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神怪報冤譚─虎追いの少女─  作者: ミナミ ミツル
第一部 小哪吒の李六
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第八回 李六、妖虎の塒を神に問うこと


 朱堂鏢局の者は妖虎に襲われ、鏢頭王進を含むほぼ全員が死亡――。

 その報は酉安の都を駆け巡った。

 発覚が遅れたのは鏢局の者が倀鬼となり事件を隠蔽していたからだという。

 そのような老練な妖怪が徘徊していることに、酉安の都は恐怖に慄いた。


 六は朱堂鏢局と懇意にしていた商人、白尚の元に身を寄せた。

「大変なことになった」

 と、初老の商人である白尚は、朱堂鏢局の不幸に同情し、六と同じく難を避けた劉与と洪宣も屋敷に招いている。

「ご迷惑をおかけします」

 そう言う三人の表情は一様に暗い。

 特に六の変わりようは痛ましい程であった。

 夏の太陽の如き陽気な娘が、いまは月のない夜の如き有様である。

「なにも気にする必要はないぞ。この家の財の半分は朱堂鏢局が安全に荷を運んでくれたおかげだ。ゆるりと静養しなさい」

 白尚は優しく言った。

 さらに白尚は三人を養うばかりでなく、死んでいった朱堂鏢局の者たちの葬式さえも執り行い、亡き王進との友情に報いた。

 無論、そこに利を求める商人としての思惑がなかった、とは言えない。

 朱堂鏢局の高弟三人が手元に居れば、荷を運ぶ際に賊の類に悩まされることはなくなる。


 (もがり)と葬式を済ませると、白尚はそれとなく三人に自分の意向を伝えた。

「もし行く当てがないなら、三人とも我が家で雇いたいとわしは思っている。頭の隅にでも留めておいて欲しい」

「折角の申し出ですが、その話はお受けできません。ご放念ください」

 六は辞を低くしつつも即座に白尚の申し出を断った。

「いまの六は仲間の仇を取る以外のことは考えられません」

 予想された答えである。

 白尚は答えを受け取ることを引き伸ばした。

「ま、ま、そう早く結論を出す必要はない。いまは心身を休めることが肝心だ。何か気になることが気兼ねなく言って欲しい」

「では、厚かましくも一つ白尚殿にお願いがあります」

「なにかな」

「腕の良い易者に心当たりがあったら是非教えて欲しいのです」

(うらない)にもいろいろあるが……」

 古来祭事においては亀甲や牛骨を焼き、吉兆を占った。

 その後、天の星、筮竹、手や顔の相などありとあらゆる場所に、人は将来の兆しを見出そうとしたのである。

「目的は仇の居場所です。易の方法は問いません」

 六の言葉を聞いて、白尚の胸中に商人ではなく、子を持つ親としての情が湧いた。

 讐とは倶に天を戴かず、か。

 孝心が篤い娘だ。健気なことよ。

 それゆえ痛ましい。

 親の仇を討つのは確かに孝であると言える。

 しかし、それには何年も、もしかしたら何十年もの月日が掛かるかも知れぬ。

 ましてや相手が居場所も分からぬ妖怪とあっては、雲を掴むような話だ。官吏役人も力になるまい。

 それゆえ藁にも縋る思いで易を、と言ったのだろうが……。

 まだ若い身空、身命を賭して仇を追う必要があるのか。新たな人生を生きた方が良いのではないか。

 しかし、白尚はそれらの思いを吐露することはなかった。

 口に出せば、三人の鏢客への侮辱になる。

 白尚はただ一言、分かった、とだけ告げた。


 このように白尚は六を憐れんでいたが、二人の兄弟子はまた違った目で六を見ていた。

「六に翳が差している」

 劉与がそう言うと洪宣も頷いた。

「翳どころか――」

 そこまで言って洪宣は口をつぐんだ。

 時折、見知った六の顔が別人のように見えることが多くなっていた。

 無論六を心配しているが、それ以上にいまの六は……恐ろしい。何をしでかすか分からぬ。

 その懸念は劉与も感じている。

「何もなければよいが」

 自分に言い聞かせるように劉与は呟いた。


 半月後、白尚の屋敷に袁来と名乗る占い師が現れた。

 年は白尚よりさらに一回り上。王進と同世代だろうか。

 髪はすっかり白くなっているが、矍鑠としていて立ち振る舞いに威厳がある。

「わしは筮竹を用いて卦を立てるのではなく、扶箕を行う」

 というので、部屋の一角に神を祭る祭壇を設け、木筆と砂で満たした盆を用意した。

 扶箕とは、神をその場に呼び、V字型の木筆を複数人で支えて、それらの者の体を通して砂盆の上に木筆で文字を書かせるという占いである。

 本邦のこっくりさんや、欧米のウィジャボードに似たものと思えばよい。


 袁来は祭壇に向かうと、ちらりと六、劉与、洪宣の顔を眺めたが、やがて六を指し「あなたがよい。こっちへ来て手伝いなされ」と手招いた。

 言われるままに進み出た六は、袁来と共に木筆を握った。

 すると袁来は呪文を唱え、二人の握る木筆の上に神を召請する。

 やがて砂盆の上で木筆がカタカタと震えだした。

 気を操る修行を積んだ三人の鏢客は、この場に人ならざるものの気配が生じたのを感じた。


 袁来はまず神の名を問うと、二人の握る木筆が動き出し砂盆に文字を書き出していく。

「お前は何の神か?」

 木筆は砂の上にさらさらと答えを書いた。

『我は生まれ落ちて七百年、ここより三十里先の山中にある(えんじゅ)の精なり』

