第三十三回 小哪吒、蠍の首を刎ねること
「終わりぞ、小哪吒」
三昧金剛の法を発動させた金華娘の膚は鎧の如く硬質化し、黄金色に輝いた。
元々堅牢であった金華娘の守備がさらに高まったのは勿論こと、攻めも速さも一段と激しさを増す。
金華娘が爪を立てると、その爪は五寸ほど伸びると同時に、鋭利な刃物へと変化した
鉄がしなるように金華娘の足がしなると、次の瞬間跳躍するように金華娘は六に迫っていた。
六は剣で金華娘の爪を払い、返す刀で金華娘の体を斬り上げた。
炎の剣は確かに金華娘の胴へ当たった。両断されていても不思議はない。
しかし金華娘は相変わらず動じず嗤笑した。
「無駄だと言っていることが分からぬか。そら!」
金華娘は突如、くるりと背を向けた。
六の脳裏に恐怖が蘇る。
二年前、自分を殺した技だった。
あの時と同じく、金華娘の背の服が破れ、毒の針を持つ尾が飛び出した。
「ちいっ!」
六は毒の針を剣で受け止めながら、顔を歪ませた。
これほど戦って勝機が見えない相手は初めてだった。
湘塘龍王ですらもう少し手応えを感じた。しかし金華娘は、どう攻めても、有効打を与えている風には思えない。
この世に無敵の者などいない。それは分かっているが、六はこの不可解な相手を攻めあぐねた。
ええい、どうしたことだこれは!
戦いながら、六は苛立ちが募らせた。そして苛立ちが募ると、六は内面のある部分は、急速に冷えた。
それは人格の分裂に近い。
六のある面は、怒りで沸騰しながら金華娘を観た。
しかし、別の面では極めて冷静に金華娘を観ていた。
やがて六の内面にある、冷静な部分が六の口を動かした。
「金華娘……見事だ」
賞賛である。
戦いのさなか。この瞬間から、六は怒りを棄て金華娘から学び始めた。
持ち味である果敢な攻めを止め、一旦六は守りに徹した。
金華娘の振るう爪や毒針を防ぎながら、その戦術と強さの基を見極めるべく、六は金華娘を観る。
これは師兄、章元の得意とした戦術である。
長い戦いとなった。
炎の剣と金爪毒針が十合、二十合と打ち合う。
周囲では屠虎の同志や荊棘兵が、この一騎打ちの行方を固唾を飲んで見守った。
劉与と洪宣もこの戦いを見た。あまりにも高度な戦いであり、そこに割って入れぬ自分に二人は歯噛みした。
「ど、どちらが上か分かるか、洪宣」
劉与の問いに、一呼吸おいてから洪宣は首を傾げた。
「天の窮みを見ようとするが如しだ。とても分からぬ……」
白刃が火花を散らせる。
舞い上がる砂礫が少女の顔を撫でた。
六は余裕を取り戻し、歯を見せた。
ようやく、見えてきた。こいつの正体。
「しゃあ!」
金華娘が鋭い金切り声を上げながら爪を振るう。
その動きに合わせ、六は金華娘の肩の辺りを突いた。
「ぎゃっ!」
金華娘は突かれた場所を押さえながらヨロヨロと後退した。
その指の間から血が流れる。初めて六の剣が金華娘の体を傷つけた。
高らかに六は勝利を宣言する。
「見切ったぞ、三昧金剛! 金華娘、敗れたり!」
「たかが薄皮一枚切っただけで、もう勝った気かえ!」
金華娘は目を剥いて怒りの表情を見せたが、六は剣を構え直し、さらに金華娘を激怒させる言葉を放った。
「金華娘……我らの目的は太號君ただ一人だ。いま逃げるならあえて追おうとは思わない。疾く去れ、二度と私に顔を見せるな」
「きっ……」
怒りのあまり、一瞬金華娘は言葉を失った。
大妖と呼ばれる者にとって、これほどの侮辱を受けたのは初めてのことである。
次の瞬間、全身の血が煮えたぎるほどの感情の奔流が全身を貫き、金華娘は絶叫しながら六に襲い掛かった。
