第29話 欲求不満の解消法
スマホで時間を見ると一時間が過ぎようとしていた。二人は戻って来ない。コップのジュースは四杯目で、さすがにこれ以上、粘ることはできそうになかった。
帰ろうと席を立つと陽気な声に呼び止められた。
「なーんで、一人で帰ろうとしているんですか? ひどいじゃないですかー」
「やっと戻ってきたね。今までなにを――」
「びっくりしたような顔をしてぇ、どうしたんですか?」
美知が側に寄ってきたことで確信に変わる。
「あの、言い辛いんだけど、口元に毛が付いている」
「どこに、あー、これですね。口でしてあげたからですねー」
艶やかな毛を摘まんで適当に投げ捨てた。後ろからしょんぼりとした祖父が現れる。肩を落として目は伏せたままだった。
「どうしたのですか」
僕が声を掛けても反応しない。代わりに美知が明るい声で言った。
「久しぶりだから緊張したんですよー。ふにゃふにゃだと使い物にならないからー、わたしが口でしてあげたんだけど、それでもダメで顎が怠くなりましたぁ」
追い打ちとなる声に祖父は肩を震わせた。一言もない状態で背中は丸くなり、一気に老け込んだ。
「あの、そのくらいで」
「あれー、もしかしてGENさん、落ち込んじゃいました? ふにゃふにゃが原因の自信喪失っていうものですかねぇ」
「……もう、帰って」
祖父は枯れた声で呟いた。いたたまれなくなった僕は美知の手を握ると玄関に急いだ。
「GENさん、ありがとうー。この香水、大切にするねー」
「うん、帰って」
振り返って見ると祖父は項垂れたままで小さくなっていった。
帰り道、美知は少し膨れた顔で僕を見た。
「香水は本当に嬉しいんだけどぉ、中途半端で欲求不満になりましたぁ。このあと、どうしましょうか」
「それって大きな独り言ではなくて、僕に訊いていたりする?」
「そのつもりですが?」
不思議そうな顔で言われた。美知は前屈みになると上目遣いで笑みを浮かべた。
あざといけれども本当に可愛い。同時に怖くもなる。
「特にすることはないから、家に帰ろうかと思っているんだけど」
「えー、その選択はありえないでしょー。こーんなに可愛いわたしがいるのに帰るなんて、そんな行動が許されるわけないじゃないですかぁ」
「そう言われても困るんだけど」
本当に困って上手く笑えない。美知は、ふーん、と声に出して頷いた。
「もしかして金欠ですか?」
「まあ、今月はちょっとピンチかな」
「それで自宅でしようと思っているわけですねぇ。わたしとしてはそれでもいいですけどぉ」
含みのある言い方で美知は僕との距離を詰める。逃げの一手と思っても判断に迷う。美知とルチルには住所が割れていた。
「逃げないでくださいねぇ。家まで行っちゃいますよー」
「要から聞いたんだよね」
「そういうことですぅ」
可愛らしい外側に騙されてはいけない。ルチルとは別物の危険を孕んでいる。
僕は歩きながら利用できるものを探した。飲食店は無視した。空地は使える気がしないので他を当たる。
その時、小さな公園が目に付いた。隅には規模と釣り合いの取れていない立派なトイレがあった。白い外壁は綺麗で、最近、完成した物のように思えた。
美知は僕の視線の先に気付いて口をへの字に曲げる。
「どれだけ貧乏なんですかー」
「興奮するかもしれないよ。そしたら欲求不満も解消するんじゃないかな」
美知は考えるように口を閉ざす。トイレの外観の良さもあって、ほんの少し、と声を落として急ぎ足で公園へ向かった。
内部は男女に分かれていた。どちらにも個室と多目的トイレがあった。
美知は左右を覗き込むようにして真剣に考え始める。
「多目的トイレは広々として使い易いと思うのですが、興奮の度合いが少ないように思うんですよねぇ。個室は上と下が開いていて、スリルがありそうですぅ。あとはどちらの性別のトイレを利用したらいいのかもぉ、迷うところですねー」
くねくねしながら纏まらない考えを垂れ流す。僕はその間に香水を掌に吹き付けて首筋と手首に擦り付けた。残りは顔を洗うようにして匂いを強める。
「男性用でいいんじゃないかな」
勇気を振り絞って美知の肩を強引に抱いた。
密着した途端、あぁ、と微かな声が漏れた。僕の掌に相手の震えが伝わる。ゆっくり歩き出すと、美知は抵抗なく歩いた。
男性トイレの個室へ一緒に入る。真新しい洋式便座で、中はかなり狭い。
「……もう、ダメ。立って、いられない」
美知は便座の上に力なく、ぺたんと座った。喘ぐような荒い息となって僕の股間に手を伸ばし、チャックを下ろそうとした。
阻止する為に僕は前へ出た。美知を正面から抱き締めて耳元で囁く。
「自分で弄って。気持ち良いところ、よく知っているよね」
「あぁ、そんな。してぇ、ここで、お願い。おかしく、なりそう」
「僕を楽しませてよ」
十分に匂いを染み込ませた僕は素早く引いてトイレのドアを閉めた。
「ま、待ってぇ。もう、ガマンできないのにぃ」
「ここにいるよ。君の手は僕の手だよ。ほら、胸を揉んで」
欲情が溢れて抑えられないのだろう。喘ぎ声が大きくなった。
「僕の手がスカートに潜り込むよ。することは、わかっているよね」
「あぁ、そんな。言葉だけで……すごい、グチョグチョ。こんなの、初めて――」
あとは僕がすることは何もなかった。切なげな声を勝手に加速させて、一度目の絶頂を迎えた。静まったのは数秒だけで、また激しい行為が続く。
置き去りにするのは少し気が引けるけれど、ルチルと同様、得体が知れない。
心の中で、ごめん、と謝った僕は静かにその場を後にした。




