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神怪報冤譚─虎追いの少女─  作者: ミナミ ミツル
第一部 小哪吒の李六
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第六回 李六が鬼と対面すること


 紫雲堂は普段は鏢客を集め朝礼などを行う広い堂である。

 六が入ると中はがらんとしていて、人気がない。

「師匠、李六が参りました」

 そう呼び掛けても、返事はなく、ただ六の声が反響するばかり。

「……呼んだのに居ないの困るな」

 六は訝しみながらさらに奥へと進む。


 その時、突如として柱の蔭から二本の槍が閃いた。

 しかし六は慌てず、眉宇を動かすこともなく懐から一本の扇子を取り出す。

 二束三文で買った安物の白扇である。

 しかし安物の白扇でも、六が握れば危険な武器となる。


 修行によって練り上げられた“気”は肉体を強化する。

 さらにそれだけではなく、気を通された衣服は鎧の如く堅牢に、竹と紙でできた白扇を鉄の如き硬さへと変える。


 六の気によって強化された扇子は、突き出される槍の刃を受け止めて、逆に叩き折ってしまった。

 さらに返す刀で、襲ってきた相手の腹を扇子で小突いた。

 槍を持った男は悶絶して崩れた。


 一方の相手を倒すと、もう一方の相手が繰り出す槍を躱しながら、六は扇子を開いた。

 白扇に現れたのは六の直筆、下手くそな蓮花の絵である。

 広げた扇子を相手に向けて一閃すると、俄かに巻き起こった旋風は襲撃者を一丈あまりの高さまで舞い上げた。

 したたかに床に叩きつけられた襲撃者は、グエっという蛙のような声を上げて倒れ伏す。

 奇襲から鎮圧まで一拍子の早業だった。


「気配を消すところまではお見事でしたよ、劉兄、洪兄」

 そう言って六は襲撃者を助け起こしてやった。

「けど攻撃の起こりの殺気が漏れていたのを感じました。もう少し修練を積まないといけませんね」

「それを読めるのは章師兄か六ちゃんくらいだけどなぁ」

「それにしてももう少し手加減しろ。痛いんだよ……」

 六を襲った劉与、洪宣という二人の若者は共に苦笑いを浮かべた。

 この二人は六の兄弟子に当たる。実力的には六に追い越されたものの、それに腐ることなく地道に努力している姿に六は好感を抱いていた。

 それに性根の質も良い。

 劉与はいつも覇気に満ちていて、自然と周囲の人間の気分を明るくする。一緒に居て楽しい男だ。

 洪宣は必ずしも口数は多くないが、頭の回転が早く細かなところによく気付く。

 そして二人とも驕慢さがない。

 武術の腕を鼻にかけず、弱者を労わる姿勢がある。

 鏢客の中には必要以上に荒っぽい者もいるが、劉与と洪宣はそうではない。

 六は劉与と洪宣と共に護送をしたことがあったが、一緒に仕事をしていて実に気分が良かった。


 二人を起こすと別の柱の陰から朱堂鏢局の総鏢頭、王進が姿を見せた。

「見事な対応じゃな、六」

「ありがとうございます」

 六は改めて師匠に訊ねた。

「それで用とは……あっ!?」

 そこまでいって突然六は何かに気付き、声を上げた。

「もしかしてそろそろ私にも皆伝を?」

「いや……」

 と王進は首を振った。

 六はなおも食い下がる。

「……なぜですか? 私に足りないものとは一体なんでしょうか?」

「『なぜ?』か。お前のそういうところには感心する」

 王進は微笑を浮かべた。

 武もまた学問である。学問とは、読んで字の如く、問いと学びである。問いを求める限り学びがある。問うことを止めた者の成長は止まる。

 六は疑問に思ったことは納得がいくまで問う。

 かつて六は自らを大蛇の贄にして戦いを挑んだ。

 それもまた、なぜ皆は生贄を捧げるばかりで戦わないのだ?

