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神怪報冤譚─虎追いの少女─  作者: ミナミ ミツル
第二部 地にはためく紅衣
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第十五回 屠虎の同志、妖狐と結ぶこと

 屠虎の同志たちが拠点を移すための準備を始めると、六も斥候として活動を開始した。

 六と共に山中の踏査をしたものは、六の底なしの体力に唖然とした。

 斥候は三人の組が五組作られ、それぞれの方角に散って地形の調査を始めたが、六は一日のうちその五組全てに顔を出し、進捗を確認するのである。

 翼でも生えているのか、と斥候たちは囁き合った。

 風のように走る山中を駆ける六には、ほとんど誰も付いて行けなかったが、洪宣と劉与は例外だった。

 鍛えられた二人の軽功が、かつての章元に近いレベルまで達していることを示している証拠だろう。

 そのうち、劉与は新たな山塞を作る監督をしていたので、主に洪宣が六と共に斥候の長となっていた。


 数日が過ぎた。

 六が洪宣と共に地形の調査をしていると、こちらを見張る何者かの気配を感じた。

 ――見られている。

 しかし襲ってくる気配はない。

「……洪兄、この辺りの山は静かだな」

「ああ。だが、少し静かすぎる。何か感じたか?」

「だいぶ前から見られている」

「本当か?」

 六は鼻で息を吸い、鼻腔いっぱいに森の芳香を吸い込んだ。

「安心して、殺気は感じないから。遠巻きに眺めてる――おっ」

 二人の目の前に一乗の馬車が現れ、目の前で止まった。

 馬車から降りた男は二人に向って恭しく拱手する。

「小哪吒の李六殿、並びに洪宣殿と拝察する。それがしは桑子明と申す者。我が君が是非ともお二人にお会いしたいと仰せられたので、それがしが迎えに参上しました。突然で申し訳ないが、どうか我が君の招きに応じて貰えないだろうか。勿論後日、日を改めてということでも一向に構いませぬ」

 六は桑と名乗る男を観察した。


 桑からは妖気が感じられない。つまり人間である。

 いかにもな文官という感じの男で、顔はいいが、どこか頼りない雰囲気がした。確かに顔はいいが。

「桑さん、あなたのご主君は誰ですか?」

「白泉洞の主、霊狐公です」

 ほう、向こうから迎えに来たかと、六は僅かに眉を上げた。

「あなたは人間だと思うが、どうしてこんな山奥で妖怪に仕えているのです?」

「それは話せば長くなりますが、奇縁にて、と申しておきましょう。ただし良い縁です。我が君に仕えているのはそれがしの希望であり、誰にも強制されたものではありません。どうか我が君にお会いして下さいませぬか、重ねてお願い申しあげる」

