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神怪報冤譚─虎追いの少女─  作者: ミナミ ミツル
第三部 長風破浪
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第三十三回 小哪吒、蠍の首を刎ねること

「終わりぞ、小哪吒」

 三昧金剛の法を発動させた金華娘の(はだ)は鎧の如く硬質化し、黄金色に輝いた。

 元々堅牢であった金華娘の守備がさらに高まったのは勿論こと、攻めも速さも一段と激しさを増す。

 金華娘が爪を立てると、その爪は五寸ほど伸びると同時に、鋭利な刃物へと変化した

 鉄がしなるように金華娘の足がしなると、次の瞬間跳躍するように金華娘は六に迫っていた。

 六は剣で金華娘の爪を払い、返す刀で金華娘の体を斬り上げた。

 炎の剣は確かに金華娘の胴へ当たった。両断されていても不思議はない。

 しかし金華娘は相変わらず動じず嗤笑した。

「無駄だと言っていることが分からぬか。そら!」

 金華娘は突如、くるりと背を向けた。

 六の脳裏に恐怖が蘇る。

 二年前、自分を殺した技だった。

 あの時と同じく、金華娘の背の服が破れ、毒の針を持つ尾が飛び出した。

「ちいっ!」

 六は毒の針を剣で受け止めながら、顔を歪ませた。

 これほど戦って勝機が見えない相手は初めてだった。

 湘塘龍王ですらもう少し手応えを感じた。しかし金華娘は、どう攻めても、有効打を与えている風には思えない。

 この世に無敵の者などいない。それは分かっているが、六はこの不可解な相手を攻めあぐねた。

 ええい、どうしたことだこれは!