「貴様ァァァァァァァァァ! ああああああああ!」
激情をそのままぶつけようとする金華娘に対し、六の動きは実に静かで、かつ精妙であった。
火行の大経は激しく燃えるばかりが能ではない。時にその機動には玄妙さが加わる。
ろうそくの炎が風に揺らめくように、音もなく踏み込んだ六の剣は、金華娘の脇腹に滑り込んだ。
流れ出た鮮血が玉佩を濡らし、地に滴り落ちた。
「ま、まさか――!?」
二太刀目を浴び、赤熱化している剣で斬られる熱さを感じた金華娘は、いよいよ驚愕した。
まぐれではない。
六はそれを証明するかのように、戦いの中で察した金華娘の秘密を暴露した。
「見切ったと言ったはずだ、金華娘。美しく外見を飾ったお前の体――恐らく、内部では鎧のような構造をしていると見た。それは三昧金剛の術によってさらに強化され、私でも破れぬ堅牢さを誇っているのだろう……だが、鎧であるなら隙間を断てばよい」
鎧で覆えぬ可動部を断つ。
六の言っていることはつまるところ、そういうことだが、口で言うほど簡単なことではない。
まず、金華娘の体を守る鎧。その隙間は外見からは分らない。動きから推察するしかないのである。
次に金華娘は、勿論自身の弱みを熟知している。当然僅かにできる隙間を庇うように動いている。
それでも、六の剣はまるで吹き抜ける風のように、金華娘の肉へと届いた。
それを可能にしたのは、六の尋常でない学習の早さ。いわば武への貪欲さである。
「さあ、如何する金華娘?」
六が迫ると、一瞬だけ金華娘は憤怒の形相を見せ、次の瞬間、金華娘の体にひびが入り、勢いよく爆ぜた。
「このような豎子に、我が姿を晒すことになろうとは……」
地の底から響くような声と共に、金華娘の中から何かが這い出した。
現れたものは急速に膨れ上がり、瞬く間に一個の怪異となった。
金華娘なる妖怪の本性。それは大きさが十丈はあろうかという、黄金の蠍であった。
巨妖である千骨より、なお二回りは大きい大巨妖である。
千骨に怯まなかった霊狐軍の猛者たちも、金華娘の変容には驚いた。
弓を手にしていた兵は、慌てて矢を番えると、黄金の蠍へ矢を放った。が、殆どの矢はその強固な甲殻に阻まれ弾き返される。
「太號君様に仇なすもの、この場で鏖殺してくれるわ!」
針尾をもたげ、巨大な鋏を振り回して威嚇する金華娘の迫力に、霊狐軍は浮足立った。
それでも軍が踏みとどまったのは、先頭に立つ四人の将が不動の構えを見せたからである。
劉与、洪宣、荊棘姫、そして六の四名であった。
「はっ。どうりで私の剣でも斬れないはずだ。女の皮の下に、こんなものが隠れていたとはね」
巨大な黄金の蠍を前に六は肩を竦めた。
「こんな化け物相手じゃ、さしものお前でも手を焼くだろう。手を貸すぜ」
「私と劉与は右から攻めよう」
と、洪宣がいうと、合わせて荊棘姫も頷いた。
「ならば私は左を受け持つ」
この申し出に対し、六は静かに首を振った。
「師兄や荊棘姫の手を煩わせるまでもないわ。三人とも、ちょっと剣を貸してくれるだけでいい」
「六、まさか一人で……」
「まあ見てて」
劉与が止める間もなく、六はただ一人ふらりと金華娘へと向かっていった。
泥をはね上げ、地響きを起こしながら、金華娘が六へと迫る。
「李六、受け取れ!」
と、荊棘姫が腰から剣を抜き、六と金華娘へ向かって投げた。
「応」
と答えた六。
御剣術により、荊棘姫の投げた剣を自身の制御下におくと、空中で剣がピタリと止まる。
