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第28話 魔性

 サンドイッチを食べ終えた僕は横目で美知の様子を窺う。カプチーノを飲む度に、ヒゲが生えますぅ、と自前のハンカチを口元に押し当てた。自然を装った演技なのだろうか。ルチルのこともあるので油断はできない。

 かと言って腹の探り合いは精神的に疲れる。演技は性に合わないのもあって、早々に核心を突くことにした。

「今日の待ち伏せの理由を訊いてもいいかな」

「いいですよー」

 偶然を装っていながらあっさりと白状した。失言の類いではないらしく、愛らしい笑顔を向けてきた。

「その前に匂いチェックですぅ」

 美知は僕の首筋に鼻を近づけた。小刻みに吸うと不機嫌な顔になった。

「喫茶店の時の良い匂いがしないじゃないですかー。なんか、腹が立ってきました」

「ごめん、今日は使ってないけど、香水に興味がある?」

「容器が可愛いですよねー、わたしと同じで」

 自信過剰と言えないところがもどかしい。

「それで容器を集めているとですねぇ。中身も好きになってー、今ではコレクションが百を超えましたー、パチパチパチ」

「それはすごいね。そうなんだ、そんなに香水が好きなんだね」

「大好きですよ。そんなわたしが知らない匂いをさせているから、もう、気になって。あれはどこのブランドですか?」

「どこのと言われても困るんだけど。あれは祖父が作ったオリジナルだから」

 女性を魅力させる香水とは口にできない。祖父は失敗作と恥じていながら、その実、恐ろしい効果を秘めていた。未だに原理がよくわからない上に個人によって効き目も異なる。

 それは体質にも言えて要はあまり影響されない。撫子に至ってはゴンドラのような狭い空間でも問題がなかった。

「ねぇ、ちゃんと聞いてますぅ?」

「ごめん、考え事してたよ。それで、なに?」

「だーかーら、その祖父の名前を教えて欲しいのですよ!」

「知らないと思うけど……菅原すがわら源一郎げんいちろうって聞いたことある?」

 美知は、えー、と声を上げた。

「本当に!? それ、本名ですよね!」

「本当だよ」

「すごいじゃないですかー! 有名ブランドメーカーのGENが祖父なんて羨ましいにも程がありますよぉ」

 この怒りはどちらなのだろう。美知は僕の肩を何度も平手で叩いた。

「そんなに祖父はすごいの? 全然、実感がないんだけど」

「すごいですよ! 一瞬で駆け抜けるような爽やかな香りで一世いっせい風靡ふうびした『クーランデール』シリーズの生みの親ですよー! すごくないわけがないじゃないですかぁ」

 いつの間にか、平手が拳に変わる。叩く速度も上がってかなり痛い。

「わかったから。そんなに興奮しないで」

「もしかしてぇ、今のわたしは可愛くなかったですか?」

「それなりかな。でも、驚いた。今度、祖父の家に行った時、もう少し詳しく話を訊いてみたくなったよ」

 美知の目が輝く。胸を押し付けるような格好に僕は軽く引いた。

「もしかしてGENさんの家は近いのですか」

「まあ、近いかな。ここから歩いていけない距離ではないし」

「会わせてください! 実は『クーランデール』シリーズで買い損ねたものがあるのですよ! もう二度と手に入らないと思っていたのに、今日はなんて素晴らしい日なのでしょうー」

 連れて行くとは言っていない。匂わせてもいないはずなのに、この喜びを間近で見ると非常に断り難い。

「あの、これから三限目の講義があるんだけど、それが終わってからでいいかな」

「いつまでも待っています! 感激と期待で胸が膨らみます!」

 思わず、胸に目がいく。重そうに揺れていることもあって、これ以上は大きくならない方がいい、と勝手に思った。


 再びカフェで落ち合った僕は美知を祖父の家へ連れていった。その間、GENブランドと言える香水の数々を挙げては一人で喜びの声を上げた。

「大きい家なのですぅ」

「まあ、そうなのかな」

 壁にあるインターホンを押した。少しの間のあと、苛立つような声が返ってきた。

『押し売りはお断りだ』

「孫の拓光です」

『香水がなくなったのか』

「違いますが、門扉を開けて貰えないでしょうか」

『庭木の剪定せんていで忙しい。また今度にしろ』

 ちらりと美知を見ると祈るように手を組み、顔を左右に震わせた。

「若くて可愛い女性が一緒なのですが、それでもダメですか」

『今すぐ開ける』

 美知は飛び跳ねて喜んだ。


 祖父はテンガロンハットを被った状態で現れた。短い時間がネックとなってスーツに着替えることはできず、茶色い作務衣を着ていた。その格好で僕達を洋室に連れていった。

 そこには飴色のミニカウンターがあり、ワイングラスが逆さまに吊るしてある。特注と思われる棚には各種の洋酒が並べられ、シェイカーやアイスピックなどの道具も揃っていた。

 バーテンダーとなった祖父はカウンター席にいる僕に目を向けた。それでいて隣に座る美知の胸をちらちらと見る。

「今日の用向きを訊こうか」

「今でも現役だと思いますが、調香師としての祖父の話をしたところ、城山さんがどうしても会いたいと言いまして、ここに連れてきました。ご迷惑だったでしょうか」

「迷惑などあるものか。若くて可愛い女は俺の大好物だ。一目でボリュームのある胸が気に入った」

「ありがとうございますぅ。わたしもあのGENさんに会えて、とても光栄です」

 祖父の剥き出しの欲望をやんわりと言葉で包み込む。

 共通の話題を得た二人が話し込む前に僕は美知の耳元で囁いた。

「城山さん、あのシリーズの話は」

「そうでしたー。あのぉ、初対面で図々しいお願いだとは思うのですがー、『クーランデール』シリーズの初期の三番をお持ちではないですか?」

「あのシリーズなら全て揃っている。もちろん三番もあるぞ」

 美知は折り畳みの財布を出した。

「是非、売ってください! 言い値で買いますぅ」

「熱烈なファンにそんなことはしない。タダでやる。詳しい話は寝室でしよう。拓光、そこの冷蔵庫に飲み物は用意してある。好きな物を飲んで待っていろ」

 祖父の露骨な誘いに美知は微塵も動じない。恋人のように腕を絡ませて笑顔で出ていった。

「なんだ、これ……」

 僕の常識が激しく揺らいだ。

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