 戦いながら、六は苛立ちが募らせた。そして苛立ちが募ると、六は内面のある部分は、急速に冷えた。

 それは人格の分裂に近い。

 六のある面は、怒りで沸騰しながら金華娘を観た。

 しかし、別の面では極めて冷静に金華娘を観ていた。

 やがて六の内面にある、冷静な部分が六の口を動かした。

「金華娘……見事だ」

 賞賛である。

 戦いのさなか。この瞬間から、六は怒りを棄て金華娘から学び始めた。

 持ち味である果敢な攻めを止め、一旦六は守りに徹した。

 金華娘の振るう爪や毒針を防ぎながら、その戦術と強さの基を見極めるべく、六は金華娘を観る。

 これは師兄、章元の得意とした戦術である。

 長い戦いとなった。

 炎の剣と金爪毒針が十合、二十合と打ち合う。

 周囲では屠虎の同志や荊棘兵が、この一騎打ちの行方を固唾を飲んで見守った。

 劉与と洪宣もこの戦いを見た。あまりにも高度な戦いであり、そこに割って入れぬ自分に二人は歯噛みした。

「ど、どちらが上か分かるか、洪宣」

 劉与の問いに、一呼吸おいてから洪宣は首を傾げた。

「天の窮みを見ようとするが如しだ。とても分からぬ……」


 白刃が火花を散らせる。

 舞い上がる砂礫が少女の顔を撫でた。

 六は余裕を取り戻し、歯を見せた。

 ようやく、見えてきた。こいつの正体。

「しゃあ!」

 金華娘が鋭い金切り声を上げながら爪を振るう。

 その動きに合わせ、六は金華娘の肩の辺りを突いた。

「ぎゃっ!」

 金華娘は突かれた場所を押さえながらヨロヨロと後退した。

 その指の間から血が流れる。初めて六の剣が金華娘の体を傷つけた。

 高らかに六は勝利を宣言する。

「見切ったぞ、三昧金剛! 金華娘、敗れたり!」

「たかが薄皮一枚切っただけで、もう勝った気かえ!」

 金華娘は目を剥いて怒りの表情を見せたが、六は剣を構え直し、さらに金華娘を激怒させる言葉を放った。

「金華娘……我らの目的は太號君ただ一人だ。いま逃げるならあえて追おうとは思わない。疾く去れ、二度と私に顔を見せるな」

「きっ……」

 怒りのあまり、一瞬金華娘は言葉を失った。

 大妖と呼ばれる者にとって、これほどの侮辱を受けたのは初めてのことである。

 次の瞬間、全身の血が煮えたぎるほどの感情の奔流が全身を貫き、金華娘は絶叫しながら六に襲い掛かった。

「貴様ァァァァァァァァァ! ああああああああ!」

 激情をそのままぶつけようとする金華娘に対し、六の動きは実に静かで、かつ精妙であった。

 火行の大経は激しく燃えるばかりが能ではない。時にその機動には玄妙さが加わる。

 ろうそくの炎が風に揺らめくように、音もなく踏み込んだ六の剣は、金華娘の脇腹に滑り込んだ。

 流れ出た鮮血が玉佩を濡らし、地に滴り落ちた。

「ま、まさか――!?」

 二太刀目を浴び、赤熱化している剣で斬られる熱さを感じた金華娘は、いよいよ驚愕した。

 まぐれではない。

 六はそれを証明するかのように、戦いの中で察した金華娘の秘密を暴露した。

「見切ったと言ったはずだ、金華娘。美しく外見を飾ったお前の体――恐らく、内部では鎧のような構造をしていると見た。それは三昧金剛の術によってさらに強化され、私でも破れぬ堅牢さを誇っているのだろう……だが、鎧であるなら隙間を断てばよい」


 鎧で覆えぬ可動部を断つ。

 六の言っていることはつまるところ、そういうことだが、口で言うほど簡単なことではない。

 まず、金華娘の体を守る鎧。その隙間は外見からは分らない。動きから推察するしかないのである。

 次に金華娘は、勿論自身の弱みを熟知している。当然僅かにできる隙間を庇うように動いている。

 それでも、六の剣はまるで吹き抜ける風のように、金華娘の肉へと届いた。

 それを可能にしたのは、六の尋常でない学習の早さ。いわば武への貪欲さである。


「さあ、如何する金華娘?」

 六が迫ると、一瞬だけ金華娘は憤怒の形相を見せ、次の瞬間、金華娘の体にひびが入り、勢いよく爆ぜた。

「このような豎子(じゅし)に、我が姿を晒すことになろうとは……」

 地の底から響くような声と共に、金華娘の中から何かが這い出した。

 現れたものは急速に膨れ上がり、瞬く間に一個の怪異となった。

 金華娘なる妖怪の本性。それは大きさが十丈はあろうかという、黄金の(さそり)であった。

 巨妖である千骨より、なお二回りは大きい大巨妖である。

 千骨に怯まなかった霊狐軍の猛者たちも、金華娘の変容には驚いた。

 弓を手にしていた兵は、慌てて矢を番えると、黄金の蠍へ矢を放った。が、殆どの矢はその強固な甲殻に阻まれ弾き返される。

「太號君様に仇なすもの、この場で鏖殺してくれるわ!」

 針尾をもたげ、巨大な鋏を振り回して威嚇する金華娘の迫力に、霊狐軍は浮足立った。

 それでも軍が踏みとどまったのは、先頭に立つ四人の将が不動の構えを見せたからである。

 劉与、洪宣、荊棘姫、そして六の四名であった。


「はっ。どうりで私の剣でも斬れないはずだ。女の皮の下に、こんなものが隠れていたとはね」

 巨大な黄金の蠍を前に六は肩を竦めた。

「こんな化け物相手じゃ、さしものお前でも手を焼くだろう。手を貸すぜ」

「私と劉与は右から攻めよう」

 と、洪宣がいうと、合わせて荊棘姫も頷いた。

「ならば私は左を受け持つ」

 この申し出に対し、六は静かに首を振った。

「師兄や荊棘姫の手を煩わせるまでもないわ。三人とも、ちょっと剣を貸してくれるだけでいい」

「六、まさか一人で……」

「まあ見てて」

 劉与が止める間もなく、六はただ一人ふらりと金華娘へと向かっていった。

 泥をはね上げ、地響きを起こしながら、金華娘が六へと迫る。

「李六、受け取れ!」

 と、荊棘姫が腰から剣を抜き、六と金華娘へ向かって投げた。

「応」

 と答えた六。

 御剣術により、荊棘姫の投げた剣を自身の制御下におくと、空中で剣がピタリと止まる。

 金華娘は無造作に近づく六の頭上に、毒針の付いた尾を振り下ろした。

 刹那、六は高らかに宣言した。

 将たる威厳を備えた声が戦場へ響き渡る。

「――さあ御覧じろ!」

 空中に留めていた剣が矢のように突如として跳梁し、尾から毒針を切断した。

「六!」

「俺の剣も使え!」

 劉与、洪宣も剣を六に向って投げた。

 二振りの剣はやはり六に付き従うように旋回した後、それぞれが蠍の腕から鋏を切り離した。

 ――竜麟に勝るとも劣らぬ金華娘の甲殻(よろい)

