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第21話 黒い棺

 一限目が終わると僕は小走りで正門に向かう。妙な胸騒ぎがする。撫子のアパートで聞かされた内容と無関係ではない。

 このような日は早めに家に帰って、一時的な引き籠りになった方がいいだろう。

 正門の前の道路を見た瞬間、生存本能が働いた。ジャケットのポケットに素早く手を突っ込む。その状態で香水を掌に掛けて首筋と手首に痛いほど擦り付けた。

「来て貰うぞ」

 低い声は僕に後ろを振り返る時間も与えなかった。両方の肩を同時に掴まれた。その状態でスーツ姿の強面の二人が僕を挟み込んで歩き出す。

 道路に横付けされた黒いリムジンは間近で見ても巨大なひつぎにしか思えない。助けを求める間もなく後部のドアが開き、そこに僕は押し込まれた。

 車内は想像以上に広い。中央の細長い黒のテーブルを挟むようにして白いソファーが設置されていた。左手のソファーの中程には赤いドレス姿の女性が足を組んだ姿で座っている。僕は対面のソファーに座らされた。

「これが隆志たかしの言っていた男なのか?」

 女性はサングラスを外して、まじまじと見てきた。やや前傾の姿は豊かな胸を強調してはっきりとした谷間を作る。目のやり場に困るが、そんなことを考えている場合ではない。命の危機に晒されていた。

「姐御のおっしゃりたいことはわかりますが、確かです」

「そうか。それにしても何か、感じるものがある。坊や、あんたは何者なんだ?」

 女性は値踏みするような目で訊いてきた。

「ぼ、僕は、ただの大学生で、今年、入学したばかりの一年生になります」

「隆志の後輩になるのか。で、坊やは何人の女を食ってきたんだ?」

「そ、そんなこと、したこともないです! 嘘じゃないです!」

 嫌な汗が背中に浮き出て止まらない。寒いのか熱いのか、わからない状態でガクガクと膝が震える。

「それはおかしい。報告では女が自ら股を開く行動をしたそうじゃないか」

「それは、そうですが。僕からは特に何もしていません」

 女性は顔を近づけた。僕の目の中に真実があると言わんばかりに覗き込む。ドレスと似たような色の唇が艶やかに光る。

「真実とは言えないが、あからさまな嘘でもない。実に不思議だ。坊やの正体、余計に知りたくなった。車を出しな」

 滑らかに車が動き出す。

「あ、あの、僕はどこに連れていかれるのですか?」

「もちろん事務所だ」

 ありきたりな言葉に恐怖を感じる。組事務所という言葉が肥大化して心を押し潰そうとした。


 小ぢんまりとしたビルは三階建てで街の中に上手く溶け込んでいた。出入口となる階段は極端に狭い。女性を先頭にして一列になって上がっていく。

 二階になるのだろうか。金属製の扉があった。重厚な作りが銀行にある金庫のような厚みを感じさせる。壁の一部には手を差し込むような装置があり、女性は速やかに左手を入れた。ピッと電子音が鳴ると扉は自ら外側に開いた。

 逃げ帰る道は屈強な男達で塞がれている。僕はおとなしく入るしかなかった。

「靴は脱がなくていい」

 鋭い女性の一言で慌ててスニーカーを履き直した。愛想笑いは無視されて奥へと連れていかれる。香水の効果がまるで見られない。要と同じタイプなのだろうか。

 奥まったところに黒檀のような扉があった。瞬時に拷問部屋が頭に浮かび、鼻の奥がツンとして泣きそうになる。

「お前たちはここで待機だ。呼ばれるまで部屋に入ることを禁じる」

「しかし、姐御。こんな貧相な身なりでも男です。万が一を考えて」

「必要ない。監視カメラも無しだ。わかったな?」

 女性とは思えない重低音の声に誰も逆らえない。項垂れるような姿で、わかりました、と同じ言葉を返した。

「入るぞ」

「わかりました」

 周囲と同じ言葉に気付いて少し和んだ程度。未だに極度の緊張の中にいた。

 広さはあるが普通の部屋に思えた。ガラス製の四角いテーブルに三人掛けのソファーが向き合うようにして置かれていた。壁には大型テレビがあり、生活感が漂う。

「この部屋には防音の効果がある」

「そう、なんですか」

 どのような残虐な行為をしても外に悲鳴が漏れない。そんな恐ろしい想像が自分を追い込む。ハンカチでは拭い切れない汗が一気に噴き出す。

「そこに座りな」

 指さしたところにちょこんと座る。女性はテーブルに片足を乗せた。スカートが上に引っ張られ、黒いストッキングの上部が見えた。

「坊やのせいなんだよな? びしょびしょだ。どうしてくれる?」

「そんなことを、言われても……」

 直視を避けてちらちらと見る。太腿に雨垂れのような筋が幾つもあった。

「責任を取って貰う」

「ご、ごめんなさい。先輩にも土下座して謝ります。許してください!」

「隆志はどうでもいい。謝罪の気持ちを態度で見せな」

「でも、僕は、その痛いのは、苦手で。それに恥ずかしいことも」

 目のやり場に困りながら、たどたどしい口調で言った。

「良い物がある」

 女性は黒いデスクに向かう。引き出しを開けて取り出したものを掲げて見せた。

「これなら見えない」

「アイマスクですか?」

「前に拉致監禁らちかんきんに使った優れ物だ」

 さらりと怖い言葉を含ませる。絶対に逆らってはいけない相手だと再認識した。

 黒いアイマスクを装着すると暗闇に包まれた。光が全く感じられない。そこに衣擦れのような音が聞こえてきた。

「坊やには困ったものだ。もう穿けないな、これは」

「あの、なにを?」

「気にするな。もう少し待っていろ」

 何をするつもりなのだろうか。胸の鼓動の早さに戸惑いながらも、その時がくるのを待った。

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