第40話 美知が可愛い(2)
まずは冷蔵庫を開けてみた。焼き肉のタレが目に付いた。その横にはポン酢があり、濃縮されたレモンの小瓶が横なっていたので立てた。
他にはケチャップにウスターソース。定番のマヨネーズはかなり大きい。対抗するように縦長の麺汁が幅を利かせていた。扉の裏側のケースには何も入っていなかった。卵一つ、見当たらない。
平たい部分を引っ張ると、これも調味料なのだろうか。醤油やワサビの小袋が重なり合う。袋麺のスープまで含まれていた。紅ショウガを見ると牛丼を思い出す。
下部は野菜室だろう。引っ張ると何も入っていなかった。溜息を堪えて上部の冷凍室を当たる。
冷凍チャーハンやピザがカラフルな断層のように折り重なって入っていた。隙間を埋めるようにうどんが差し込まれ、奥の方では忘れ去られた麦茶のペットボトルが膨張した状態で凍っていた。
僕は一度、美知のところに戻った。でも、声は掛けられなかった。マスク越しに安らかな寝息が聞こえる。
そっと部屋を出ると再び探索に戻った。電子ジャーはあるので、最低でも米は見つけたい。浄水器のおかげで水の心配はいらなかった。
システムキッチンの下部を片っ端から開けた。壁に掛けられなかった鍋やフライパンが大量に見つかった。引き出しは調理器具が多く、使い込まれた木べらを見て不思議な気持ちになる。
新たに塩と砂糖を見つけた。またしても調味料で肝心の食材が未だにない。電子レンジはあっても使う気になれない。風邪を引いた美知に冷凍食品の選択肢は、はなからなかった。
買い物にいくしかないように思えた。今なら美知は眠っている。勝手に帰ったという誤解は受けないで済む。
振り返ると食器棚が目に入った。逆さまに入れられたグラスの中にビニール製の巾着袋のような物が挟まっていた。
「なんだろう」
持ち上げるとそこそこの重さがあった。雑に嵌められた輪ゴムを外し、広げると米袋だった。無洗米の表記があるので米を研ぐ必要がない。
昼が近づいていることもあっておかゆを作ることにした。手頃な片手鍋に適当な量の米を入れる。浄水器の水を注ぎ、これまた適当なところで止めた。味付けは塩の一択。他に旨味成分を加えたいと思っても日本酒やミリンがなかった。
そこで麺汁で代用することにした。色が黒くならないように小刻みに入れる。あとは焦げないように弱火で煮込み、見つけた木べらで混ぜればいい。
時間は過ぎて正午になろうとしていた。かなり米が柔らかくなった。塩を摘まんで回すように入れる。木べらでよく混ぜたあと、指に付けて味を確かめた。
程よい薄味で出汁の旨味も微かに感じる。卵とじにしてもいいと思い、卵がないことに気付いた。
幅広の漆器におかゆを入れた。スプーンも忘れない。グラスには水を八分目まで注ぎ、それらを見つけた木製のトレイに載せて運ぶ。
ドアは僅かに開けておいたので背中で押すようにして中へ入った。
美知はベッドで眠っている。起こすのは悪いと思い、自然に目が覚めるのを待つことにした。
その時は意外と早く、五分くらいで目を開けた。何回か瞬きをして僕の姿を見つけると、帰らなかったんだ、と目で笑って言った。
「帰らないよ。おかゆとお水、どっちがいい?」
「どっちも」
美知はゆっくりともがくように上体を起こした。
「ティッシュ、取って」
「わかった」
ベッドの上部の棚からケースごと渡す。一枚を引き抜いた美知は怒ったような目で僕を見た。
「見ないで」
「そうだね。ごめん」
背中を向けると思いっきり鼻をかんだ。音は聞いてもいいのだろうか。その疑問は口にしなかった。
「もう、いいよ。お水、貰うね」
「浄水器の水だけど」
「なんか、味がする」
「冷蔵庫にあった濃縮レモンを入れてレモン水にしてみた。風邪にはビタミンCの摂取が効果的って聞いたことがあるから」
「……おばあちゃんみたい」
美知は少し乾いた唇で寂しそうに笑う。手の甲で目を擦るとスプーンを手に取った。軽く掬って息を吹き掛ける。
激しい咳を心配したが取り越し苦労となった。美知はゆっくりと味わうように食べ進めた。
「味は大丈夫?」
「美味しいよ。ありがとう」
美知は少し鼻先を赤くして食べる。僕は側で、ただ見守っていた。
食べ終わると、ごちそうさまでした、と手を合わせた。
「おそまつさまでした、で返しはいいんだよね?」
「本当に、おばあちゃんを思い出す」
「そうなの?」
「そう、ここの家に住んでいたんだよ。二年前になるけど」
亡くなったとは言わなかった。僕も触れないようにした。
「冷蔵庫を見て、驚いたよね」
「調味料は多かったけど」
「おばあちゃんは料理が得意で、この家には思い出がいっぱい詰まっている」
「城山さんはおばあちゃんっ子なんだね」
「そうかも。家族はこの家を売りたかったみたいだけど、わたしは嫌だから就職を諦めて大学に入った」
昔を思い出した美知は少し怒ったような目で言った。
「そうなんだ。あの、城山さんは自炊をしないの?」
「苦手だから。拓光君は」
「僕はどうだろう。たまに作る程度だから得意とは言えないかな」
「でも、美味しかったよ」
美知は純朴な子供のような笑顔を見せた。再びマスクを付けると、眠くなっちゃった、と言って横になった。
「僕は食器を片付けるよ」
「まだ、いてね」
「もちろん。病人を放ってはおけないよ」
部屋を出た僕は食器を手早く洗った。水切りカゴに入れるとハンカチで手を拭きながら足早に戻る。
美知は仰向けの姿で寝ていた。羽毛布団から右手が出ている。何かを握るような形をしていた。
「……おばあ、ちゃん……」
寝言のあと、目尻から涙が零れた。
僕は美知の右手を握った。
「ここにいるよ」
部屋が茜色に染まるまで、ずっと側にいた。