「槐の精よ、伏魔神君の名において、これから問う質問に嘘偽りなく答えると誓うか?」

『我知るならば偽らず答えよう。されど知りてなお秘すべきことあり。その時は沈黙が答えである』

(よし)(うそ)でなければそれでいい……さあ、質問をなされい」


 袁来がそう言うと、六が頷いた。

「槐殿よ、あなたは太號君を知っていますか」

 しばしの沈黙ののち、木筆と砂盆を通して槐の精が答える。

『彼のもの(さつ)神の如き魔怪にして戦乱を呼ぶ妖虎なり。やがて十州住むもの者はことごとく太號君の前に震撼しよう』

「それだ」

 と六は思わず口走っていた。

 少し離れたところで砂盆を見守る劉与と洪宣も、妖虎という文字に色めいた。


「太號君はどこにいる?」

『ここより遥か北。嬰州の風箭谷』

「嬰州だと……!?」

 劉与が唸った。

 いま居る酉安の都は悠州という州に属し、嬰州とはかなりの距離がある。

 徒歩なら旅程が順調でも片道二か月は掛かろう。

「なぜそれほどの距離を隔てて太號君が現れ、私たちを襲ったのか?」

『彼のものはただ(ほしいまま)に事を為す』

「なんだそれは!」

 六は答えに激高しかけたが、慌てて劉与と洪宣が止めた。

「やめろ六。扶神に当たるな」

「では……」

 さらに六は槐の精に尋ねようとしたところ、袁来が首を振った。

「……もう無理じゃ。いまの怒気で扶神が去った」

 神を降ろしていることで消耗したのであろう。占い師の顔は青ざめ、額には玉のような汗が浮かんでいる。

 袁来は汗で濡れる額をぬぐって、召請した槐の精に礼を述べる呪文を唱えると、砂盆の文字を消して占いを終えた。

 その後、袁来は六の顔を覗き込むようにじっと見つめた。

「どれ、この老いぼれも少しは役に立てたかな」

「役に立ったどころではありません。海原に投げ出され、進む方角も分からなくなっていたところに、灯台の火が見えたような心地がします」

「それは何より……」

 去り際、袁来は再び六の顔を見ると「ご自愛なされよ」と言って拱手した。



 その翌日、まだ夜も明けきっていない払暁の刻。

 六は武装し白尚の家を抜け出した。

「待て」

 その六の前に男が一人、立ち塞がった。

 洪宣である。

「一人でどこへ行く気だ、六」

「風箭谷」

「仇を討ちたいのは俺も劉与も同じだ。抜け駆けはやめろ。戻れ」

「どけ洪兄。殺すぞ」

 洪宣の言う事をほぼ無視した六はそう言い放ち、槍を構えた。

「二度は言わない」

「……!」

 六の目からはなんの情も感じない

 それはもはや兄弟子を見る目ではなかった。まるで虫けらを見るかのような冷たい目である。

 ――六は本気だ。殺される。

 洪宣の全身から血の気が引き眩暈がした。目に見えぬ圧力に尻もちをつきそうになるのを、やっとのことで堪えた。

 ただし、無意識に洪宣の体は六に道を譲っていた。

「それでいい。さようなら、洪兄」

 脇に避けた兄弟子を一瞥もせず、六は朝霧の中に消えた。


「それでむざむざ通したのか」

 六が一人風箭谷に向かったことを知った劉与は洪宣に詰め寄った。

「ああ。もし通さなかったら俺は殺されていた」

「六がそんなことをするはずが……」

「する。いまの六ならばな。お前も分かっているだろう」

「ちぃっ! こうしちゃいられねえ! 俺たちも行くぞ! まだ追い付けるかもしれん」

「無理だな。六の健脚に追いつくには、穆王の馬が要る(※周の穆王は伝説的な駿馬を所有していたという)」

「なんでテメエはそんなに澄ましてられるんだ!」

 カッとなった劉与は洪宣の胸倉を掴んだ。

「六が心配じゃねえのか! 相手は朱堂鏢局の猛者を皆殺しにした化け物だぞ!」

「そんなことは分っている! だが俺たちのような凡人が、その化け物に勝つには知恵を絞るしかないだろう! 六については……なんとか生き残ってくれることを願うしかない」

 洪宣は吐き出すように言った。

 言われるまでもなく、いまの状況は最悪だ。

 しかも、この状況を打破するような方法があるとは思えない。


「よくぞ戦うと申した。それこでこそ、名高い朱堂鏢局の鏢客だ」

 二人が振り返ると、そこにひょっこり現れたのは昨日占いをした、あの袁来であった。

「袁先生……」

「昨日の貰った見料が、一夜の仕事にしてはいささか多かったのでな。もう少し何か役に立てることがあるかと寄ったのだが……やはりあの娘は往ったか……」

「袁先生、良いところにいらっしゃった。六はどうなるか、占っていただきたい」

「占うまでもない。あの娘には死相が浮かんでいた。遅くとも十日も経たず死ぬ」

「そ、そんな。どうにかなりませんか!?」

 劉与は食い下がった。

 しかし袁来は首を振った。

「運命は易々と変えられん。特に今回は本人に生きて帰るつもりがない。死んでも仇を討つつもりだ。どうすることもできぬ」

「く、くそ!」

「打ちひしがれている場合ではない。いまよりお主たちの仇討ちが始まるのだ」

 自分自身への無力感と怒りに苛まれ、つい言葉を荒げてしまった劉与は洪宣に向って頭を下げた。

「お前と袁先生の言う通りだ。知恵を絞り、共に太號君を討とう」

「もとよりそのつもりだ」

「どれ、それでは一つお主らの行くべきところを占ってやろうかの」


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