第37話 信じられない(2)
以前に見せられた学生証のルチルは可愛い顔をしていた。部屋も人物に合ったものを想像した。
しかし、実際は大きく違った。ファンシーではなくてファンタジーだった。
部屋全体がピンク色。壁をよく見るとハートで埋め尽くされていた。天蓋付きの桃色のベッドを初めて見た。本棚やクローゼットらしい物まで恥じらうように一色で染められていた。
唯一、テーブルだけは緑色で四葉のクローバーの形をしている。テーブルの機能が損なわれているように感じなくもない。
「まずは座ろう」
「あ、はい」
僕は手前のハートのクッションに座った。ルチルは向かいの位置に着いて思案するような顔をした。
「……柔道をやめた理由から話す」
「やり過ぎて嫌になった?」
「そんなことはない。ただ、時間がない。柔道よりも恋人探しに時間を割かなければならないんだ」
「え、そんな理由?」
「なんだと」
眉根を寄せたルチルに慌てて弁解する。
「あ、ごめん。僕も彼女が欲しいから、その気持ちはわかるよ。でも、高校の時に団体で優勝しているんだし、少しもったいないような感じもするよね」
「できれば私も柔道をやめたくはないが、そうも言っていられない。大学も頼み込んでいかせて貰った身だ。これ以上のわがままは許されない」
「その、恋人探しなんだけど、必死になる理由はあるんだよね?」
「もちろんだ。大学生活の間に恋人を見つけられないと、父親が選んだ相手と結婚させられる」
政略結婚と言う言葉が頭に浮かんだ。時代錯誤にも程があると、同時に怒りが湧き上がる。
「それ、断ることは?」
「無理だな。相手は一流企業で我が社の最大のライバル会社だ。足の引っ張り合いに疲れて、どちらも手を組みたいと思っていたらしい」
「その手段が結婚と」
「そういうことだ」
ルチルは目を伏せた。体内に不満を溜め込んで微かに震えている。その状態で右手を探るように動かし、スマホを手にした。
「相手はこれだぞ!」
スマホの画面を僕に突き付ける。
腫れぼったい目をした男性が映っていた。団子鼻で唇が分厚い。二重顎を超えた三重で首はなかった。相応に腹が出っ張り、足は短い。
「割と太いかな」
「そんな生易しいもんじゃない! 肥え太ったブタだよ、とんだブタ野郎だ!」
ルチルは画面を指さして言い切った。この部屋の趣味から考えれば、その男性は許容範囲を遥かに超えているのだろう。
「今は柔道をしている場合ではない。恋人探しが最重要課題だ。装う程度ではごまかせない。徹底的に調べられるからな」
「事情はよくわかった。でも、探している彼氏は僕でなくてもいいと思うんだけど」
「……目の前に札束が積まれている。普通なら手を出すよな?」
テーブルに片肘を突いて訊いてくる。
「その、僕なら得体の知れない大金は怖いと思う。あと警察に落とし物として届けるかも」
「そんな具体的な話はしていない! 気持ちの問題だ。懐に入れても問題ない金だとしたら、どうだ?」
「それなら、手を出すかな」
「そうだろ。今の私から見ると、拓光は剥き出しの大金だ。目の前にあれば手を出すのは当然の行為だ」
違うとは言い切れない。画面に表示された男性は同性であってもフォローが難しい。一見するとブタ。知性のなさそうな顔はカバにも見えた。
「僕にどうしろと」
「彼氏になってくれ。要の時のようなフリじゃない。本当の恋人同士になって、学生結婚を果たし、子だくさんとなって幸せな家庭を二人で築いていこうじゃないか」
「ま、待って。そんな未来の話を急にされても困るよ」
「無理強いはしない。それだと父親を納得させられない」
「そ、そうだよ。それに大学生活は始まったばかりだし、そこまで焦らなくてもいいんじゃないかな」
なだめるような笑顔で汗が吹き出しそうになる。部屋の広さが幸いしてルチルの機嫌はそれほど悪くない。話題のせいで少し怒りっぽくなってはいるけれど。
「私は信じている。こんなブタ野郎の餌食になる前に愛らしくて素敵な彼氏が現れて、私を連れ去ってくれることを」
「そ、そうなんだ」
「他人事ではないぞ」
「はい、そうですね……」
少し顎を引いて殊勝な態度で答えた。
その姿を見たルチルは表情を緩めた。
「このまま別の部屋に移動してもいいぞ。あっただろ、それっぽい部屋が」
「大きなベッドがある部屋のこと?」
「そうだ。奥にはジェットバスもあって、そこそこの広さを確保している。マットプレイも可能だぞ。どうだ、抜いとくか」
何かを握るような手を上下に動かす。合わせて口を丸く開いて連動させた。
「あ、いや、あの、今はいいです」
「したくなったらいつでも言えよ」
ルチルは可愛い顔で赤い舌を見せた。




