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神怪報冤譚─虎追いの少女─  作者: ミナミ ミツル
第二部 地にはためく紅衣
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第十九回 炎、妖熊の短を語り、妖狐が干戈の音を鳴らすこと

 山を下りた六は何事もなく彭幹、四聴と合流し一息ついた。

「荊棘姫には会えましたか」

「上手くいったよ。とはいえ、途中で冷や汗が出たわ。聞きしに勝る使い手とはあれのことね」

 思い返して改めて六は感服した。

 明鏡の術、とでも言おうか。

 荊棘姫の前では、発した気がそのまま自分に返ってくる。

 自分は話し合いの場だからまだよかった、と六は思った。

 きっと荊棘姫と戦えば、荊棘姫を倒そうとする自身の殺気によって彼女の敵は倒れるのだろう。

「ほう、小哪吒にそこまで言わせるほどの技量か」

「恐らくは人外の者さえ通わぬ山中にただ一人身を置いて孤を貫き、自分の気を山川と同化させ、どこまでも無我に無我に、と近づけたのでしょう」

 荊棘姫の技を六はそのように推量した。

 無我故に荊棘姫は相手の気を返し、心中に抱えた弱みを見抜くのだろう。自分の情念の在り処も一瞬で見抜かれた。

「しかし、それほどの腕前の荊棘姫でも、自分は太號君に及ばないと言っていたわ。全く震えてくるよ」

「武者震いですか」

「だといいけど。けど、さしあたっては太號君より黒風だ。さあ帰ろう」



 黒風の地を後にした六たちは霊狐に復命し、その場で六は強く主張した。

「私の見るところ、黒風の軍には三欠三短があります。よってただちに出陣するべきです」

 六が言うには、相手に三つの欠点と三つの短所があるということである。

「黒風軍の三欠三短とはなにか、明らかにしてもらえるかな、六殿」

「一つ、黒風方には人材がおらず、足元しか指揮できない。一つ、太號君を背に抱え、勁兵たる荊棘兵を動かせない。一つ、上意と下意の思惑が違う。これが三欠」

 さらに六は続ける。

「三短とは、我らと比べ偵探を怠っていること。我らと比べ魯鈍であること。我らと比べ秘密を守れぬこと。この三つです」

 六は霊狐と廷臣たちの前で、それぞれをさらに詳しく懇々と説いた。


 黒風は足元しか指揮できないというのは陣の在り様で分かる。

 初め牙奉山を通ったとき、周囲は整然としていて威容があった。しかし本陣である陀熊山は兵は弛んでいた。

 帰りでは逆に陀熊山に妖気が立ち、牙奉山には惰気があった。黒風の所在によって露骨に兵の態度が変わる。

 これは兵を纏められるのが、黒風しかいないことを示している。


 荊棘兵が太號君への備えに当たっていて、こちらの前線から遠い所にいる。これは彭幹と四聴が確認済みである。

 霊狐など片手間で勝てると思われているらしい。その侮りを衝けるだけ衝くべきである。


 黒風の領地に住む妖怪たちと幾つか言葉を交わしたが、これから戦うのに彼らには全く覇気がない。

 やりたいなら黒風一人で戦えばいい、とでも言わんばかりの態度だった。

 黒風の苛政がここに来て響いている。手下の心が離れ、首領である黒風のために戦うという気持ちが希薄である。兵が弱兵となる兆候だ。


 偵探について言えば、霊狐公と蓮香は常に内外に目を光らせている。

 僅かな綻びで一挙に邦を失うという必死さがそうさせている。

 それゆえ六と洪宣が自領に迷い込んだ際、電光の素早さでそのことを察知して二人を迎えたのだ。

 ところが三人が堂々と黒風方の領地を渡っても、偵探の気配すらなかった。

 恐らく六と荊棘姫が面会したことどころか、小哪吒が霊狐についていることさえ、黒風は知らないのではないか。


 さらに魯鈍さ。こちらと戦う構えを見せているのに、決断が遅い。不可解なほど遅い。

 これは推量するしかないが、恐らく黒風は戦わずにこちらが降ると思っているのではないか。

 だから頻繁に威圧はしても、実際にこちらを侵すことはしない。

 黒風が太號君と戦う()を描いているとすれば、霊狐方の兵も将来的な手駒として考えてもおかしくない。

 三ヵ月前、いや一ヵ月前に戦っていたら勝敗は分からなかった。だが、そうしなかった。

 機を逃さず早く攻めろと進言する臣もいないのだろう。

 その間にこちらは着々と準備を進められた。


 そして秘密を守れぬこと。これは黒風方の妖怪と話していてわかる。なぜか彼らは黒風の動向に詳しく、しかもそれを容易に垂れ流す。

 それが黒風の上層部が流した虚言ではなく、事実であることは確認済みである。

 これ以上ないほど、軍機が駄々洩れだった。


「以上です。速やかに吉日を選び出陣を」

「吉日とは占いを行うのか。それはまた古風な」

 古代、出陣の日は亀甲を焼き吉凶を占ったうえで決めていた。それを踏まえての言葉である。

「いえ。黒風は――恐らく規律を正すためでしょうが、頻繁に前線である牙奉山と本拠地である陀熊山を往復しています。黒風が陀熊山に引っ込んだ日が、我らにとって吉日です。あとはそれを探るだけです」

