第24話 命懸けの交渉
大学で響輝の姿を見なくなった。スマホは電源が落とされているようで繋がらない。事情を知ってそうな学生に当たっても有力な情報は得られなかった。
三日も音信不通になったことはないので、僕は講義が終わったあと、彼の下宿先を訪ねた。
メゾネットタイプのアパートは洋風で中は相当に広い。二階にあるダブルベッドの用途は訊くまでもない。本人は話したそうにしていたけれど。
僕は意を決して呼び鈴を押した。一回では出て来なかった。二度、三度と続けている内にドアが開いた。その顔を見て正直、驚いた。
「どうしたの、それ」
「拓光か。まあ、折角きたんだし、上がれよ」
顔の左半分が酷く腫れていた。瞼は青黒く、半ば目を閉じた状態で笑った。
只事ではない。高校からの付き合いなので喧嘩っ早い性格であることはわかっている。タイマンとかで唇を切ったくらいは見たことがあっても、このような姿は初めて目にした。
通された部屋で僕は一言もなく、ソファーに座った。手前のテーブルにミルクティーの缶が置かれた。響輝はコーヒーの缶を開けて一飲みすると、隣に腰掛けた。
気まずい沈黙のあと、自ら口を開いた。
「心配させたようで悪かったな」
「それはいいけど、その怪我は?」
「……オフ会のあと、俺は女に会った」
響輝は苦笑いで話し始めた。
「ジェスチャーに要が怒っていたよね」
「ああ、そうだな。そこは少し反省だな」
やや場が和んだものの、響輝の表情はすぐに暗くなる。
数秒の間を経て自嘲気味に笑った。
「その女は組関係の情婦だった。やってる最中を見られて言い訳もできなかった」
「それは、タイミングが最悪としか……」
「ボコボコにされてスマホを取られ、実家の電話番号も知られてしまった。慰謝料は百万だそうだ。学割でもう少し安くしろよと思ったけどな」
笑えないギャグに僕は困って苦笑いにとどめた。
「そのお金、どうするつもり」
「まあ、払うしかないかな。スマホを返して貰わないといけないし」
「でも、百万だよ」
「そうだな。実家は頼りたくないから複数のサラ金で借りることになるかな」
笑った顔が泣いているように見えた。
「期限はあるのかな」
「今日だ。午後八時にファミレスで落ち合う予定になっている。そろそろ出ないとマズイな」
「本当に組関係なのかな。素人による美人局って可能性は?」
響輝はズボンの後ろに手をやった。取り出した財布の中から一枚の名刺を僕に見せた。
「これが、相手の会社だ。俺なりに調べてみたが、フロント企業だったよ」
名刺に書かれた企業名に注目した。愛クリーン株式会社とあった。
「その場には僕がいくよ」
「なんでだよ。拓光は関係ないだろ。それに百万だぞ」
「響輝のスマホは返して貰う。お金は一銭も払わない。心配しなくていいよ」
「どうやったら、そんなことができるんだよ」
「まあ、とにかく安静にしていてよ。相手との交渉が上手くいかなかったら、その時はまた二人で考えればいいさ」
僕はミルクティーの缶を掴んで一気飲みした。
午後八時になる直前で指定されたファミレスに着いた。窓際の一番奥を見ると、黒いスーツを着た人物が座っていた。肩幅が広く、その背中から異様な雰囲気が感じられた。
心の中で自身を奮い立たせて歩き出す。
「お待たせしました」
一声掛けて、対面の席に着いた。
「おまえは」
「お久しぶりです」
大学で僕を拉致した二人の内の一人であった。
「どういうことだ」
「彼は僕の大学の友人です」
「そうか。おまえが百万を払うんだな」
声を落として訊いてきた。
「そんな大金は学生の身分で用意できません。それよりも彼のスマホを返して貰えないでしょうか」
「ふざけるな!」
テーブルに拳を叩き付ける。その怒声に周囲の客の目を集めたが、相手を見て一瞬で散っていった。
「ふざけてはいません。至って真剣です。彼に聞いたところ、女性から誘ってきたそうです。その点について、どう思いますか」
「それがどうした」
「彼だけが悪いと思いますか」
踏ん張りどころと思って、僕は強い態度に出た。
「俺の立場はどうなる。この世界は舐められたら終わりなんだよ。わかるよな」
「怒る気持ちはわかります。ですが、男女間で二股なんて、よくあることじゃないですか」
相手は苦々しい顔で睨んできた。
「メンツの問題だ。やられたらやりかえす。それだけだ」
平行線は交わることがない。どうやら切り札を使うしかないらしい。
「姐御は今回の一件、知っているのでしょうか」
「……姐御は関係ない」
「僕では払えない額なので、姐御にお金を借りてもいいでしょうか」
「それはやめろ」
「いいのですか? 百万を払えなくなりますよ」
トドメのつもりで言った。
相手は深い溜息を吐いた。おもむろにスーツの内側に手を入れる。拳銃を出されるのかと思い、内心では生きた心地がしなかった。
「スマホを返してやる。百万も無しだ」
「ありがとうございます」
「姐御に告げ口をしたら殺す」
その目付きを見れば真実とわかる。僕は平静を装って言葉を返した。
「わかりました。こちらも傷害罪で訴えることはしません。これでいいでしょうか」
「よくはないが、仕方ない。おまえの友人にも伝えろ。俺の女に手を出せば、次はないと」
「しっかりと伝えます。話がわかる方でこちらも助かりました。ありがとうございます」
最高の笑顔で言うと、舌打ちをされた。
相手は先に席を立ち、振り返ることなく立ち去った。
僕は立てなかった。腰が抜けるというのはこのことなのだろう。
おそるおそる現れたウェイトレスにひとまず、飲み物を注文した。待っている間に財布を取り出し、一枚の名刺を抜き取った。
『愛クリーン株式会社 代表取締役社長 木下綾芽』
電話番号は使わなかったものの名刺の力は利用した。今回は本当に助かった。礼をいうように僕は深々と頭を下げた。




