第41話 三つ巴
朝が弱いこともあって必修科目の一限目を辛うじて乗り越えた。身体から眠気を追い出すような伸びをして大講義室を後にした。
講義棟を出てのんびり歩く。暖かい日差しを浴びていると意識がふわふわする。見かけるベンチが寝心地の良いベッドのように見えて、思わず横になりたくなる。
キャンパスの中程まで歩いて来て、ふと思い出す。あれから美知の風邪はどうなったのだろう。
何げなく東門の方向を見ると、ゆったりとしたベージュのワンピースに身を包んだ人物が手を挙げた。左右に振った状態で近づいてくる。
「城山さん、風邪が治ったんだね」
「拓光君のおかげで元気になったよ」
「本当に良かった。あと、訊いてもいいかな」
「なんでも聞いて。全部、話してあげる」
美知は柔らかい表情を浮かべた。
「前は間延びした喋り方だったよね」
「あれは男性にウケがいいからね。拓光君には素の自分を見せたいからやめたんだけど、もしかして前の方が良かった?」
憂いを帯びた目で身体を寄せてくる。
「城山さんが良いと思う方で」
「じゃあ、今後はこっちの喋り方にするね」
「……マジかよ」
話の内容を耳にしたルチルが強張った表情で突っ立つ。相変わらずの黒白のゴシックで頭の横には大振りの黒いバラのカチューシャを嵌めていた。
「女子高の時から、ずっとあの喋り方だっただろ」
「そうですけどぉ、それがどうかしましたー?」
「そう、それだよ! あれは全部、演技なのかよ」
「全力で猫を被っていたんだよね」
後ろ手に組んでにっこり笑う。ルチルは美知に向かって、マジかよ、と震える声で言った。
相当なショックを受けたようで驚いた目の形で固まった。
「あの、神崎さん」
見かねた僕が声を掛けても反応がない。と思えば急に走り出した。その先を見るとスウェットシャツと半ズボン姿の要がいた。
「おおい、聞いてくれ!」
「どうしたんだよ、急に」
「美知の野郎が猫だったんだよ!」
少し離れていても声が聞こえてくる。慌てすぎて日本語が崩壊しそうだった。
要は首を傾げた状態で言った。
「バリタチとか、ネコとか、あれのこと?」
「なんの話だ! 私の話を聞け!」
「聞いてるから、こっちも質問してんだろ!」
話は噛み合っていないが組み合った。相手の両肩に両腕を伸ばした状態で腰を落とす。どちらも力で上回れず、その姿勢のまま震えていた。
「あれって止めた方がいいのかな」
「前からあんな感じだよ」
「そうなんだ」
あれも一種のボディーランゲージなのかもしれない。
「それで拓光君、次の講義はどこ?」
「第三講義棟だよ」
「あ、わたしと同じ。一緒に行こうよ」
自然に手を繋いで、ね、と美知は微笑んだ。風邪が治った今でも、その可愛らしさは失われていなかった。
「こら、待て! 逃げるな!」
僕の背中越しにルチルが叫ぶ。振り返ると凄い勢いで走ってきた。事態がわからず、要があとを追いかける。
「ルチル、ちゃんとわかるように話せよ!」
「美知のヤツのアホっぽい喋り方が、全部、演技だったんだ!」
「え、えええっ!?」
ルチルと同様、要も驚いた。走る速度を上げて、説明しろ、と僕達に向かって怒鳴る。
美知は軽く握った手を顎先に当てて腰をくねらせる。
「えーと、意味がわからないんですけどぉ。わたしはいつも通りなのにぃ」
「悪質な冗談はやめろ!」
ルチルが叫んだ。美知の肩を掴んで揺さぶる。
「私を嵌めようとするなよ! さっきの喋り方はどうした!」
「さっきと同じなんだけどー。拓光君、どう思いますぅ?」
美知は僕だけに見えるように片目を閉じた。どう答えていいのかわからず、無難に話を合わせることにした。
「こんな感じだと思うけど」
「おい、拓光! 美知と一緒になって私を陥れるつもりか!」
「朝から興奮しすぎなんだよ。拓光だって困ってんだろ」
追い付いた要がルチルの肩を掴んだ。動作で振り払うと、ルチルは三人を睨むようにして怒声を上げた。
「おまえら、覚えとけよ!」
怒りで震える身体のまま走り出した。小さくなる背中に美知が声を掛ける。
「またねー」
「何だよ、アレは」
要は呆れた様子で僕に言った。
「まあ、いろいろあるんだと思うよ」
「拓光君、次の講義の時間がくるよー。急がないとぉ」
「そうだね。要は?」
「あたしは三限目だから先に第一体育館で部活だな」
運動に適した格好であっても、まだ部活は始まっていなかった。
「僕らは第三講義棟で講義だから行くね」
空いた手を軽く挙げると要に掴まれた。
「えっと、部活は?」
「第三講義棟だろ。早くしろよ」
「まあ、そうなんだけど」
僕を真ん中にして右手に美知。左手に要。どちらとも手を握って歩くと、さすがに目立つ。周囲から無言の圧力を感じる。
「あ、あのさ、なんで要までくるのかな」
「そうですよー。早く体育館に行った方がいいんじゃないですかぁ」
「いいだろ、別に……拓光の隣は、まだ空いてるんだし」
「それも、そうですねー」
美知は朗らかに笑う。表面上は穏やかであっても握る手が強くなる。
それは要も同じで左手が万力に挟まれた。
僕は手の痛みに耐えながら朗らかな笑みを作る。
両手に花? と心の中で思いながら第三講義棟へ向かった。