 と、問うた結果である。

 問うことに貪欲。それは学びに貪欲ということでもある。王進は六のそのような性質に気宇の大きさを見た。

 百載に一人の才の持ち主だが、その才が正しく伸びれば千載に一人の英雄になるだろう、と王進は見込んでいる。

「確かにお前は強い。それは認めよう。だが、わしはそんなところで満足して欲しくないのよ」

「……質問に答えていただいておりません。私に足りないものとは?」

「お前はまだ若すぎる。もう少し世間というものを見た方が良い」


 若すぎる――。

 六は師の言葉を反芻した。確かに自分はまだ嘴が黄色い。

 自分でもそれは分かっているが、分っていてもどうにもならないことだ。もどかしい。

「世間を見るとは?」

「さしあたっては仕事じゃ。今回は少々長い旅になる。これも修行だと思って励むがよい」

「承りました」

「うむ。それと劉与、洪宣」

「はっ」

「お前たちも六と共に行け。いま言ったことはお前たちも同じだ。漫然と旅するのではなく、少しでも見聞を広めてこい」

「御意」

 劉与と洪宣は痛む体をさすりながら師に向って拱手した。

「おっ劉兄と洪兄も一緒か。これは楽しみだな」

「物見遊山に行くのではないぞ。仕事だ」

 洪宣が厳しく言うと、六は笑って言い返した。

「楽しんで仕事をしてはならないという法はありません!」



 こうして出発した三人が、荷の護送を終えて再び酉安に戻って来るのに、三ヵ月余りの月日を要した。

 既に季節は春から秋に変わっている。

「すまない六、俺たちはここまでだ」

 酉安の城門をくぐったところで劉与が言った。

「鏢局に戻らないのですか?」

「ああ。今日は戻らない。オレはちょいと白尚殿のところへ寄らねばならん」

「白尚……ああ」

 六は記憶を手繰るとすぐに思い至った。

 白尚とはいつも朱堂鏢局を贔屓にしてくれている商人であり、また商売を抜きにしても朱堂鏢局の王進と白尚は個人的な交友がある。

 きっと劉与は何か使いでも頼まれていたのだろう。

「洪兄も白尚殿のところへ行くのですか」

「……いや。俺は私用だ」

 と、洪宣は言った。洪宣は寡黙な男で必要以上には喋りたがらない。

 だが人一倍口が回る劉与が、横からあっさりと洪宣の私用の中身をバラした。

「こいつの妹がもうすぐ祝言を上げるらしいぜ。それでしばらく実家に戻るのさ」

「えっそれは……おめでとうございます! 洪兄」

「ありがとう。師匠には宜しく伝えておいて欲しい」


 思いがけず二人と別れた六は一人朱堂鏢局へと向かった。

 荷を運ぶ時に使った馬車は、劉与が使うと言って持って行ってしまったので徒歩での帰着である。

 鏢局に帰り着いた時、太陽が西に落ち、地に差す六の影が徐々に伸びていて、何となく寂しい感じがした。


 その時点で六は――妙だ。と、不審を感じた。

 まだ閉門の時間には少し早いにも関わらず、既に朱堂鏢局の門は固く閉じられていた。

 中もしんと静まり返っているようだ。

 いつもなら荷の護送の依頼や受取の商人がまだまだ出入りしている時間である。 

 六は道行く人を捕まえて、朱堂鏢局に何かあったのか尋ねてみた。

「さて、分からないね。ただここ二、三日は門を閉じたままだよ」

 と、町人は言った。

「そんな馬鹿な」

 六は目を見開いた。朱堂鏢局がニ、三日も門を閉じるなど有り得ない。


 何かの間違いだと思いつつ、六は門環(ドアノッカー)を叩いた。金属製の金具がカーンカーンと澄んだ音を鳴らす。

 誰も出ない。

 まさか留守? 誰もいない?

