第四回 壮士、武の志を講ずること
さらに翌日の午後、六、王進、章元の三人は郡都・酉安へ入り、朱堂鏢局の本局へ到着した。
「おおう……」と六は感嘆する。
酉安は六の育った村とはまるで違っていた。
遠目にも分かる巨大な石壁にぐるりと隔てられた世界。
通行手形を手に城門をくぐると、その違いは一目瞭然。
人口が違う。活気が違う。建物の造りが違う。
通りの道は広く、きちんと均されていて、人や馬車が絶えず往来している。
さらに道端には露店や屋台がひしめき、食べ物や雑貨を始めとした様々な商品を売っているため、通りには様々な人間と家畜と食べ物が入り混じった、何とも言えない複雑な匂いが鼻をくすぐる。
「おーっ。タピオカ茶売ってる!」
「それは後じゃ」
六は露店の一つに目を付けたが、王進は足を止めなかった。
名残惜しそうに六は露店の茶屋に目を向けつつ、その後を付いていく。
朱堂鏢局は大通りから少し離れた一角に店を構えていた。
鏢局として規模は中の上と言ったところだろうか。
しかしそれでも六にとって相当に巨大に映った。
鏢局を囲む塀は、まるで先ほど町に入る時にくぐって来た城壁の縮小版である。
入口の門には太く荒々しい文字で『朱堂鏢局』と書かれた扁額が掲げられ、扁額支える左右の柱には超達筆な字で対聯(柱に詩文などを書く伝統的な装飾)が書かれている。
が、達筆すぎて六にはなんと書いてあるか読めなかった。
悔しいので六は分かったふりして頷いておいた。
その巨大な門から荷物を積んだ馬車や、護送の依頼に来る客、荷物を引き取りに来る客などがひっきりなしに出たり入ったりしていて、入る前から鏢局の盛況ぶりが伝わってくる。
「六、今日からここがお前の暮らす場所じゃ。章元、六に鏢局の中を案内してやりなさい」
と指示して王進は鏢局の奥に行ってしまった。
章元は六を連れて一つ一つ鏢局内の施設を巡っていく。
鏢局の門内は広く十棟は下らぬ数の建物があり、まるで鏢局それ自体が小さな都市のようだった。
「ここが受付。あっちが預かった荷の倉庫」
章元は淡々と案内していくが、対して六は目を輝かせた。
預かった荷物を保管する倉だけで八つもあり、事務や渉外、打ち合わせをする為の堂があり、さらに楼閣まで備えている。
章元の説明によると、その楼閣は遠方の客人の中でも富貴な者や懇意にしてもらっている者が泊まるための建物だという。
「うーん、広い。迷っちゃいそう」
「はっはっは。一度に覚えなくてもいいぞ!」
さらに奥へ進んで行くと、すれ違う人間の雰囲気がふっと変わった。
さっきまで多くいたのは派手な衣装の商人風の人間だが、それに変わって飾り気のない長袍を着た厳めしい男たちが目立つ。
服装は小奇麗だが、大柄で筋骨隆々、さらに顔じゅうに刀傷があったりと、印象としては山賊と大して変わりない。山賊じゃないとしても熊か猪の仲間である。
そんな恐ろし気な彼らも、例外なく章元には敬意をもって拱手した。
ただ、六の方を見ると何やら値踏みするような目を向けた。
しかし章元は構わずに説明を続ける。
一旦中庭に出ると、そこから見える様々な建物を指していった。
「門内の前面は営業所、で、ここからが私たち鏢客の生活の場だ。別に門外に住んでもいいんだがな。あの母屋が師匠の邸。こっちが鏢客の宿舎、池を挟んで見える大きい建物が稽古をする錬武場……」
「ゴメン、ちょっと待って章兄。さっきからなんでみんなあたしの方シロジロ見るの?」
「お前のような奴は珍しい通り越して前代未聞だからな。その年でしかも女なのにいきなり直弟子なんて私も聞いたことがない」
「うー……それはつまり熊さんたちに嫉妬されてる?」
「はっはっは! まさかそんなわけあるか! 子供に嫉妬なんて馬鹿らしい」
「でも直弟子って幹部なんでしょ。いきなりそういうのってヤバくない?」
「……直弟子になれないのは弱いからだ」
いつもニコニコと笑っている章元の顔から笑みがふっと消えた。
六ですらゾッとするような気迫である。
