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第26話 上品で下品

 強烈な個性が際立つ二人組から逃げ切って、翌日から平穏な大学生活が始まる。

 二限目の講義が終わり、キャンパス外のコンビニへ行こうとした時、要を見かけた。気になったので僕から声を掛けた。

「あの二人組、その後はどう?」

「あ、うん。もう平気だから」

 要は視線を合わせようとしない。疑問を口にする前に、急ぐから、と自ら言って駆け出した。

 いつもと違う態度に違和感を覚えたものの深くは考えなかった。コンビニ弁当で腹を満たし、午後の講義を受ける。

 西日で空が焦げる頃、のんびりと土手の道を歩いて自宅に帰り着いた。

 それから三十分後だろうか。玄関のチャイムが鳴った。

 隣のドアの開く音がして軽快に階段を下りていく。両親が不在もあって彩音に任せた。僕はノートパソコンを開き、今日の講義の内容を振り返る。

 数秒後、彩音は駆け足で戻ると激しくドアを叩いた。

「兄さん、観念して出てきなさい」

「意味がわからないんだけど」

 慌てて椅子から立ち上がり、ドアを開けた。彩音は射殺すような目を向けてきた。

「自分の体質も考えずにとんでもないことをしてくれますね。これから起こることは自己責任でお願いします」

「あの、話が見えないんだけど」

「玄関で人を待たせています。早く行ってください。それとこの家の壁は思っているよりも薄いので、いかがわしい行為に及んだ場合は私の判断で速やかに通報させていただきます」

 凛々しい顔で一睨みした彩音は足早に隣の自室へ戻っていった。

 本当に訳がわからない。首を捻りながら階段を下りて玄関に向かう。

 そこにいた人物を見て、更に意味がわからなくなった。

 この人は誰だろう。色白に似合う白いワンピースを着ていた。清楚なイメージの一重で鼻は高く、それとなく気品を漂わせていた。

「突然の訪問で驚かれていると思いますが、ご容赦ください」

「あ、いえ。上がってください」

 反射的に声を掛けたが、未だに誰なのかわからない。

 女性は脱いだ靴を揃える為に背中を向けた。黒くて艶やかな髪を丸めている。シニヨンだろうか。白くて大きなリボンの髪留めが可憐であった。

 二階の自室に案内する間に考えた。過去で関係した女性を頭に思い浮かべては消した。該当する人物がいないまま部屋へ招き入れた。

「少し待っていてください。飲み物を用意します」

 異性と密室は相性が悪い。帰って間がないのでパーカーのポケットには香水の瓶が入っている。少量の利用で、この難局を乗り越えることができるかもしれない。

 逆に量を間違えると隣にいる彩音に通報される。細心の注意が必要となった。


「お待たせしました」

 トレイには二人分の淹れ立ての紅茶が香る。糖分には氷砂糖とメイプルシロップを用意した。

 滅多に人を招くことがないのでテーブルの類いはなく、女性の目の前の床にティーカップを置いた。

「なにもない部屋でごめんなさい」

「ベッドの下にエロ本もありませんでした」

「それは、え?」

 さりげなくえげつないことを口にした。相手をまじまじと見たが、やはり誰なのかわからない。

 こちらの内面を察したように女性は穏やかに言った。

「要さんに頼み込んで住所を教えていただきました。覚えていますでしょうか。喫茶店で初めてお会いしたルチルです」

「あの、ゴスロリの?」

「そうです。記憶に残っていたことをとても嬉しく思います」

 女の王子様はお姫様として現れた。顔を見るとノーメイクに思える。素の顔は清楚でいて、それなりの気品を備えていた。

「要が教えるなんて、信じられない」

「本当のことです。あとあなたと恋人のフリをしていた話も聞いています」

「そこまで。まあ、演技には自信がなかったから、仕方ないけど」

「やはり、そうでしたか」

 ルチルは悪役さながらの笑みを浮かべた。

「今のは違う。口が滑って」

「今日は逃がさないよ」

 ルチルは本性を現した。僕が立ち上がると突進してベッドに押し倒す。無駄のない動きで馬乗りとなって両手首を掴んだ。

「逃がさない」

「ま、待って」

「待たないし、もう待てない」

 凄みのある笑顔を近づけると同時に目が潤み始めた。

「こんな気持ちになるのは初めてだ」

「早く飲まないと、紅茶が冷めるよ」

「どうでもいい。私はおまえが欲しい」

 言い訳を封じるように唇で栓をした。キス魔と名乗ることはある。強引でいながら舌の動きはとても優しく、口内を愛撫あいぶする。蕩けるような感覚が全身に伝わって急速に力が抜けていった。

「もっと、おまえが欲しい」

 唇が離れた瞬間、拘束された腕も緩む。渾身の力で右手を引き抜き、懸命に壁を叩いた。

「なんの真似だ」

 疑問を口にしたルチルは止めさせようと手を伸ばす。

 その寸前でドアが勢いよく開いた。

「兄さん、通報しますよ!」

 彩音の登場にルチルが僅かに怯む。馬乗りにされた僕を見て表情が一変した。

「あなたは何をしているのですか。そのような不埒ふらちな真似は妹である私が断固として許しません」

「どうするつもりだ?」

 半笑いのルチルは僕から離れた。彩音に標準を定めて摺り足で近づいた。

「投げ飛ばします」

「やってみろよ」

 彩音は飛び出した。ルチルの襟を掴み、腰に乗せるような姿で投げの動作に入る。それを見越して自ら跳んで足で踏ん張る。

「技の切れがイマイチだな」

「あなた、経験者ですね」

 いつの間にか、ルチルは彩音の奥襟を掴んでいた。もう一方で肘の辺りを掴み、やや前傾の姿勢となった。

 彩音の表情が歪み、床に片膝を突いた。凄まじい力が掛かっているようだった。

「どうした?」

 答える余裕がないのか。彩音は唇を震わせた。

「おまえ、高校生だろ。私の顔を知らないのか」

「誰が、まさか!?」

「雑誌に取り上げられたからな」

 ルチルは力を抜いた。彩音は床に両手を突いた状態で息を整える。

「……昨年の国体の団体で、活躍した神崎さんですね」

「言葉が足りないな。柔道の団体で優勝した主将の神崎だ」

 僕は二人の遣り取りを聞いて納得した。手首を見ると赤い手形がはっきりと残っていた。

「邪魔が入ったので今日は大人しく帰ります」

 こちらに振り返ったルチルは控え目な笑みを見せた。

「必ず、あなたを丸裸にして全てを貰います。では、ごきげんよう」

 下品と上品を兼ね備えたルチルは紅茶に目もくれず、楚々(そそ)とした態度で部屋を出ていった。

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