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神怪報冤譚─虎追いの少女─  作者: ミナミ ミツル
第四部 風箭雨刀の決戦
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第三十五話 両軍、対峙すること

 言葉には翼が生え、空を飛ぶことがあるらしい。

 金華娘敗れ去る。

 この一文は北の空を飛び、太號君の元に降り立った。


「まことか」

 太號君は酒杯を動かす手を止め、身を乗り出した。

 つい先日、金華娘が霊狐軍を打ち砕いた、という捷報(しょうほう)が届いたばかりである。

 それからわずか十日足らずで、一体何があったというのか。

 太號君は不満を隠さず、苛立った目つきで報告した臣を、見下ろしながら、詳細を促した。

「何があったか、申せ」

「はっ……金華娘様は霊狐軍の残党を追っていたところ、滞陣していた場所が豪雨によって流され軍は壊滅、その隙に小哪吒によって討たれた、とのことです。佐将慕容及も、時同じくして霊狐軍の将に……」

「――金華娘の大馬鹿者めが!」

 山々さえもを震わせるほどの声で太號君は大喝した。

 その目は怒りによって血走り、雷を纏っているかのように全身の毛が逆立った。

 蓋世不抜を自負する太號君は、股肱の臣である金華娘が死んだことよりも、十万の兵が壊滅したことよりも、自身の名が傷ついたことに怒った。

 もはや笑ってはいられない。

 太號君の名に泥を塗った者を殺さなければ、彼は怒りで眠ることさえできないだろう。


 万の兵さえたじろぐ激怒――だが、その声を恐れぬ者が太號君の配下に一人だけいた。

「へえ。金華娘め、死んだか」

 そう言ったのは、背の高い男だった。

 頬はこけ、腹はへこんでおり、手足がひょろりと長い。

 瞳には冷えがあり、まるで痩せた狼のような雰囲気の男である。

 その正体は金華娘と双璧を為す太號君の牙、虎牙将、三光人(さんこうれん)である。

「あの女はいつか俺が斬りたかった。まさか先を越す者がいようとはな」

三光人(さんこうれん)!」

 飄々とする男を捕まえ、太號君は苛々としながら言った。

「下らぬことを申すな。直ちに出師する、お前も支度しろ」

「雨のせいで多くの道が使えねえ。いま倀鬼どもに調べさせてるが、道順を決定するのに、しばらく掛かるぜ。それどころか兵を集めるのも一苦労だ」

 太號君は無言で三光人(さんこうれん)の報告を聞いていたが、その目に怒りの火は消えていない。

「ではどれくらいかかる?」

「大急ぎでやって十日ってとこだろ」

「倀鬼をもっと使ってよい、一週間で準備を終えよ」

「御意に……」

 そのときである。

 まだ三光人(さんこうれん)の言葉の響きが残っている中、新たな報告を携え、廷臣が走り込んできた。

「ほ、報告いたします! ただいま霊狐の軍が進撃中、既に我が邦との邦境を越えたとのこと」

「なに……?」

 三光人(さんこうれん)は瞠目した。

 たったいま自分が言ったことは、自軍だけでなく敵軍にも当てはまる。

 豪雨により軍の使用できる道が制限されている。

 地から湧いたのか、天から降った来たのか、そうでなくばこれほど早く向かってこれるはずが……というのがまず一つの驚きである。

 もう一つ、三光人(さんこうれん)を驚かせたのは、霊狐軍が向かってきたこと自体だ。

 相手は寡兵である。防衛戦ならともかく、攻め入ってくるなど自殺行為である。

 ――だが、これは破れかぶれの行動じゃねえ。

 三光人(さんこうれん)はそこに鋼のような意志を感じだ。

 各地が分断されたせいで、兵を集められん。

 総勢五十万と号した兵力が、この瞬間は激減している。使える兵は砦に詰めている者と、ごく近隣の者ども、合わせて数万がいい所だろう。

 この僅か間だけ兵力に差はない。そこまで考えての進軍のはずだ。

「今まで霊狐は無難に領地を治めるだけの男だった。これほど激烈な行動を取るはずが無え。軍を動かしてるのは金華娘を殺した小哪吒って野郎だ」

「うむ……」

 三光人(さんこうれん)はハッと太號君の方を向いた。

 先ほどまで怒りに震えていた 妖虎は打って変わって穏やかな表情を浮かべ、顎を撫でていた。

「その小哪吒だけが、我が意に沿って動いておるわ。自らわしの前に飛び込んでくるとは、な」

「太號君サマよぉ。獲物が飛び込んできてご満悦かも知れねえが、気を付けた方がいいかも知れんぜ。追い詰められりゃ鼠とて猫を噛む。小哪吒なら虎にだって噛みつくだろうよ」

「わしはそのような者が好きだ。逃げ散るよりも向かってくるものがな。さて小哪吒を出迎える準備をいたせ。奴が来る前に城の前に布陣せよ」

 

 道理から外れた命令であった。

 この状況で、時は太號君の味方である。

 城に籠って時間を稼げば周囲から友軍が駆けつける。そうすれば数で霊狐軍、もとい小哪吒の軍を圧殺することは容易い。

 が、籠城という選択肢は太號君にない。

 あくまで野戦で迎え撃つ構えである。

 三光人(さんこうれん)は諫めようと口を開きかけたが、やめた。

 ――これは慢心、じゃねえ。

 これから屍山血河を築き、覇道を歩もうとする者が、この程度の敵に縮こまるように戦うのは馬鹿げている。

 その点で三光人(さんこうれん)も太號君と同意見だった。

 小哪吒など何するものぞ。

 我らが前に立ち塞がるなら誰だろうと滅ぼすのみだ。



 君子南面、という思想がある。古来、天子たるものは北側に座り、南を向いて朝廷を開くのである。

 太號君の盤踞する風箭谷は極北に位置し、小哪吒軍は南から北へ攻め上っているのだから小哪吒軍は自然と南面する王者に挑む、という構図になった。

 互いの旒旗(りゅうき)が林立し、天を翳らせた。

 太號君の旗は黒く、対照的に小哪吒軍の旗は白い。

 天には戦雲が立ち込め、晴れでもなく雨でもないあやふやな様相を見せた。あえていうならば、灰色の日という形容が相応しいだろう。

 戦場には陰陽の気がまじりあい、陰が陽に転じようとしているのか、それとも陽が陰に転ずる前触れか、判然としない。


 対峙し、睨み合う二つの軍から少し離れたところで、一人の男が戦場を睥睨していた。

 六の二人目の師、太陽道士である。

 既に我が心は冷え切っている、と太陽道士は常々自嘲していたが、この時ばかりは彼の胸も高鳴り、失ったはずの左腕が疼いた。

 敵は分断され、小哪吒に与力するものは多い。我が弟子は教え通り、紅衣を手に趨走したと見える……。

 準備は整った。これより先は未知の領域。結果は神のみぞ知る。

 ――為るか、紅衣神功。妖虎を討つか。

 太陽道士は固唾を飲んで戦況を眺めた。

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