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神怪報冤譚─虎追いの少女─  作者: ミナミ ミツル
第四部 風箭雨刀の決戦
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第三十七回 仙狐が愛に動かされること

 先陣同士のぶつかり合いを制したのは小哪吒軍であったが、徐々に太號君軍は混乱を収め体勢を立て直しつつあった。

 太號君の軍もまた、選び抜かれた精鋭であり容易くは崩れない。

 突撃を受け止めた太號君軍は、陣の左右を広げ小哪吒軍を包囲するかのように陣の形を変容させていく。

 特に太號君に代わり、百戦錬磨の武勇を持つ倀鬼の兵の指揮を預かる虎牙将、三光人の働きが目覚ましい。

 三光人と麾下の倀鬼が動くと、まるで鋸を引き始めたかのように小哪吒軍の陣は引き裂かれ始めた。


赫眼(かくがん)!」

 荊棘姫は副官を呼び、敵陣の前方で自陣を切り裂いている男を指差した。

「あの男が目障りだ。我らで除くぞ」

「はっ」

 黒毛の野獣、赫眼(かくがん)は四つの目を煌々と光らせて敵将を睨みつけると、自らの存在を誇示するかのように咆哮した。

 叫び終えた赫眼(かくがん)は、猿の如く地に手をついて走り出し敵将へ猛然と直進した。


 三光人の脅威に気が付いたのは荊棘姫だけではない。

「見ろや洪宣。あそこにいるのはただの妖怪じゃねえ……倀鬼だ」

「ああ。私たちが引導を渡してやるべきだろうな」

 劉与と洪宣は倀鬼の姿を認めると、怒りとも悲しみともつかない感情が湧き上がった。

 屠虎の同志にとって、太號君や三光人の操り人形と化した倀鬼は、救うべき対象である。

 慈悲というべきなのかもしれない。

 凄惨な戦場にはおよそ似つかない感情である。

 だが慈悲が劉与と洪宣、そして屠虎の同志を動かしていた。

「行くぞ同志たち! 我らが虎を屠らんとするのは、(うらみ)のみに非ず!」

「彼らを解放する!」

 胸裏に気高いものを秘め、屠虎の同志は戦場を駆けた。


 さらにもう一人、虎牙将に向かう者がいた。

「こんなことの為に、学問したんじゃないんだけどねぇ」

 そうぼやきつつ、立ったのは霊狐の謀臣を務めていた妖狐、蓮香だった。

 荊棘姫と赫眼(かくがん)を動かすのは、強者に挑み打ち倒そうとする勇である。

 屠虎の同志を動かしたのは、虎の犠牲者を解放させようとする慈悲である。

 そして蓮香を死地に向かわせているのは、愛であった。


「霊狐の大伯父、ちょっと行ってくるわ」

 後陣で指揮を執っていた霊狐は、傍らの蓮香がそう言って馬首をめぐらすと、驚いて眉を跳ね上げた。

「ど、どこへ行く気だ、香」

「敵の右翼から陰気を感じる。太號君の倀鬼どもだわ。あれは放っとくとまずい」

「お前がやらずとも荊棘姫と劉与殿たちが抑える。控えよ」

 蓮香は首を振って霊狐の言葉を否定した。

「大伯父、荊棘姫たちは虎牙将の相手で手一杯だ。倀鬼までは手が回らないよ

「しかし、お前が行かずとも……」

 と霊狐は渋った。

 老狐にとって自身の死はさほど問題ではないが、一族を盛り立てていくはずの次代の有望な者が死ぬのは耐えがたい。

「あたしが行かずに誰が行くんだい。倀鬼の軍を潰すのは、李六が太號君を押さえている今しかない。そして、太號君の術を破れるのは……ま、あたしだけだろう」

 霊狐は言葉に詰まった。

 正論である。

 一族の中でも、呪術において蓮香の右に出る者はいない。太號君の術を打ち破る者がいるとすれば、それは蓮香だろう。

