第二十五回 鏢客が龍女を救い出すこと
監獄となった舎の中で、故郷である永江を想い、子援は長息した。
永江に比べ、湘塘の水は冷たい。そこに住む者の心も、冷たい。
と、つくづく感じた。
それは自分が冷遇されているのだけが理由ではない。
自分のような者の耳にさえ、遠く離れた戦禍の様子が聞こえてくるのに、そのことを誰も君に諫言しない。
そう考えれば、湘塘龍王のことが哀れに思えた。
君主は孤独だ。
過ちを正すよう助言する者はおらず、伝えられる真実は捻じ曲げられ、ただ一人現実から離れた幻想の中にいる。
それとも、そんなふうに考える自分が間違っているのだろうか。
夫である湘塘龍王を哀れに思うのは、自分の境遇を慰めようとする強がりでしかないのだろうか。
子援は自分の喉元を触った。
首には包帯が巻かれ、その上を指でなぞると、削がれた鱗の痕がズキズキと痛む。
だが、この痛みを過ちと思いたくない。
私は心まで冷たい女になりたくない。
……それでも、湘塘の冷水が私の心を凍えさせる。
時間が惜しい。
娘の身を案じる永雲龍王も、地上の様子が気になる六も共にそう思っていた。
そのため、ゆるゆると座って作戦を立てるのではなく、湘塘の竜宮に向かう道すがら、六は永雲龍王の謀臣たちと話し合い、救出作戦を立てた。
なんとか六が竜宮に侵入し、獄を破って子援を救出し脱出。
いってしまえば作戦の概要はそれだけであるが、そのためには内部からの協力者が必要だった。
子援が囚われている場所を誰かが教えてくれなければ、六とて救出できない。
それにはまず子援の従者である貝と連絡を取る必要がある。
「貝ちゃんはどうやって手紙を出したんです?」
と六は龍王の臣に訊ねた。
「竜宮に出入りする医人が、子援様を憐れんで手紙を外部に運んだそうだ」
「御典医かな」
「違う。後宮に出入りする薬師だ。その者が鱗を削がれた子援様を治療した際、貝は手紙を持たせた」
「貝ちゃんはいい仕事をしたな。では、その薬師を引き込みましょう。その者を通じて貝ちゃんと連絡を取るしかない」
その謀臣――青白い肌をした鮫人は長大息した。
「うむ。その手配は私が何とかしよう。薬師と取引のある商人と繋いでみせましょうぞ」
「ありがとうございます」
「礼などとんでもない!」
六が何気なく言った一言に、鮫人が思いのほか反応した。
「もっとも危険なところは六殿にお願いするほかないのですぞ!」
「危険……確かに。でも友達を助けに行くんですよ。誰にも気兼ねしない、胸を張れる行為だ。仇討ちなんかよりずっと清々しい気分だわ」
数日後。
件の薬師は荷車を引いて後宮の門をくぐろうとしたところを、門衛に止められた。
「薬にしては量が多い」
「や、これは。実はおかげさまで扱う品を広げまして。薬だけでなく化粧品と布帛(織物)も扱うことにしたのです」
薬師の女はハキハキと答えた。
荷車に積んでいた行李の一つを開けると、改めますか、と門衛に尋ねた。
だが門衛は面倒くさそうに首を振った。
「調べるのも面倒だ。行け。ただし余計な部屋に入るなよ」
「はいっ」
薬師は頭を下げて宮門を抜けた。
門から遠ざかる薬師の背後では「なんで女はああ着飾るのが好きなのかねえ」などという呑気な声が聞こえた。
荷車を引いた薬師は、そのまましばらく進むと物陰に身を潜めた。
周囲を確認して、小声で声を出す。
「もういいですよ」
そういうと行李の中から小さな手が這い出してきた。
無論、六の手である。
小柄かつ体の柔らかい彼女は、身体の柔軟性を十分に発揮し、とても人が入るとは思われない行李の中に身を潜めていた。
「ここから二つ左隣の部屋に子援殿の侍女が来ることになっております」
「ありがとう。おかげで助かった。この水府の蒼亀荘という宿に、永雲龍王の臣が詰めています。手筈通り、あなたはそちらから逃れて下さい。大丈夫、あなたに湘塘龍王の咎めは届きません」
