに広がった。周辺に建築物は見当たらない。手付かずの状態に思えた。

「滅多に人が来ない場所だ。ここならのんびりと釣りを楽しめる」

「絵画みたいな風景で驚きました」

「綺麗だし、静かだし、穏やかな気分になれる最高の場所だ」

 自分が褒められたかのように綾芽は言った。手早く肩に掛けたクーラーボックスを下すと蓋を開けた。中には伸縮自在の竿が、二本、入っていた。ルアーを使うようでエビや小魚を模した物が数多く揃えられていた。

「釣果があればクーラーボックスに入れて持ち帰る。調理は田島に任せる。それでいいな」

「わかりました。でも、僕はあまり釣りをしたことがないので、釣れるかどうか」

「アタリは感覚でわかるようになる。あとは楽しむことが大事だ。結果は二の次と思えばいい」

 用意が終わると二手に分かれた。綾芽は慣れた様子でルアーを湖に投げ入れた。竿を小刻みに引きながら左手でリールを巻く。

 僕は初心者なので右手でリールを巻くようにして貰った。

「じゃあ、僕も」

 大きく振りかぶってルアーを投げ込む。思ったよりも距離が出せず、悔しいスタートとなった。

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