第27話 美知と綾芽
かなり早くに出掛ける用意ができた。僕は自室でスマホを取り出し、要にメッセージを送った。
『どうして僕の住所を教えたの?』
気長に待とうと思ってベッドに寝転がる。五分と経たずにメッセージが戻ってきた。
『ごめん。どうしても会いたいとせがまれて、ルチルに教えてしまった』
『早速、家に押しかけてきたよ』
『やられたのか!?』
何をとは訊き返さない。男女間の問題は要であっても恥ずかしい気持ちになる。
『やられてない。彩音のおかげで助かったよ』
『柔道してたんだよな。今回はルチルの暴走はあったが、頭が冷えれば大丈夫だろ。あたしと拓光は付き合ってることになってるんだからな』
ここで僕の指が止まった。カマを掛けられた結果ではあっても、本当のことをルチルに言ってしまった。迷った末にメッセージを入れた。
『口が滑って本当のことを知られてしまった』
『マジかよ! どうすんだよ。アイツ、また来るぞ。それに柔道の黒帯だし、寝技に持ち込まれたらマジでヤバイぞ』
『要が僕の住所を教えなければ良かったのに』
その後、少し経ってメッセージが届いた。
『悪かったよ。あいつら、あたしのことを誤解していたって、すごく素直に謝ってきたんだよ。こっちも気分がよくなって、つい口が滑ったというか、そういうことだ』
どちらも口を滑らせた事実は変わらない。過去を悔やんでも仕方がないと思った、その時、ある言葉に目が留まる。
『あいつら、ってことはもう一人も?』
『ルチルのあとに美知もきて、まあ、そういうことだ』
思わず、溜息が漏れた。美知はどのように豹変するのだろうか。自宅には来ていないので何もなく終わるパターンもあるかもしれない。希望的観測ではあるけれど。
『あの二人には気を付けるよ』
『特にルチルな。あれは手強いぞ。寝技もそうだが、締め技が強力だし、投げ一本で相手を失神させることもできる。マジで油断するなよ』
僕が対処できる範囲を軽く超えているように思う。それでも強がってメッセージを返した。
『自慢の逃げ足があるから平気だよ』
ゴスロリ以外の服だと、それさえも通用しない気がする。これ以上は考えても仕方がない。大学にいくと伝えて話を終えた。
講義は三限目。まずは腹ごしらえとキャンパス内のカフェへ向かう。
一般の人も利用していることもあってかなり混雑していた。
「あれあれー。珍しいところで会いましたねぇ」
「そう、ですね」
待ち構えていたようにも思える。
今日の美知はふわふわともこもこを合わせたような黄色いドレスを着ていた。栗色のソバージュは片方に集めて緩く編み込んで前へ垂らす。ぱっちりした目に長い睫毛が印象的で、最初に会った時と同様にド派手で可愛らしい容姿をしていた。
当たり前というように僕の右腕に抱き着いて、相席しましょうー、と間延びした声で微笑んだ。ふくよかな胸に挟まれた部分に意識がいかないように胸中で九九を一心に唱える。極度の緊張は汗を呼び込み、体質による影響が顕著になる。その為、深呼吸が欠かせない。
サンドイッチとカフェラテ、それに美知のカプチーノをトレイに乗せて席を探す。
「おい、こっちだ」
一人の女性が手を挙げた。黒のビジネススーツにしては際どいところまで胸元が開いている。胸の谷間どころか、中身が零れ落ちそうな感じがした。隣にはサークルに復活した隆志がいて深刻な顔で項垂れていた。
「坊や、久しぶりだな」
「お久しぶりです」
「そこの馬鹿丸出しの女は誰だ?」
「まさかとは思いますけどぉ、わたしのことですか、おばさん」
にこやかな顔で返す美知に隆志は頭を撥ね上げ、目を剥いた。恐怖に引き攣る顔を全力で左右に振り続けた。
綾芽は足を組んだ。大人の余裕を見せつけるような笑みで言った。
「死にたいのか?」
「わたしよりもぉ、おばさんの方が寿命は短いと思いますよー」
「二十代の私はおばさんではない。そうだろ、隆志」
血走った眼を隣に向けた。隆志は脂汗に塗れた顔で無理に笑顔を作る。
「もちろんです! 二十八は若者の範疇に十分に入ります。その美貌が保証しています。こんなアバズレ女の世迷い言に耳を貸す必要は微塵もありません」
「なんかー、この人、笑えるかもぉ。全力で媚びてるよー」
美知は指さして笑った。言われた隆志は泣きそうな表情で目を吊り上げた。
キリがないと思い、僕は当たり障りのない笑みで姉弟のいるテーブル席に落ち着いた。怖いもの知らずの美知は隣に座る。
「あの、綾芽さん、今日はどうしてここに?」
「我が社の社員の非礼を耳にした。悪かったな。粛清したので今後は安心していい」
処分よりも重く感じる。降格や減給のレベルではないのだろう。隣にいた隆志が目に見えて震え出す。その怯えが粛清の内容を物語っていた。
「……ありがとうございました」
「へー、このおばさん、お偉いさんなんですねー」
「お前、食い応えのありそうな胸をしているな。魚の餌にもってこいだ」
「若くてぴちぴちだから弾力があってぇ、口に合わないですよー。それより適度に弛んだおばさんの方が美味しくいただけると思いますよ」
綾芽と美知は同時に立ち上がった。
「お、落ち着いて。お願いします!」
隆志は震える声で懇願した。
その時、スマホの呼び出し音が鳴った。僕のものではない。隆志でもなかった。
綾芽は相手の目を見たままスーツのポケットからスマホを取り出し、無駄のない動きで耳に当てた。
「どうした?」
話に聞き入るような沈黙のあと、苦々しい顔になった。
「その案件は済ませた……そうか。先方はどう言っているんだ……待て。その判断は直に会って決める」
通話を終えた綾芽は美知に向かって笑う。
「命拾いしたな」
「そうなんですかぁ?」
「坊や、名残惜しいが、また」
「はい、お仕事、がんばってください」
内心の動揺を隠した僕は爽やかに見送る。隆志は魂が抜けたような状態でふらふらとどこかへ歩き去った。
「怖いおばさんですねぇ」
「城山さんの言動が、一番、怖かったよ」
僕は苦笑いでサンドイッチに齧り付いた。




