第35話 最初のデート
電脳の箱庭からメールで伝えられた土曜日がやってきた。最初のデートの相手は要だった。
気心知れた人物のはずなのに昨晩は寝つきが悪く、起きたばかりですでに眠い。
僕はカジュアルな麻色のスーツを着込み、ベッドの縁に座った。指定された場所に行くには早い。あと三十分は家で待機する必要があった。
手には香水の瓶を握っている。これを使えば要とのデートを失敗に導くことができる。恋人から脱落する形になるが、それが要の為になるような気がした。ルチルと美知にレズを疑われたが問題は解決済み。本当の恋愛を自由に楽しめる身となった。
そうは思っても実行に移せない。僕自身に特別な想いがあるのだろうか。
香水をポケットに入れると自室を後にした。
駅前のロータリーにある噴水が待ち合わせ場所となった。十五分ほど早くに着いた僕は通り過ぎる人々を何とはなしに眺めた。
「お待たせ」
しおらしい声の方を向いた。
要は照れ笑いを浮かべている。水色のチュニックに白い薄手のカーディガンを合わせていた。肩に引っ掛けたトートバッグも白い。膝上のスカートを気にしているようで、少し下げるような手の動きを見せた。
「なんか、新鮮に思える」
「なんでだよ」
「パンツルックを見慣れていたからかも」
要は前髪を手で梳かし、そうか、と横目になって言った。
垂れ目には子犬のような愛らしさがある。鼻は高くないものの形がよく、ぷっくりした小粒の果実のような唇は薄い紅色に光っていた。
「今日は一段と可愛く見えるよ」
「こんなところで、やめろよ。あたしだって……羞恥心はあるんだからな」
「なんか、今日の僕は少しおかしいのかも」
二人で照れ笑いを浮かべて今日のデートが始まった。その内容は要に任せている。
最初に向かった先は意外にも映画館だった。新進気鋭の女優と俳優が主役を務める恋愛物の邦画で、コミカルタッチな展開で話が進むらしい。購入したパンフレットに書かれていた。
「早く席を選ばないとな」
要に手を引っ張られ、僕達は中程の席に座った。
「恋愛物の映画が好きなんて、思いもしなかったよ」
「スポコン一筋じゃないって。あたしだって、立派な女子なんだぞ」
「今日の要は本当に可愛いよ」
「もう、いいよ。それ、聞き飽きた」
その時、照明が落ちた。頬を赤らめた要の姿が見えなくなり、少し残念に思えた。
スクリーンのコマーシャルが終わると、いよいよ本編が始まる。
三十分くらいで眠気がきた。寝不足もあると思いつつ内容に興味が持てない。過剰演出というのだろうか。主人公を含めた登場人物の誰もが、大きく仰け反って驚いた。狂気を含んだ笑い声を上げる。小さな子供のように平気で泣き顔を晒す。
要の様子が気になり、顔を横に向けた。ここにも子供がいた。半開きになった口ですやすやと眠っている。
その安らかな寝顔に引っ張られるようにして僕も瞼を閉じた。
映画の終わりを告げる曲が流れる頃、僕達は目を覚ました。どちらも驚いた顔で見詰め合う。
先に僕が笑って言った。
「いつの間にか終わったね」
「びっくりした」
「もう一回、観る?」
「また眠りたいのか?」
この映画を勧めた要に訊かれたら、出ようか、と言うしかなかった。
二冊のパンフレットは要のトートバッグに纏めて収めた。
「これからスイーツの美味しい喫茶店にいく予定にしていたんだけど、もうやめだ。こんなのはあたしらしくない」
「まあ、そうかもね」
「だから、あそこに決めた」
指さした先にはボウリング場があった。広々としたレーンなので体質が影響することはないだろう。
要の誘いに僕は快く付いていった。
専用のシューズと選んだボウリングボールを持ち、無人のレーンに向かう。
「あたしからだな」
要はボールに指を入れた。片手でぶらぶらとさせてレーン前まで歩き、振り子の原理を利用して勢いよく投げる。ゴンと音を立てたボールは凄まじい速さで滑り、並ぶピンを弾き飛ばした。当たりが強くて爆発しているようにも見える。
「ストライクだぜ!」
「なんか、すごいね」
要の選んだボールの重さは15ポンドで七キロに近い。12ポンドを選んだ僕は少し恥ずかしくなった。
名誉挽回ではないけれど、投球フォームには自信があった。前に友人と来た時に綺麗と褒められたこともある。
今回も上手く決まった。ボールは緩やかにレーンを滑り、一番ピンと三番ピンの辺りから奥へ食い込んだ。
力不足もあって奥の二本のピンが残った。
要はボックス席で渋い顔をした。
「いきなりスプリットだな。スペアは厳しいんじゃないか」
「薄く当ててみるよ」
戻ってきたボールを構え、滑らかな動作で投げた。フックボールを意識したので最後の方で少し曲がる。一本には当たった。が、横には飛ばせず、ボールと共に呑まれてしまった。
ゲームを進めていくと要にもスプリットが発生した。それを力でねじ伏せる。横に飛ばすというのではなくて、当たったピンが発狂したように暴れ回り、他のピンを道連れにした。
「ま、こんなもんだな」
最終的なスコアが表示された。
要は『196』という高得点を叩き出した。僕は『135』に沈む。
三ゲーム、立て続けでプレイしたが要には一度も勝てなかった。
ボウリング場を出ると小腹が空いていることに気付く。要も同じだと思い、目に付いたバーガーショップに立ち寄った。
予想は大当たりで、要は特大サイズのバーガーとLサイズのコーラを持って窓と向かい合わせのカウンター席に座る。その隣で僕はアイスティーを飲みながらフライドポテトをカリカリと小刻みに齧った。
「良い運動になったし、爽快な気分だな」
「こっちは腕がパンパンで、点数もアレで散々だよ」
「投げるフォームは綺麗だったぞ」
「そりゃ、どーも」
要は大口を開けてバーガーに齧り付く。豪快な食べ方を見ていると小さな不満はどうでもよくなった。
「あのさ、今更なんだけど、どうして一日デートに参加したの?」
「そうだな。どうしてだろう」
断ることもできた。元々、友達なので仲は悪くない。そんな二人に恋心はあったのだろうか。
「たぶん、ムカついたからだな」
「どうして?」
「……拓光の横に、あたし以外の誰かがいると思ったら、なんか腹が立ったんだよ」
「そうなんだ。ありがとう」
心の中に浮かんだ言葉を素直に口にした。
「なんだよ、やめろって」
照れる要はやはり可愛い。いつまでも見ていたくなる。
ポケットに忍ばせていた香水を使う機会はなさそうだった。