金華娘は無造作に近づく六の頭上に、毒針の付いた尾を振り下ろした。
刹那、六は高らかに宣言した。
将たる威厳を備えた声が戦場へ響き渡る。
「――さあ御覧じろ!」
空中に留めていた剣が矢のように突如として跳梁し、尾から毒針を切断した。
「六!」
「俺の剣も使え!」
劉与、洪宣も剣を六に向って投げた。
二振りの剣はやはり六に付き従うように旋回した後、それぞれが蠍の腕から鋏を切り離した。
――竜麟に勝るとも劣らぬ金華娘の甲殻。
正しき時に正しき場所に刃を入れば、これほど脆い。
三振りの剣で金華娘の武器を取り除いた六は跳躍し、自身の剣を蠍の首筋に滑り込ませ、くるりと手首を返す。
「た、太號君さま……」
金華娘は今際に主君の名を唱え、それが断末魔の叫びとなった。
黄金の蠍の首が落ちる。
霊狐軍の勝ち鬨が轟いた。
――疲れた。
喜びより先に、六の体にはどっと疲労が押し寄せた。
湘塘龍王に金華娘。どちらも容易ならざる相手だった。
たまらず、六は剣を杖にして寄りかかり、体を預けた。
「おう、流石の小哪吒も限界か」
「もう腰が立たないわ。少し横になりたい」
荊棘姫は笑いながら六に手を差し伸べた。
「もう少し頑張れ。横になるのは、兵にお前の健在を見せてからだ」
荊棘姫の肩に支えられながら、六は兵の中を練り歩き、歓声を受けた。時に兵と共に勝ち鬨を上げた。
軍全体が歓喜に包まれる中、歓声が起こる中心から外れたところで、劉与と洪宣は泥の中で足掻く男を発見した。
千骨隊を率いていた倀鬼、慕容及である。
慕容及の胸には矢が刺さっていたが、それだけでは死ねずに、泥の中でもがいていたようだった。
武林に生きる二人にとって、強者は尊敬に値する。
絶人白魔慕容及の名は、二人にとって憧れを抱くのに十分な輝きを持っていた。
その英雄が妖怪の手に落ち、使い魔として酷使され、挙句泥の中に沈んでいる。
その姿を見るに忍びなく、自分が泥にまみれることも厭わず劉与は、慕容及を助け起こしていた。
「しっかりしろ!」
「なにをしている? 俺はお前らの敵だぞ」
「もう戦いは終わった。敵も味方もない」
「あ、甘いな。これが芝居で、もし俺が暗器を帯びていたらどうする気だ?」
「武林に名高い月覇門の慕容及はそのようなことはせん!」
「は、は」
慕容及は乾いた笑声を放った。骨と骨がぶつかり合う音に似ていた。
「月覇門の慕容及はもういない。ここにいるのは太號君様の倀鬼だ。もう一度言う、俺はお前らの敵だ。いいか容赦はするな! 虎に仇なす者どもよ、俺を踏みつけにして往くがいい!」
と、慕容及は叱るように言った。
だが劉与と洪宣は、その言葉の裏に隠された想いを感じずにはいられなかった。
倀鬼は太號君に逆らうことは許されない。
だが、慕容及は暗に太號君を殺せと言っているのである。
その言葉の真意、そこにある無念は、まさに屠虎の同志たちを結びつけているものだ。
劉与と洪宣は、仲間を見るのと同じ眼差しで慕容及を見た。言葉は交わせなくとも、三人の願いはただ一つ。
「慕容及、我らは必ずや虎を屠るだろう。黄泉のほとりで見ていろ」
「……は」
最期の瞬間、慕容及はかっと目を見開いた。
「……金華娘を倒した者、匪たる君子に伝えろ。先日お前らと一緒に居た者が、死ぬ間際に後を頼むと言っていた、と」
「ああ。伝えるとも」
後を頼む。
彭幹の言葉の上に、自分の言葉を乗せることができた慕容及は、満足げに頷いた。
その体は灰と化して音もなく崩れていく。
太號君が発した十余万の軍勢はここに潰えた。
第四部 風箭雨刀の決戦 へ続く