薬師の顔には僅かな不安がある。
六はその憂いの色を、湘塘龍王を裏切った恐怖だと解釈し、励ますように言った。
しかし、それは少し思い違いだったらしい。
「あ、いえ、私は大丈夫ですが、李六さんは……」
と薬師は口ごもった。彼女は六の身を案じていたのだ。
薬師が六を後宮の中に導き、六は子援と侍女の貝を救出して、地上を通って永江へ。
一方薬師は永雲龍王の臣と共に別ルートで永江を目指す。
六たちが考えた作戦の概略はこうだが、この作戦には一つ重大な欠陥がある。
大した武器を持ち込めないことだ。
湘塘龍王の兵と戦うかもしれないことを考えたら、槍が欲しい。
が、六がいま身に着けているのは、身に隠せるギリギリの長さの脇差一振りだけだ。普通に考えれば実に心許ない。
普通ならば。
自分を心配してくれた薬師に六は微笑を向けた。
「私の事は心配いりません。さあ早く行って。ここは騒がしくなります」
「まだ品物が満杯だ。このままじゃ不審がられるので、ある程度売ってから戻りますよ」
と、薬師も六に劣らず大胆なところを見せた。
六は薬師と別れ、貝と落ち合う部屋に入った。
ほどなく貝が現れた。
「貝ちゃん」
「ひっ」
物陰に隠れていた六が小声で声をかけると、貝は飛び上がらんばかりに驚いた。
貝もどちらかといえば気丈な方だが、流石に一歩間違えたら命がない綱渡り、という状況には慣れていない。
大声を出される前に六は慌ててその口を塞いだ。
「静かに」
「り、李六さんか。よかった~……」
「安心するのはまだ早いよ。子援ちゃんはどこ?」
「後宮の奥の小さな舎があり、その中におります。というか出ることが許されません」
「よし。舎の場所を教えて、あとは私がやる」
「李六さん。そこは監視されています。見つからず入るのも難しいですよ」
にっと六はいたずらを思いついたような笑みを浮かべた。
「任せて。そんなもんいくらでも入る方法はあるわ」
貝は普段通り子援の囚われている部屋に膳を運んだ。
しかし、ここで六のことを話すわけにはいかない。
子援の世話をする、という名目で子援の様子を監視する宮女がおり、貝と子援が何を話したかは逐一聞き耳を立てられている。
そこで貝は膳を渡す際、片目を閉じた。
「……ん?」
子援が首を傾げたほんの僅かな瞬間、貝は膳を手渡すと素早く手で数字を示した。
『六』
それだけで貝は何も言わず舎から出て行った。
監視の宮女は貝のサインに気付いてすらいない。
だが子援には確かに伝わった。
炎の少女が来る。
そう思えば湘塘の寒さが吹き飛ぶようだった。
高鳴る鼓動を抑え込むように子援は呟いた。
「でも無茶はしないで、六ちゃん」
「こんなの無茶のうちに入らないよ、子援ちゃん」
思いがけない返答に子援はハっとした。
どこをどうして侵入したものやら、上を見るとヤモリのように六が天井に張り付いている。
「お待たせ!」
と、天井に張り付いたまま六は微笑みかけた。
「えっ」
驚いた子援は小さな声を上げ、異変に気付いた見張りの者も天井を見上げた。
「――キャッ……」
だが宮女の声帯が震えようとした瞬間、六は指で宮女の胸を突き、声を上げる間もなく昏倒させた。
「ちょっと六ちゃん、その子大丈夫なの?」
「点穴を突いて一時的に気の流れを乱しただけよ。しばらくすれば回復する」
「そう。よかった」
「さ、無駄話してる暇はないわ。とっとこんなところ出て行こう」
「父上の命令?」
「いや、命令じゃない。私が受けたのは仕事の依頼よ。格安で受けたけどね。それに私たち友達でしょ?」
六は子援の手を取った。
その手は子援にとって火傷するほど熱く感じた。さっきまで感じていた寒さはなど、どこかに吹き飛んでいた。
「さ、帰るよ。帰り道はちょっとだけ揺れるけど我慢してね」
子援は安心しきった顔で頷いた。
「ええ、お願いするわ、鏢客さん」