 それだけに惜しい。

「香……必ず帰って来るのだぞ」

「約束は出来ないねえ。私に何かあったら旦那を頼むよ、大伯父」

「分っている。桑氏のことは気にするな」

 夫のことを念押しした蓮香は、まるで買い物に行くかのように前線へと向かう。

 その背中を霊狐は寂しげに見送った。



 蓮香が夫となる桑子明と出会ったのは二十年前のことである。

 当時の蓮香は妖仙――妖怪の仙人になる途上であり、各種の術や学問に励んでいた。

 仙人となるとなるには、体内にて気を練り、陰陽を和合させ神と為し、丹田に金丹を生じさせる必要がある。

 が、ここで一つ問題がある。

 妖怪というものの多くは陽気に欠け、陰気が盛んである。陰陽が均衡を保ってなければ、金丹を練ることはできない。

 まして蓮香は女である。女は陰に属し、やはり陰の気が旺盛である。

 そこでどうするのかと言えば、天地の精気を浴びつつ、胎息導引により陽気を少しづつ体内に取り入れ、長い年月をかけ仙人へと至るのである。

 しかし。

 ――陽気を集めるだけのことに何年かける気だ、阿保らしい。

 と、蓮香は思った。

 秀才の傲慢といって差し支えない。

 万事において他の者より覚えの早い蓮香にとって、上記の方法はあまりにも悠長であった。

 そこで蓮香はもっと手っ取り早い方法を選んだ。

 わざわざ天地から陽の気集めなくとも、陽の気を持っている者から貰えばよい。そういう発想の方法である。

 陽の気を持っている者とは、すなわち人間の男。貰い受ける方法は、すなわち、まぐわいである。

 言うまでもなく、これは正法ではない邪法であるが、蓮香は気にしなかった。

 結果が同じならそれでいいわ。

 それに退屈な胎息より、野合してた方が楽しい。

 と、考えた蓮香は山を下りて人里に近づいた。


 そこで蓮香が見初めたのが、後に夫となる桑子明であった。

 が、そこまで惚れ込んだわけではない。手ごろな相手として選んだだけ、というのが真相に近い。

 当時の桑子明は、科挙の為に学問をしていた学生の一人だった。

 学生といっても年は二十代の半ば。科挙の地方試験に及第しており、本試験を受験する為の生員という資格を持っている。

 美形の優男である。頭も悪くない。さらに周りの者よりも言動に下品なところが少なかったことなどが、蓮香の目を引いた。

 よし、やろう。

 蓮香は桑子明の下宿先の戸を叩いた。


 突然の訪問とはいえ、美女に言い寄られて断る理由を持つ男は少ない。

 たちまち二人は男女の仲となり、三日に一度蓮香は桑子明の家を訪問するようになった。

 しばらくの間は、そのように過ごしていて問題は何もなかった。

 蓮香は閨で営みを行いながら、陽気を集めることを楽しんだ。

 ところがある時から、桑子明に異変が生じた。

 顔に陰が浮かび、精彩にかけ、臓腑が冷えている。


 蓮香は首をひねった。

 どうしたことだ。陽気が回復していないじゃないか。

 自分が桑子明から陽気を奪い過ぎたか、という考えが浮かんだがすぐに否定した。

 訪問は三日に一度。

 自分が少々陽気を奪ったところで、普通の男なら自然に回復するはずである。現に今までは問題なかった。

「お前さん、具合がよくないみたいだけど、なにかあったのかい?」

「いや別に何も。少し風邪を引いただけだよ」

 と桑子明は答えた。

 蓮香は引っかかるものがあったが、桑子明がそれ以上何も言わないので、一応はそれで納得することにした。