「香よ。その日が分かるか」

「簡単に分かる。今日、黒風がどこに居るのかも分かる。黒風方の妖怪を二、三捕まえて聞けばいい」

 霊狐に問われた蓮香はこともなげに言った。

 六の胸裏に微かな疑問がわく。

 黒風方の内部で不可解な何かが起こっているのは分かるが、どうしてもそれが分らない。

「……あの、そこがどうしても不思議なんだけど、なんで黒風方の妖怪はみんな首領(ボス)の居所を知っているの?」

「そりゃあ向こうの連中はみんな敵より黒風にビビってるからさ。兵士からしたら不意に出くわして雷落とされたらたまらんでしょ。だから、みーんなで黒風を見張って、居場所を把握しあってるの」

「その通り。側近が率先して情報流してますよ」

 蓮香の言葉に、かつて黒風方にいた四聴も頷く。

「ええ……」

 なんだそりゃ、と六は呆れた。

「いやでも、それにしても情報が伝わるのが早すぎると思うんだ」

「鳩だよ」

「は?」

「あいつら鳩飛ばして黒風の位置を伝えてるの」

「……」

 しばらく、六は唖然とした。このことを黒風自身は当然知らないだろう。

 いつの間にか構築された、黒風の居所を教え合うための、鳩を使った情報網――やがて六は手を拍って大笑いした。

「アハ、アハハハハハハハハハハハ! なにそれマジかよ! そんなことの為に伝書鳩飼ってんの!? アハハハハハハハハハハハ!」

 六の笑いが収まるのを待って、霊狐が宣言した。

「佳日をもって出師する――」



 霊狐方の軍一万五千が起った。

 迎え撃つのは黒風方の軍二万二千である。

「報告によれば彼が六、此が四か。寡戦となるが勝てるかな」

 進軍する軍を率いながら、霊狐は左右にいた六に尋ねた。

 六は勝利を疑っていないが、霊狐にはやや不安がある。

「はい。勝てます」

 さらりと六は楽観を見せた。

 戦が始まる前は誰よりも慎重な態度を崩さなかったが、事ここに至っては最も自信があるのが六である。頭に描いた展望には勝利しかない。

「必ずしも衆が寡より勝るとは限りません。往時、殷周がぶつかった際、紂王は七十万余の兵を率い、対する武王は諸侯の軍全ても合わせても四十万しかいませんでした。それでも勝ったのは周の武王です」

「では周が勝った理由をなんと見る、六殿?」

「兵の気概、将の気概その差異です。武王は先王の遺徳もあり、諸侯や兵卒に至るまで必ずや殷を討つという、志の統一がありました。しかし殷はそうではなかったのです。紂王は王室を守ろうと奮戦したのでしょう。ですが、兵にとってそんなものはクソくらえだった。いわば手足と頭が違うことを想っていた。それゆえ殷兵はことごとく周に降り、殷は滅んだのです。今の黒風軍はまさにそれです」

「はっはっは。六殿は若いが故事をよく学んでいるな。心が少し軽くなったわ。では参ろうか、太公望殿」

「御意」

 自信を漲らせつつ六は頷いた。

 とはいえ、いくつかの不安要素は確かにある。

 寡兵であること。

 黒風の影に隠れ、実体の見ない黒風の息子。

 さらに黒風が神智の持ち主であり、こちらはその掌で踊っているだけの可能性ももちろんある。

 どれだけ有利を積み上げても、戦場に絶対はない。


 両軍が激突することになったのは山間の盆地である。

 着陣した霊狐は相手の陣を指し鋭く命じた。

「見よ、敵は陣の構築すら遅い! 行け!」

 号令と共に霊狐の軍が動く。

 鬼雄毅魄(きゆうきはく)――死して鬼となりても雄たらん。魂はなお(つよ)くあらん。

 一兵卒に至るまでそのような覚悟で挑む必死の軍である。

 彼らは霊狐を慕っていた。

 黒風だろうと太號君だろうと、暴君に仕えるなど御免だという思いがある。


 霊狐の軍は弱兵。

 直前までそう侮っていた黒風勢の先鋒は、鋭い槍に穿たれたかのように、一撃で打ち砕かれた。

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