第22話 安らぎ
座っているソファーの右側が軋んだ。続いて左側が鳴った。僕の左右の太腿に当たるものはなんだろう。
「もう少し頭を上げな」
「は、はい?」
声の出所が相当に近い。相手の体温のようなものを微かに感じる。太腿を軽く左右に開いてみると柔らかい感触が伝わった。
女性は膝立ちの状態でソファーに乗っているのでは? その思いを強めて少し顔を上げた。相変わらず、なんの光も感じない。
唇に小さな突起が当たる。柔らかく、その本体も同じで妙に温かい。
「口を開けないと入らない」
「も、もしかして、これは」
「黙って咥えな」
怒りを滲ませた声が降ってきた。言われた通り、僕は小さく口を開いた。小さな突起はするりと口の中に入り、本体が鼻先に当たった。本当に柔らかい。少し汗ばんでもいてしっとりした感じを受けた。
「この状態ですることがあるだろ?」
柔らかいものを左右に揺らす。迷いながらも口をすぼめて小さな突起を舌で上下に動かした。左右も試してみた。
「このぎこちない感じが、いい」
僕の頭に手を回す。優しく撫でられていると、こちらも尽くしたい気分になった。舌は勢いづいて小さな突起に襲い掛かる。本体が弾んで躍動する。
抗うように突起は身を固くした。舌先で押し込むと、あ、と上から喘ぐような声が聞こえた。喜びが含まれているように思えて舌は奮い立つ。
気が付くと夢中になって吸っていた。
「こっちも、頼む」
ちゅるりと口から抜け出すと新たなものが口の中に入り込んだ。同じように舐めて、吸って、少し噛んだ。
頭を抱え込まれ、いいよ、いい、と何度も耳にした。左右の太腿に不自然な震えが伝わる。間もなく太腿に重みが加わった。
女性は太腿に座った状態で尚も僕の頭を抱え込んだ。
「坊や、いいよ。温かい愛を、感じる」
その声は優しい。我が子に向けられているように温かい。
どれくらいの時間が過ぎたのだろう。顎の付け根がだるくなってきた。
「ありがとな。坊やは最高だよ」
女性は自ら離れた。靴音が遠ざかり、着替えを始めたのだろうか。また戻ってきて向かいのソファーに座る音がした。
「もうアイマスクはいらないだろう」
「わかりました」
外すと正面に女性が座っていた。パンツルックとなり、僕に向かって微笑んだ。
「隆志はどうする」
「どうと、言いますと?」
「産業廃棄物用に買った山がある。ついでに隆志を埋めて来ようか」
優し気な顔でとんでもないことを言い出した。夢心地は消し飛び、一気に現実に引き戻された。
「そ、そんなことはしなくていいです。ただ、迷惑な行為をしないでくれれば、それでいいです」
「坊やは優しいんだな。指はどうする? 一本、それとも二本か」
「なにもしなくていいです!」
「こちらで上手く処理する。坊や、悪かったな」
女性は自分の膝に手を置いて、軽く頭を下げた。思いもしない展開に大いに焦る。
「あ、あの、やめてください。こちらも、対応がまずくて。だから、お互い様ということで」
「いや、今回は隆志が悪い。そこは曲げられない」
女性は立ち上がった。
「途中まで送る」
「ありがとうございます」
同じように立ち上がると女性は柔らかい笑みで両手を広げた。意味がわかったので近づいて抱き締めた。相手の手が僕の背中に回る。
「……気持ちが安らぐ。また会いに来てくれるか?」
「姐御さんが、よければ」
「木下綾芽だ。今度からは綾芽と呼んで欲しい」
「わかりました、綾芽さん」
さすがに呼び捨ては厳しい。年上にも見えるので最低限の配慮は必要だろう。
「坊やのくせに」
抱き締める力が強くなる。胸の膨らみに意識が急速に傾く。僕は斜め上を見ながら心の中で般若心経を必死になって唱えた。
大学の正門で降ろされた。リムジンの窓が開き、綾芽が顔を覗かせる。
「家まで送らなくていいのか?」
「そこまでして貰うのは気が引けるので」
「そうか。また困ったことが起きたら、名刺に書かれた電話番号を利用するんだよ」
「わかりました。今日はありがとうざいました」
笑顔を交わすとリムジンは走り出した。もう黒い棺には見えなかった。
翌日、今日の空と同じように明るい気分で大学にやってきた。三限目の講義には余裕で間に合う。
それはいいとして、正門の辺りに人だかりができていた。何かあったのだろうか。
近づいてみると一人の男性が道に正座をしていた。バリカンで刈られた頭は高校の時の野球部を思い出す。
男性は僕の姿を見ると凄い勢いでにじり寄る。
「今回の件は全て俺が悪かった! どうか寛大な心で許して欲しい。お願いします!」
「あの、もしかして木下先輩ですか?」
「そうだ、木下隆志だ。すまなかった。この通りだ」
道に額を押し付けて土下座をした。その姿のまま早口で喋る。
「姉は恐ろしい。実弟であっても容赦しない。だから許すと一言でいいから、頼む。録画されているんだ。だから、許してくれ」
周囲にそれとなく目をやると屈強な男性が目に付いた。
「先輩はそんな恐ろしい人物に僕を襲わせたんですね」
「本当にすまない。もう、二度と君に危害を加えない。サークルにも関わらない」
「それは困ります。これからも相談役として、サークル活動を助けて貰えると嬉しいです。僕はプログラムに疎いので」
「わかった。できるだけのことをすると約束する」
この判断は間違っていないと思う。共にサークルを立ち上げて、あの素晴らしい電脳世界を作り上げた実力は本物で、何より撫子の喜ぶ姿が目に浮かぶ。
「わかりました。先輩を許します」
「ありがとう。本当にありがとう」
涙ぐんだ声を聞いたあと、僕は腕を引っ張って立たせた。皮肉屋の顔は失われ、くしゃくしゃの笑顔で泣く隆志がいた。
意識を周囲に向けると、屈強な男性はいつの間にかいなくなっていた。
「僕はこれで」
正門で別れた僕は晴れ晴れとした気分でキャンパス内を歩いていった。