 そう思ったがすぐにそんなはずないと思い直し、今度はもっと強く門環を叩いた。

 ガンガンガンと音に濁音が混じる。

 やはり誰も出てこない。


「どうして誰も出ない?」

 門番はどうした、と苛立った六は素手で門の扉自体を叩いた。

 ドォン、ドォン、ドォン、ドォンと太鼓のような音がして門戸がグラグラと揺れる。

 するとやっと門の中で人の動く気配がした。

 門の上部に取り付けられた覗き窓が開かれ、鋭い眼光がじっと六を睨みつける。

「六か」

 門の内側で見知った声がした。

 声を聴いて門を叩く六の手が止まった。

「待っていたぞ。今開けてやる」

「……章兄、どういうことですかこれは」

「はっはっは。いろいろ事情があってな」

 ギィッという金具がこすれる音がして、巨大な門が開いた。


 違和感を感じながらも、六は拱手し頭を下げる。

「ただいま戻りました」

「お帰り。ご苦労だったな、六。劉与と洪宣はどうした?」

「劉兄は白尚殿のところへ寄るそうです。洪兄は近々妹さんが結婚するようで、今日は実家に戻ると言っていました」

「そうか……」

 なにか気がかりがあるらしく、章元は虚空を見つめながら頷いた。

「で、こっちでは何かあったんですか? なぜ門を閉じているんです?」

「大したことじゃない。まあとりあえず中へ入れ、説明しよう」


 六は章元の後ろについて歩き、鏢局の中へと入っていく。

 心中は穏やかではなかった。

 ……やっぱりおかしい。

 何かが変だ。

 三ヵ月ぶりに兄弟子の顔を見た瞬間、六の心臓は警鐘を告げるように高鳴った。

 姿かたちも仕草も本人そのもの。しかし同時に決定的な違和感も感じる。

 さらに奇妙なことに、鏢局内に人の気配が全く感じられない。

 喪中の家ですらもう少し賑やかだろう、というほどの静寂に包まれている。

 一体、何があった章兄?

 その言葉をぐっと飲み込み、六は章元の背中を見ていた。


「そうだ、腹減ってないか、六?」

「まあ多少は」

「じゃあ飯でも食いながら話そう」

 章元はそう言って六を食堂へと誘った。

「お前の好物は焼き鳥だったな。すぐ作らせる。茶でも飲んで待ってろ」

 作らせる、と章元は言うが食堂にも厨房にも人気はない。

 章元は茶を注いだ。

 六はその動作をよく観察し、そこから違和感を見つけ出そうとした。

 ひょっとしたら、目の前にいるのは章兄の偽物なんじゃないかと疑ったからである。

 しかし動作に不自然なところはない。

 本物に見える。

 外見だけでなく、体から発する気も間違いなく章兄のものだ。

 ……偽物だなんて、少し考え過ぎだったかな。


 ――――――あっ。


 部屋を照らす燭台の炎が揺らめいた時、六は違和感の正体に気が付いた。

 震える口元を隠し、普段通りの会話を続ける。

 ただし、章元の淹れた茶には口を付けなかった。

「……ちゃんとあたしの好きな物を覚えててくれていたんですね。嬉しいです」

「忘れるわけがないだろう」

 その後、ぽつりぽつりと二人は世間話を交わした。

 嗚呼。

 この時間が続けばよい。このまま時が止まってしまえばよい。

 六は心底からそう思った。

 しかし、それは決して許されないことだった。

「ところで章兄」

 茶から湯気が消えた頃、六は意を決して話を変えた。

倀鬼(ちょうき)というものを知っていますか?」

 章元は首をかしげる。

「……なんだ、それは?」

「倀鬼というのは……」

 六は思い出を手繰りながら、ゆっくりと確かめるように声を出す。


「虎に食い殺された人鬼(ゆうれい)のことです。力ある妖虎に食われると、食べられた人は魂を縛られて、その虎に意のままに使役されてしまう。それが倀鬼です」

「なんと。それは恐ろしい話だな」

「はい。とても恐ろしい……でも、初耳っていうのはおかしいですね。この話、私は二年前に章兄から聞きました」

「……」

「……」

 場の空気は凍り付き、悲痛な沈黙の時が訪れた。

 六はうつむき、章元の顔を見ることができなかった。

 全てを察した両名はどちらも一言も発しない。

 時が止まったかのように静かだった。

 どこか遠くで犬が吼える鳴き声が聞こえる。


 もはや疑うところはない。

 章兄は――いやそれだけでなく鏢局の者は全員殺されている。

 ここにいるのはその残骸。

 倀鬼。

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