 桑が頓首しようとするのを六は止めた。

 頓首とは、地に額を付ける礼である。

「まあまあ、そんな畏まらず。私も霊狐公にお目にかかりたいと思っていたところです。是非会いましょう」

 六は目でいいよね?と洪宣に尋ねると洪宣も頷いた。

「ではいつが宜しいか?」

「今すぐにでも」

「ではこちらへどうぞ」

 桑が馬車への乗車を促し、二人は車中の人となった。


「おーー。凄い凄い」

 不思議な馬車であった。

 その馬車が行くところ、坂道が平らとなり道を塞ぐ岩や木々の方が馬車を避けていくのである。そのため馬車は道なき山中を軽やかに走行した。

「我が君の秘宝の一つです」

「ではさぞかし珍しいものなんでしょうねえ」

「はっ。十州広しといえど、同じものは二つとありますまい」

「そんなもので出迎えとは。恐縮しますね。それで単刀直入に聞きますが、なんでまた霊狐公は私を召されたのですかね?」

「それは六殿に我が(くに)を救っていただきたいからです」

「どういうことか聞かせて貰えますか」 

「はっ」

 桑は手綱を操りながら諄々と語り出した。


 現在、北方妖界は大部分が太號君の支配下にあり、それに抗しているのは霊狐と黒風の二勢力だけだが、その二勢力は互いに懇意にしているわけではない。

 はっきり言ってしまえば、背後に太號君という強大な敵があるにも関わらず、両勢力は手を携えるどころか敵対している。

 そして日に日に太號君が圧迫が強まっていく中、黒風は一つの()を引いた。

 それは生き残りをかけ、霊狐方の勢力を併呑し太號君へ対抗するという戦略である。

 つまり現在の北方妖界は未曽有の大戦の前夜である。

 明日にでも黒風は霊狐方へと攻め込んで来るかもしれない、さらに太號君がまとめて黒風も霊狐も平らげようとするかもしれない、一触即発な状況だ、と。


「なぜ霊狐公と黒風公は協力しないのです?」

 六は当然の疑問を口にした。

 このような状況で弱小勢力同士が争うのは正気の沙汰ではない。

 虎を前に二匹の鼠が争うようなものである。

 鼠同士の争いに勝ったところで、虎に食われて終わりなのは目に見えている。

 桑は被りを振った。

「我々でもできるならそうしたい。が、黒風は小さな太號君です。あれは他人を従属させることしか知らない。手を結ぶなど不可能です。そもそもこの状況で戦を起こそうとしてるのは黒風だ。ま、そんな男だからこそ太號君にも従わないのですがね……」

「太號君に対抗している勢力を纏め、虎を討つ。見ようによっては、黒風公は私と同じことを考えている」

 六は皮肉を言って天を仰いだ。

 川底で情報を集めていたつもりだったが、霊狐と黒風が争っているとは初耳だ。事態は想像以上に悪い。

 妖怪の勢力を糾合し、太號君を討つという策がいきなり頓挫しそうである。

 こんな状態で戦なんかするな馬鹿!

 と叫びたくなったが、それを堪え第二の疑問を口にした。

「どこで私たちの事を知りましたか。私はここより遥か南の地では多少知られていますが、ここでは無名のはず」

「小哪吒が無名だと!? まさか!」

 桑は信じられないという感じで声を上げた。

「二年前、哭山を血で染めたあなたを知らぬ者はこの界隈にはいませんよ」

「あー……」

 六は力なく嘆じた。

 昔の失態のせいで隠密行動がしにくくなっている。これもまた誤算だった。


 道なき道を馬車が進む。やがてそれは獣道となり、獣道は掃き清められた道となり、入口に厳かな対聯が刻まれた洞窟が現れた。

 その洞窟の入り口には半ば獣の姿をした妖怪たちが整然と並び、その中心には痩身の老貴人が凛として立っている。

 馬車が止まると、その貴人が手ずから六と洪宣の手を引いて、降車する二人を支えた。

 貴人は完全な人間の姿だが、漂う妖気は明らかに人の物ではない。

 その眼は鋭い眼光を覗かせていたが、それは腕力ではなく知恵の深さゆえのものに思われた。

 ほう高風がある、と六は感じた。

「六殿、洪殿、突然の我が招きに応じて下さりありがたい。(われ)はこの地の九山、十七洞、二十泉を治める霊狐と申す者」

 六と洪宣も名乗り拱手した。

「霊狐公自らの出迎え、過分の扱いに痛み入ります」

「ささ、まずは中へ」

 二人は洞窟の中にある宮殿へと案内された。


 握髪吐哺(あくはつとほ)、という言葉がある。

 かつて周の周公旦は賢者の訪問を受けた際、洗髪中なら濡れた髪を握ったまま、食事中なら口に含んでいる物を吐き出してでも、客を待たせることをなく応対したという。

 周公旦の人材獲得にかける熱意から生まれた言葉である。

 霊狐公の態度はまさにそれだな、と六は思った。

 ただ歓待に自惚れている暇はない。

 つまり、それだけ状況が切迫しているということの裏返しである。

 それゆえ霊狐公との会談は率直な意見が交わされた。


「いまの状況は桑が説明した通り。どうか力を貸して欲しい」

「それに答える前にいくつか確認したいことがあります」

「なにかな」

「なぜあなたは太號君に(したが)わぬのですか。黒風から身を守るにはそれが一番手っ取り早いはず」

「腥風にまみれた太號君のやり方は容れがたい。痩せても枯れても(われ)は狐祖師(初めて天に昇り、神になった狐)以来、この地を治めてきた一族の末裔ゆえ、あれに順うことは出来ない相談ですな」

