第三十八回 餓狼は死を振るい、仙狐は死を呑むこと
「ぬう……」
なんという強さだ。雑兵、などとはとても呼べん。
並みの兵なら一振りで四、五人は蹴散らす自分の矛が、この場においては思うように振るわない。
屠虎の同志も、荊棘兵も倀鬼の軍勢には苦戦を強いられた。
自軍の陣形が倀鬼兵に押され少しづつ歪んでいく。
だが、それよりも……。
三光人の指揮する異形の部隊と一当たりして、思わず劉与は唸った。
妖怪の軍であるから、敵が異形であることはおかしくない。
しかし倀鬼は魂を縛られた人間であり、その姿は生前のものに準じる。
ところがいま戦っている倀鬼は両面六膂――つまり前後に顔を持ち、六本の腕を持つ奇怪な姿をしていた。
六膂兵、と三光人は呼んでいた。そのように太號君に作り替えられたのである。
異形の姿でなく、それを作り出した悪意と邪悪さに劉与は吐き気を催した。
死した者をなおも侮辱するか!
戦場にさらに影が下りた。
劉与が怒りの目を上げると巨妖、千骨が地から湧くように立ち上がり、地響きを立てながら向かってくる。
これもまた死体から太號君に作り出された妖怪である。
……こんな奴らに絶対負けん。
劉与は自分を奮い立たせ、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「あれを見ろや同志たち! いま戦っているのは我らの親兄弟だ! 死してなお凌辱されている! 太號君を許すな! これまでの研鑽はこの日の為ぞ!」
「吠えたな、劉与!」
と洪宣が応えた。いつもは冷静沈着なこの男も、今日ばかりは興奮を抑えきれないらしい。
「黄泉の師匠と章師兄に我らの戦いぶりを見せるか!」
「望むところだ!」
「人間どもに後れを取るな! 我らは荊棘兵ぞ!」
戦場に喚声が上がる。
激闘が繰り広げられる中、荊棘姫と赫眼が、敵将三光人を補足した。
あれか。
間近で見た三光人は、戦場を徘徊する餓狼の如くであった。
目に見えるほどドス黒い妖気を放ちながら、次々と小哪吒軍の兵を斬り殺していく。
三光人の得物は一振りの長剣である。それはそれは不思議な剣であった。
そもそも剣と呼んでいいのかさえ定かではなかった。
というのも、細身の刀身には刃がないのである。刃がなければ鎬がなく、鎬がなければ棟もない。
鉄、というよりは水である。流体の水がどのようにしてか刀身らしき形を成しているように見えた。
その刀身らしき部分からは、冷え冷えとした空気が伝わってくる。
比喩ではない。
三光人の剣は実際に凍結していた。
水の如き刀身は常に曇り、さらにそこから靄が立ち込めている。血が剣に触れると、その血が一瞬で凍り付く。
不可解な武器を持った相手であるが、かといって戦いを避けるわけにはいかない。
「三光人……覚悟!」
言いながら荊棘姫は滑るように間合いを詰めた。
赫眼も荊棘姫の動きに合わせ、猛々しく地を蹴る。
「おっ。少しはマシなのが出てきたな。お前が荊棘姫か」
小哪吒軍の二将に迫られても、三光人は少し眉を吊り上げただけだった。
この餓狼の如き男は、荊棘姫と赫眼を格下の相手としか認識していない。
荊棘姫は身を屈め、閃光のような鋭い突きを。赫眼は大胆に脈動し、覆いかぶさるように頭上から拳を振り下ろした。
ほぼ同時に放たれた攻撃を、三光人は一瞬で切り返す。
赫眼の拳が割られ、荊棘姫の剣も、刃を合わせた瞬間一方的に切断された。
――なんだ、あの剣は。
荊棘姫は瞠目した。
三光人の技量もさることながら、「冷気を放つ剣」の鋭利が凄まじい。
互いの剣が触れた瞬間、何の抵抗のなく、こちらの剣だけが斬られていた。
そんなことがあるか。
得物を破壊されても荊棘姫に怯みはない。
赫眼の腕も斬られた切断面を合わせると、即座に再生を始めた。
易々と倒される二人ではない。が、剣の正体を見極めようと、二度目の飛び込みには二の足を踏む。
「ハッ! どうした。俺が恐いか、荊棘姫」
「私はなにも恐れぬ」
今度は三光人が動いた。大股で間合いを詰める。
狙いは自分の腕、と看過した荊棘姫は自らの気を三光人に同化させた。放たれた三光人の殺気を、そのまま相手に向って返す。
