第32話 二人の過去と現在
少しの不安と満腹感による幸せで土手の道を歩いて帰る。口の中に微かな麻婆豆腐の味が残っていた。レンゲのことを思い出すと少し体温が上がった。
僕の体質に影響されない撫子となら恋人になれる。思いはしても、そこから一歩が踏み出せない。相手の身体の状態が気になる。どのような手術を受けるつもりなのだろう。人には見せられないような痣が全身にあるのだろうか。
それ以前に僕は撫子にどのように思われているのだろう。レンゲに盛ったチャーハンを差し出しても驚かない。嫌がる素振りを見せないで食べてくれた。優しさからくる行動、それとも好意を示したものなのか。
「……わからないよ」
手の届くところに答えはなく、僕には何もわからなかった。
ただ、迫る危機は感じた。ルチルと美知が笑顔で横手から現れた。
「もしかして、天気がいいから河川敷でのんびりとか?」
「ああ、かなりのんびりさせて貰った」
「待ち疲れちゃいましたよぉ」
ルチルは掌に拳を打ち付ける。乾いた音が辺りに響いた。笑顔でいながら明らかに怒っている。
おそらく美知も同じ状態と思われる。穏やかな状態に隠された本性を想像すると一気に緊張が高まった。
「どうしてわたし達にぃ、一言もなくいなくなったのでしょうー」
「理由があるんだよな。今すぐ聞かせろ」
ルチルは深呼吸を繰り返す。怒りを鎮める行動に見えても、その眼光の鋭さは変わらなかった。
美知は小首を傾げて笑いながら迫る。
「その、実は僕が入ったサークルの代表と、同じ講義を受けたことが切っ掛けで、ランチに誘われたんだよ。別に二人を故意に避けたわけじゃないから」
「カフェや食堂にはいなかったぞ。本当の話なんだろうな」
「あー、でもあるかなぁ。大学は正門だけではなくてー、北門や東門もあるよねぇ」
「そう、それ。北門から中華の店に連れて行って貰って。二人は知らないと思うけど、『ガツ盛り飯店』という店名だったよ」
ルチルは即座に反応した。
「あそこか。それなら北門だよな」
「住宅街の中にあってー、あまり可愛くない店舗ですよねぇ」
「安くて腹いっぱい食えりゃ、それでいいだろ」
「猛獣がガツガツ餌を食べるイメージですねー」
美知の一言にルチルの怒りの矛先が変わった。
「おまえを先に食ってやろうか」
「きゃー、ヒグマさんにバックでガン突きされますぅ」
「性的な意味じゃねぇよ!」
ルチルは顔を赤くして怒鳴る。
漫才を見ている気分になって、僕は悪いと思いながら少し笑ってしまった。
「こら、そこ! 笑ってる場合か。拓光のせいなんだぞ」
「ルチルちゃんは処女だからぁ、この手の話には弱いんですよねー」
「お、おい! やめろ!」
「え、女の王子様でキス魔なのに?」
僕の疑問に美知が笑顔で答えた。
「そうですよー。だってぇ、要ちゃんも含めてわたし達は女子高出身なんですよー」
「まあ、それはそうだ。悪いか」
ルチルは直視を嫌がるように横向きで言った。
「高校の時、ルチルちゃんはモテましたー。いろんな女子から告白されてぇ、まるで王子様のようでしたねー」
「気高い品格とこの美貌だ。仕方ないかな」
「それもあってぇ、よく女子とキスをして立派なキス魔に成長しましたー」
「私が好きなタイプもいたからな。でもな、本気で付き合ったことはない。全部、こちらから振ってやった」
僕の方に向かって力説した。そうなると同じ環境にいた美知が異質に思えた。
「城山さんは男慣れしているみたいなんだけど、どうして?」
「んー、鍛えられたからではないでしょうかー。メインはナンパですよねぇ。あとは近くの男子校に漁りに行ったりー、合コンで気に入った男子を連れ出して摘まみ食いしたりー。あと、出会い系のアプリで大量ゲットもありましたねぇ」
「初めて聞いたぞ! おまえ、ひどすぎるだろ。色欲の怪物かよ」
「そうですかぁ? 美味しいご飯が無料で食べられますよー。いつの間にかお小遣いもアップするしぃ、楽しくて充実した女子高生活でしたー」
笑顔で言い切る美知にルチルは力なく頭を左右に振った。
「こいつはダメだ。ただれすぎて常識が梅毒に侵されてやがる」
「おもしろい表現ですねー。それはそうと拓光君。そのサークルってどんなものなのですか?」
ふいに話題を振られて少しドキリとした。
「オタク系とかじゃないとは思うんだけど、『電脳の箱庭』ってサークル名だよ。電脳世界を構築して、そこにログインすることでコミュニケーションを養うみたいな感じかな」
「コミュ障にはいいかもな」
「新しい出会い系として使えそうですねー」
「また、それかよ!」
ルチルは美知を睨む。
僕は何も言えなかった。響輝が似たような使い方をしていたこともあって。
その間に何かを考えたのだろう。ルチルは、決めた、と力強く言った。
「私もそのサークルに入ってやるよ」
「わたしもー」
「それはどうだろう。うちの大学の生徒ばかりだし」
「なに言ってんだよ。私も同じ大学だろ」
「わたしもですよー」
「え、本当に?」
二人は笑って学生証を僕に見せた。写真と本人を見比べる。
「化粧ってすごいね」
「どういう意味だ」
「わたしはスッピンでも変わらないもーん」
「おまえら、二度と見せてやらないからな」
女の王子様は意外と可愛い顔をしていた。本人は気に入らないようなので、これ以上の弄りはしない方がいいだろう。
それにしても驚いた。この二人が同じ大学に在学しているとは。同時に逃げられないとも思う。
電脳世界にいても追い回されそうな予感がした。