「では黒風に打ち倒したあと、太號君と戦うおつもりか」

「ふふふ、倒したあと、か。黒風など物の数ではないと言いたそうだな、六殿」

「はい。物の数ではありません」

 六は確信に満ちた自信を見せた。


 ――この娘は尊大だろうか。

 胸中で霊狐は静かに自身に問いかけ、六の器量を推し測る。

 霊狐の出した答えは、否、であった。

 六の態度は尊大、ではなく相応である。この娘にとって黒風など物の数ではない。

 六は再度同じ問いを発した。

「もう一度お聞きする。公は本気で太號君と戦うおつもりか」

「無論。(われ)の身が果てようとも、我が祖地での無道は決して許すわけには参りません」

 霊狐は気高さと内に秘めた苛烈さを見せた。

 が、六はあえて突き放すように言った。

「賢明とは言えませんね」

「社稷を守り道義を通すのが狂というならば、(われ)は狂です」

 霊狐はよどみのない澄み切った口調で断言した。

 それに照応し六も即答する。

「ならば我らの敵は同じです。いまより私は公と艱難辛苦を共にすることを誓いましょう」

 狐の怪は安心したように笑貌を見せた。

「ありがとう、六殿」


 会談を終えると、六と洪宣は再びあの不思議な馬車に乗せられ山塞への帰路についた。

 その車中にて六がぼそりと呟く。

「いやぁ勝手に霊狐と同盟結んじゃったけど、彭幹はなんていうかな」

「怒るに決まってるだろ」

「一応、霊狐と屠虎の同志じゃなく、霊狐と私個人の同盟と言ったつもりなんだけど……」

「小賢しい詭弁を弄するな。私も怒るぞ」

「はい……」

 師兄に睨まれ六は少し委縮した。


「なにっ!?」

 報告を受けた彭幹は案の定、慍色を見せた。

「妖怪と手を結ぶかどうかはまだ結論が出ていなかったはず! なぜ勝手なことをした!」

「なぜだと? 彭幹、お前は先日、義に欠け人の道に外れるという理由で、妖怪と手を結ぶのは反対だと言ったではないか」

 声を荒げる彭幹に応じたのは六でなく、洪宣だった。

「それを念頭に考えてみよ。知らぬこととはいえ私たちは無断で霊狐の領地に踏み入った。しかし霊狐はそれを咎めることはせず、それどころか馬車を遣わし、自ら門前で出迎えて私たちの助力を乞うたのだぞ。奴は私たちに対して儀礼を尽くした。それを捨て置くのは義に欠ける行為ではないのか?」

「屁理屈を……手を結んだ相手がどんな奴かも分かっておらぬというのに! もういい!」

 彭幹は吠えるように叫んだ。

 二の句は、勝手にしろ、かな。

 六はそう予想したが、実際の彭幹の言葉は違った。

「お前たちだけに任せてはおけぬ! 以後霊狐と交渉するときは必ず私も連れていけ! いいな!」

 彭幹は砦中に響くような声でそういうと、憤慨しながら二人から遠ざかった。

 ふう、と洪宣は息を吐いた。

「嫌な役をさせてしまった。あいつに感謝しろよ」

「分かっています」

 彭幹の胸中を察した二人はそう囁き合った。

 その真意はこうである。

 例え妖怪であっても、敵を同じくするのならば結ぶという考えは、屠虎の同志の首脳陣の間ではほぼ決定事項である。

 が、生理的にそれを拒否する者もやはり多い。新参の六の献策を容れるという形でそれを実行すれば、彼らの不満はますます膨らむだろう。

 よって彼らの代言者として彭幹は怒ってみせたのだ。

 彭幹は不満を持つ者に寄り添う形で間に入り、双方の緩衝役となるつもりである。

 いずれ正式に屠虎の同志と霊狐は結ぶだろうが、そのときまでに同志の心を落ち着かせる時間を稼ごうとしている。

 六は彭幹の背中に目礼した。

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