「もし、自分の弱さを棚に上げて年下に嫉妬するような奴がいたら、すぐに教えてくれ。分り合わないといけない」
章元の言う分かり合い、がただの話し合いでないことは六にも分かった。
「はい……でもチクるみたいでちょっと気が引けるかも……なんてね。絡まれたのは自分なんだし、自分で解決するのが筋かな~って」
「ダメだ。部下の揉め事を仲裁するのも私の役目だ。お前も私を信じてくれ」
そこまで言うと章元はいつもの顔に戻っておどけながら続けた。
「それにお前だと相手を殺すかもしれないからな。勘弁してくれよ、そういうのは! がっはっはっは!」
「じゃあ手加減も早く教えてよ。あっそうだ、錬武場行こう! 早速修行しよ!」
「六はせっかちだな。焦るだけでは駄目だぞ。辛抱するのも修行だ。一つ見せてやろう」
そう言って章元は池に向かってふわりと跳躍した。
「えっ!?」
池に落ちる、と六が思ったその時、章元は池に浮かぶ睡蓮の葉の上につま先を乗せて立っていた。
思わず六が感嘆する
「す、凄いじゃん! なにそれ?」
「軽功と呼ばれる技術だ。辛抱強く内功を鍛えた者だけがこれを会得できる。会得した暁には単に身が軽くなるだけではなく、敏捷さも大いに向上する。辛抱強さが却って速さを生む好例だ」
「つまりあたしも頑張れば葉っぱの上に乗れるようになるの?」
「……ふう。あのな、六。また焦って考え違いをしているな。まず落ち着け、胎息をしろ」
と再び章元は真顔になった。
しかし先ほどとは違って威圧する感じはなく、六を優しく窘めるような口調である。
言われるがまま、六は大きく深呼吸をした。
六の気が整ったのを見てゆっくりと章元は口を開く。
「物事を成し遂げるには正しい目標を立てなきゃ駄目だ。お前の目的は心身ともに強くなることであって、葉の上に立つ大道芸を覚えることじゃないだろう。だからそれを目標にするのは違うと思わないか?」
「あ……」
と思わず声を出した六は、恥ずかしそうに自分の間違いを認めた。
「そう……です」
「ははは、素直でよろしい!」
さらに滔々と章元は語る。
「これからお前は軽功だけではなく様々な修行をする。雅な文人は琴棋書画の四芸を嗜むらしいが、我が朱堂鏢局でも四基武功と言って古今の武芸のうち特に実戦的な四つの習得を重視する。
四つとは即ち、最もありふれた武器である剣。鏢客を生業にすれば相対する機会が多く現実的な脅威となる槍、及び戈。遠間より相手を射抜く弓。そして手元に武器がない状況で自身を守る最後の武器となる拳だ。
拳剣槍弓のいずれにせよ、筋力と内力の充実は必須。だから、まずは昨日話した通り体造りから始まり、筋力を鍛え、功を練り内力を鍛え、それから拳剣槍弓の修練を学んでいくことになる。ワクワクしてくるだろ?」
章元が微笑むと、六も満面の笑顔を返した。
「うん! めっちゃ楽しみ!」
「フフ……あー、ついでに言っておくと、私は葉の上に体を預けられるようになるまで、十年くらいかかったかな」
睡蓮の上から地面に跳ね戻りながら、章元は不敵な笑みを浮かべた。
「私は雑用の丁稚として八歳の時ここに入った。それから何年かして本格的に修行を始めて、今年でもう十五年になる……はっはっは。これでも才能があると言われているんだがな、まだまだ師匠は四基武功の皆伝をくれん! 武の道は厳しいものだ! はーっはっはは!」
「てことは……章兄より強い奴がいっぱいいるってこと?」
「当たり前だ、俺など武林の中では未熟者よ!」
「……マジかぁ」
二人がそんなことを話しているところへ、王進が再び姿を見せた。
「おお、ここにいたか。食事を用意させたから食堂へ行きなさい」
「うん! 分かりました師匠!」
「な、なんじゃ。急にそんな大きな声だしおってからに」
「章兄の話聞いてやる気出てきたの! そんでやる気出てきたらお腹減ってきた! 早くご飯食べに行こう!」
六はそう笑顔を向けたあと、章元を急かして共に食堂へと向かった。