「具合が悪いのなら無理をするもんじゃないよ。次は五日後にしようか」

 桑子明の消耗を考えて、蓮香は逢引の間隔を伸ばした。


 五日後、桑子明の状態は悪化していた。桑子明から陽気が殆どなくなっていた。

 ほぼ病人という状態であり、牀から身を起こすのにも苦労しているようである。

 自分はやっていない。と、なれば誰か他の者が桑子明から陽気を奪ったと考えるのが自然である。

「何があったのか、教えてくれないかい?」

 蓮香は優しく問いかけた。

「風邪が少し長引いて……」

「何があったのか、教えてくれないかい?」

 同じ言葉だが蓮香の口調が違う。二度目は強く言った。

 誤魔化せない、と思った桑子明だったが、引け目からか歪曲な言い方をした。

「君が狐で、私から精気を奪っているという者がいる」

「そいつは女だな!」

 その言葉でおおよその事情を察した蓮香は、()っと目を見開いた。

 怒りで身が震える。

 自分に内緒で桑子明が誰か他の女と密通していたことに怒った。

 しかも、その桑子明はまんまとその女の讒言を信じていることに怒った。

 が、最も怒ったのは。その女が桑子明を憑り殺そうとしているということである。

 自分は少し陽気を分けて貰う程度で、そこまでするつもりは毛頭ない。だからこそ、訪問は三日に一度だけに抑えていた。

 しかし相手の女はそんなことはお構いなしらしい。このままでは桑子明は精気を絞り尽くして殺される。

 何とかしなくては――そう思った自分に蓮香は驚いた。

 元々、桑子明が死のうが生きようが、蓮香にとってはどうでもよいことのはずだ。

 この浮気者にも少なからず腹が立っている。このまま見捨てればいい。

 だが、それはできなかった。

 表面的な思考と、感情による思いは別であることを、このとき蓮香は悟った。


 あたしはあたしが思うより、この男が好きみたいだ。みすみす殺させるのを眺めていることはできない。

 この男はあたしの物だ。

 そう思ったとき、蓮香は正体を明かしていた。

「確かにあたしは狐だ。けど、お前さんを殺そうとしているのはその女だよ」

 蓮香は人間の姿から、本来の狐の姿へと変わった。いや、戻った。

「た、助けて……」

 桑子明は怯えて身をよじったが、蓮香は構わず鼻先を桑子明の胸に近づけて匂いを嗅いだ。

 死の匂いがした。

 それに湿った土の匂いと、腐敗臭がする。

 ふん、そういうことか。

 それだけで蓮香は合点がいった。

「私に罪を着せようとした女は幽鬼だよ。そいつこそお前さんを憑り殺そうとしている。信じる信じないはお前さん次第だけど」

「し、信じる。信じる……」

「ようし、そうかい。ならこれをやろう」

 蓮香は糸で束ねた獣毛の束を差し出した。

「あたしの毛で作った御守りだ。これを持っていれば、そこら辺の幽鬼なら近寄れはしない。けど、もしお前さんがあたしの言葉を信じず、その女にまた会いたいというなら、捨てちまいな」

「捨てたりはしない、絶対に!」

「ふん、どうだかね。もしお前さんがあたしを信じるなら、次に会うのは三月後だよ」

 蓮香はあえて冷顔を向けて言った。


 桑子明の家を後にした蓮香は、旅装に着替えて慌ただしく発った。

 旅の目的は西方にある薬草である。

 見かけ以上に桑子明の病状は重い。あそこまで陽の気が枯渇してしまっているなら遠からず死ぬだろう。勿論自然に治癒することはない。

 それに、あのバカがこの期に及んであたしより浮気相手を信じるようなら、もっと時間は短くなる。

 全くもう世話がかかる!