 正しき時に正しき場所に刃を入れば、これほど脆い。

 三振りの剣で金華娘の武器を取り除いた六は跳躍し、自身の剣を蠍の首筋に滑り込ませ、くるりと手首を返す。

「た、太號君さま……」

 金華娘は今際に主君の名を唱え、それが断末魔の叫びとなった。

 黄金の蠍の首が落ちる。

 霊狐軍の勝ち鬨が轟いた。


 ――疲れた。

 喜びより先に、六の体にはどっと疲労が押し寄せた。

 湘塘龍王に金華娘。どちらも容易ならざる相手だった。

 たまらず、六は剣を杖にして寄りかかり、体を預けた。

「おう、流石の小哪吒も限界か」

「もう腰が立たないわ。少し横になりたい」

 荊棘姫は笑いながら六に手を差し伸べた。

「もう少し頑張れ。横になるのは、兵にお前の健在を見せてからだ」

 荊棘姫の肩に支えられながら、六は兵の中を練り歩き、歓声を受けた。時に兵と共に勝ち鬨を上げた。



 軍全体が歓喜に包まれる中、歓声が起こる中心から外れたところで、劉与と洪宣は泥の中で足掻く男を発見した。

 千骨隊を率いていた倀鬼、慕容及である。

 慕容及の胸には矢が刺さっていたが、それだけでは死ねずに、泥の中でもがいていたようだった。

 武林に生きる二人にとって、強者は尊敬に値する。

 絶人白魔慕容及の名は、二人にとって憧れを抱くのに十分な輝きを持っていた。

 その英雄が妖怪の手に落ち、使い魔として酷使され、挙句泥の中に沈んでいる。

 その姿を見るに忍びなく、自分が泥にまみれることも厭わず劉与は、慕容及を助け起こしていた。

「しっかりしろ!」

「なにをしている? 俺はお前らの敵だぞ」

「もう戦いは終わった。敵も味方もない」

「あ、甘いな。これが芝居で、もし俺が暗器を帯びていたらどうする気だ?」

「武林に名高い月覇門の慕容及はそのようなことはせん!」

「は、は」

 慕容及は乾いた笑声を放った。骨と骨がぶつかり合う音に似ていた。

「月覇門の慕容及はもういない。ここにいるのは太號君様の倀鬼だ。もう一度言う、俺はお前らの敵だ。いいか容赦はするな! 虎に仇なす者どもよ、俺を踏みつけにして往くがいい!」

 と、慕容及は叱るように言った。

 だが劉与と洪宣は、その言葉の裏に隠された想いを感じずにはいられなかった。

 倀鬼は太號君に逆らうことは許されない。

 だが、慕容及は暗に太號君を殺せと言っているのである。

 その言葉の真意、そこにある無念は、まさに屠虎の同志たちを結びつけているものだ。

 劉与と洪宣は、仲間を見るのと同じ眼差しで慕容及を見た。言葉は交わせなくとも、三人の願いはただ一つ。

「慕容及、我らは必ずや虎を屠るだろう。黄泉のほとりで見ていろ」

「……は」

 最期の瞬間、慕容及はかっと目を見開いた。

「……金華娘を倒した者、()たる君子に伝えろ。先日お前らと一緒に居た者が、死ぬ間際に後を頼むと言っていた、と」

「ああ。伝えるとも」

 後を頼む。

 彭幹の言葉の上に、自分の言葉を乗せることができた慕容及は、満足げに頷いた。

 その体は灰と化して音もなく崩れていく。


 太號君が発した十余万の軍勢はここに潰えた。


第四部 風箭雨刀の決戦 へ続く

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