第42話 長い一日(1)
広々とした駅の構内を案内板に従って歩いていく。早朝の時間帯もあって人通りは少ない。念の為に微量の香水は仕込んできた。
待ち合わせ場所に間違いはないのだろうか。疑問に思いながらも電脳の箱庭に指示されたところへ急ぐ。
広い改札の手前に人待ち風情の人がいた。
野球帽のようなものを被っている。赤いフレームの眼鏡を掛けていて性別がはっきりしない。服装も決め手に欠ける。スウェットの重ね着にダボッとしたパンツを合わせていた。
僕が足を速めると、その人物が親指を立てた。
「スーツ姿も悪くない」
間違ってはいなかった。華やかなドレスを着てはいないが、綾芽の声だった。
「おはようございます。今日は一日デートですよね?」
「そうだが」
「新幹線を使うのですか? それとその格好は」
新幹線の改札口とわかるように天井から看板が吊り下げられていた。
「少し遠いからな。この変装は単独行動で必要になる」
「わかりました。その、料金なのですが、おいくらでしょうか」
「こちらが誘った。気にするな」
綾芽は笑って三枚のカードを差し出した。過去に新幹線を利用したことがあるので乗車券と特急券はわかる。残りの一枚は初めて見た。
「グリーン車に乗るんですか」
「そうだが、どうした?」
「……何でもないです」
「移動する。グリーン車は自由席だからな。坊やは窓側の席でいいか」
「はい、それでいいです」
綾芽が先に改札へ向かう。何かを思い出したように振り返って言った。
「グリーン券は改札機に入れるなよ」
「あ、わかりました」
他の二枚と同じように考えていたので助かった。
新幹線のホームの中程に立つ。先頭なので慌てる必要はない。ゆったりとした気分で来るのを待った。
五分程で到着した。八号車で綾芽の後に続いて乗り込む。
座席は左右に二つずつあり、厚みがあって座り易そうに見える。足を置く台まで設置されていた。
先頭を歩いていた綾芽が足を止める。左手の席を見ながら言った。
「ここにしよう。グランクラスはもっと広いのだが」
「わかりました」
僕が先に座ると続いて綾芽が隣に落ち着いた。
思った通りの座り心地で気持ちに余裕が生まれる。すると先程の言葉が急に気になり始める。
グランクラスとは何だろう。スーツのポケットからスマホを取り出し、電源を入れた。綾芽が画面を覗き込み、上部を指さした。
「充電した方がいいな」
見ると二十パーセントを切っていた。ACアダプターは必要と思って持ってきた。でも、すぐには実行に移せない。肝心のコンセントの場所がわからなかった。
目で探していると、綾芽が自分のスマホを取り出した。手本を見せるように繋いで見せる。
僕も真似して肘掛けの下部にACアダプターを差し込んでスマホに繋げた。綾芽にまたしても助けられた。
「ありがとうございます」
「何の話だ? 私は音楽が聴きたくなっただけだが」
含み笑いで言葉を返す。行動で示すようにイヤホンを両耳に嵌めた。
「……何でもないです」
急に自分が子供のように思えて少し恥ずかしくなった。
新幹線が滑らかに走り出す。高速で風景が流れた。遠くの方を見ても速さが実感できる。
その速さに目が慣れてくると視界がぼやけてきた。突然の眠気に軽く頭を振った。
「席を倒した方がいい」
「そう、します」
肘掛けにある電動レバーの位置を教えて貰い、座席を後ろに倒す。目を閉じると意識が吸い込まれそうになる。
「グリーンアテンダントに頼んで、ブランケットを持ってきて貰おう」
「……はい、お願い、します」
自分でも反応の鈍さがわかる。生暖かい闇に意識は呑まれていった。
身体が揺れる。右肩に重さを感じた。揺れが収まると右耳が温かくなり、柔らかい物が触れた。
「坊や」
甘い囁きが頭に満たされ、一気に意識が浮上した。
「あ、はい?」
「あと少しで到着だ」
「わかりました」
座席を元に戻し、改めて横目をやる。
綾芽の頬がほんのりと赤い。眼鏡越しに見える目が妙に艶めかしく、内腿を擦り合わせるような仕草が目に付いた。
「……僕が寝ている間に何かしました?」
「罪作りな坊やだ」
まさかと思い、自身の股間に目を落とす。見たところ、不自然な点はなかった。
綾芽は身体を寄せて、耳元で囁く。
「そんな下品な真似はしない。私はトイレで欲求を吐き出してきた。もう、グショグショだったよ」
「そ、そうですか。その、ごめんなさい」
「坊やのせいではないが、それなりの責任を取って貰いたいものだ」
艶やかな唇でにんまりと笑う。
車内アナウンスは終わっているのか。新幹線は駅に到着した。
改札を抜けたところで綾芽は言った。
「ここからは車での移動になる」
「タクシーですか」
「みたいなものだ」
西口と書かれた方向へ歩き出す。最初にタクシー乗り場が見えてきた。
綾芽は直角に折れてバス停を通り越し、更に先へ進む。
「あのー」
質問をする前に、あれだ、と前方を指さした。黒塗りの車が道に横付けされていた。長さよりも太さが際立つ。いろいろな用途に使えるSUV車に思えた。
まだ距離のある段階で運転席のドアが開いた。運転手らしい男性が降りてきて、こちらに向けて深々と頭を下げる。白髪に近い頭はそれなりの年齢を感じさせた。
「お迎えにあがりました」
上げた顔に皺は少なく、年齢不詳となった。目尻に薄っすらと笑い皺が見える。反面、眼光は意外と鋭い。
「世話になる。同行する者にも同じ対応で頼む」
「畏まりました。菅原様、一日ではありますが、よろしくお願い致します」
「こちらこそ、お世話になります」
男性がドアを開けてくれた。乗り込む前に遠くの山が目に入る。自然豊かな土地柄を好ましく思いながらも、別の考えが頭に浮かんで少し背筋が寒くなった。
これからどこに運ばれて、何をすることになるのだろう。
先の見えない状態がやんわりと僕を苦しめた。