 慍色を見せつつ、蓮香は旅路を急いだ。


 三か月後。

「ほう、どうやらまだ生きていたみたいだね」

「ああ、蓮香……君か」

 再び桑子明の枕頭に立った蓮香は皮肉な笑み浮かべた。

 が、内心、蓮香はほっと息をついた。

 間に合った。

 それに、やっぱり最後はあたしの言葉を信じたか。よしよし。

 桑子明の手には蓮香の渡した御守りが握られていることを認めると、蓮香は淡い満足感に満たされた。

「随分苦しそうだね。薬を持ってきたけど飲むかい? ただし毒かもしれない」

「僕が馬鹿だった。君に殺されるのなら、それでもいい」

 桑子明は蓮香が差しだした丸薬を呑みこんだ。

 途端に冷え切った体が熱くなり、桑子明は牀から身を起こした。

「少しは元気になったかい? これに懲りたら火遊びはこれっきりにすることだね」

「あ、ああ」

「さて次は幽鬼を何とかしようか」

「ど、どうする気だ? 僕は何をしたらいい?」

「お前さんは何もしなくていいよ。普段通りにしたらいい。ただ、これは返して貰う」

 蓮香は桑子明に預けた御守りを返して貰い、戸口の影に隠れた。


 するとその晩、怒りで顔を赤くした幽鬼が桑子明の部屋に現れた。

 幽鬼はドカドカと上がり込むと、感情のまま桑子明をなじった。

「一体どういうつもり! あの狐の言うことを真に受けるなんて!」

「狐ってあたしのことかい?」

「えっ」

 隠れていた蓮香は、すかさず幽鬼の退路を塞ぐように立った。

 慌てた幽鬼は逃げようともがいたが、蓮香は仙術を修めつつある妖狐である。

 たちまち幽鬼は取り押さえられ、観念した幽鬼は抵抗をやめた。

「さあて、どうしてくれようかね」

 蓮香は改めて捕らえた幽鬼を見ると、その女は想像していたよりもずっと若い姿をしていた。

 乙女というより少女に近い。

「お慈悲を……」

 と、少女の鬼は縋るように言った。

「なんで私の男に手を出した?」

「さ、寂しかったのです。私はこの通り早くに死んだので、殿方と愛を交わすことができませんでした。そんなとき睦まじいお二人の姿が目に入ったので、つい私も、と」

「ふん、百歩譲って誘ったのはよしとしようじゃないか。誘いに乗ったこの馬鹿にも責任があるからね」

 蓮香はキッと桑子明を睨んだ。

「けどねえ、私の男を殺そうとしたのは目を瞑れないね。なんで殺そうとしたんだい?」

 蓮香は詰め寄った。

 少女の鬼は、蓮香が恐ろしくて、ついに泣き出してしまった。

「そ、そんなつもりはなかったんです。ただ、私は桑さんと仲良くしたかっただけなんです! 本当に申し訳ありませんでした!」

「馬鹿だねえ。生身の人間同士だって毎日だと参っちまうってのに、生者と死者が毎日してたら、こうもなるわ」

 少女の鬼が泣いた時点で、蓮香はそれ以上責める気が失せてしまった。

 多分本当に悪気はなかったんだろう。

 それに、愛も知らず死んだこの娘も哀れと言えば哀れである。

「ふん。分かったのならもういいや。あたしが供養してやるから大人しく冥府に行きな」

「は、はい……」

 蓮香と桑は香を焚き、少女の魂を供養すると、以降その女の鬼が現れることはなかった。


 

 その後、蓮香と桑子明は種族の垣根を超え、正式に婚姻を結んだ。

 結婚する頃には蓮香の修行も終わり、蓮香は桑子明を連れ、霊狐の元に身を寄せていた。

 そして、世に太號君が現れた。

 蓮香にとって、妖虎の隆盛は渋面を作るのに十分であった。

 太號君が唱え、作ろうとしている世では、桑子明はとても生きていられそうにない――それは困る。

 こうなれば、太號君には死んでもらう他ない。

 霊狐の下で、蓮香は太號君と敵対する道を歩き始めた。


 そしていま、蓮香は戦場の土を踏んでいる。

 向かう先から強烈な死の匂いがした。

 倀鬼、それに虎牙将。普通なら近寄るべきではない相手である。

 ――なんであんな男の為に、あたしはここまでするのかねえ。全くもう。

 自嘲しつつも、蓮香の歩みは止まらない。

 愛という名の情熱に突き動かされ、蓮香は虎の牙の元へ向かった。

 

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