「明鏡茨棘――」
三光人の斬撃を避けつつ、荊棘姫の腕が、棘を持つ茨の蔓へと変化した。逆に三光人の腕を撃たんと蔓が伸びる。
しかし、三光人の剣の軌道がさらに変化した。空振ったはずの剣の引きが異常に早い。
斬り飛ばされた荊棘姫の蔓が宙を舞う。
「我が剣は、我が殺気さえ斬る! 甲断ち、躰斬り、魂を裂く! ことごとく斬り光す故に、我が号は三光人よ!」
「おのれ! ならば私を斬り尽くせるかどうか試してくれるわ!」
斬られた腕を押さえつつ、荊棘姫は気炎を吐いた。
赫眼も喉を鳴らして荊棘姫に同調する。
「喝っ!」
再び二体の妖怪は三光人に向って飛び込んだ。
「何度やっても同じだぜ」
冷気を放つ剣が閃いた。
再生能力に長ける二人の妖怪と、無双の剣士。
その戦いは凄惨の色を帯びた。剣士の剣が閃くたび、冷気と共に手足が飛び、腸が舞う。
が、二人は怯まない。決定的な致命傷は避けつつ、何度斬られても、三光人にまとわりついた。
荊棘姫の四肢は、何度斬られても即座に蔓を伸ばして反撃した。
赫眼は体を斬られつつも、隙あらば押し切ろうと鉄拳を振り回す。
尋常の戦いではない。
あまりにも凄惨な戦いに、陽と陰、どちらともいえない灰色だった戦場の気が、陰の方へと傾いていく。
そのような腥風の吹く戦いの場へ、蓮香は現れた。
「嫌な感じだねえ」
呟きつつ、蓮香は馬首を巡らせ三人の戦いに割って入った。
慣れない手つきで戈を突き出し、三光人の胸を狙う。
だが、戈を振るう前に馬体がガクンと揺れた。龍馬の首が斬り飛ばされ、同時に蓮香の体にも冷たいものが走る。
「あっ」
短く叫んだ蓮香は、両腕ごと胸から上が切断され、踏み荒らされた泥濘に沈んだ。
――くっ。
味方の将の死の死は、荊棘姫と赫眼に少なからず苦悶を与えたが、二人には嘆く暇もない。
なんとかして「冷気を放つ剣」を振るわせるのを防がねば勝機が見えないが、剣の威力が凄まじすぎる。
あの剣による斬撃は、受けることは絶対に出来ない。刃が触れた瞬間、どんなものでも斬る。
「いいだろ、この剣。神譴凍鋼剣ってんだ」
勝機が乏しく、追い詰められた二人を前に、三光人は僅かに微笑した。
「ずうっと昔、天から落ちてきたんだとよ。この世に二つとない秘宝だ。こいつがある限り俺は無敵だ」
ちっ。
武器に頼ってる分際で偉そうに。
勝ち誇りだした三光人を前に、荊棘姫と赫眼は目配せして、作戦を伝え合う。
私が隙を作る。その間にやれ。
いや、ここは我が弾避けになりましょう。
「言っとくが同時にかかってきても俺はいいぜ?」
一方が犠牲になるという作戦を見透かして、三光人は二人を嘲った。
その時である。
「いいや、犠牲になるのはあたしさぁ!」
死んだはずの蓮香の声が、三光人の背後で上がった。
三光人が振り返ると、六膂兵の一人が矛、戟、槍の長物を振りかぶって襲ってくるではないか。
「な!?」
動揺しつつ三光人は六膂兵を両断する。
「まだまだだよぉ!」
やはりどこかで蓮香の声が上がった。
今度は千骨の一体が三光人の方に向きを変え、巨大な足で三光人を踏みつけた。
踏みつけられる間際、三光人は千骨の足を切断したものの、体勢を崩した千骨はなおも三光人を握り潰そうと腕を伸ばした。
「しつこい!」
神譴凍鋼剣が千骨の両腕と頭部を切断して、ようやく巨大な骨の怪の動きは止まった。
だが次の瞬間、また六膂兵の一人が太號君を裏切り三光人を背後から襲った。
「れ、蓮香、お前がやっているのか!」
「そうさあ! 名付けて尸解転生憑依の術よ!」
三光人のみならず荊棘姫も驚愕した。
幽鬼が生身の人間に憑依するという話は枚挙に暇がない。
が、いま蓮香が行っているのはその逆、死者に乗り移って操作しているのである。
そのような術があるのも驚きだが、太號君の術によって縛られているはずの倀鬼や千骨から、支配権を奪う蓮香の技量もただ事ではない。
「ったく、こんな業深い術を使ったら、旦那との縁が切れちまうじゃないのさ! あたしゃあね、来世でも旦那と愛し合いたいんだよ! やっちまいな、荊棘姫!」
六膂兵の一人がそう叫ぶと、百を超える数の六膂兵が、一斉に三光人へと覆いかぶさった。




