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神怪報冤譚─虎追いの少女─  作者: ミナミ ミツル
第一部 小哪吒の李六
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第一回 少女が蛇を屠ること

 ありふれた物語がある。

 恐ろしい怪物が現れ、人々に生け贄を捧げるよう強要する。

 怪物の要求するのは若い娘だ。

 だが怪物が牙を剥き、乙女を食らおうとした時、颯爽と英雄が駆けつける。

 英雄は怪物を倒し、生け贄となるはずだった娘と結ばれ、めでたしめでたし、と物語は締めくくられる。


 しかし、御伽噺は必ずしもそうであるとは限らない。

 乙女を救う英雄が現れない物語もある。


 昔々、あるところに……。



 星空の下でパチパチと篝火の火の粉が舞い、怪物に捧げられた少女を照らした。


 生け贄の娘の名は李(りく)、という。

 六、とは奇妙な名前だが、これを排行という。一種の通称である。

 兄弟や一族の子供を生まれた順番で呼ぶ風習で、本邦において息子に一郎次郎三郎…と名付けることに近いと言えなくもない。

 六には上に五人の姉がいたので、六番目の娘、すなわち「六」が彼女の呼び名となった。


 本名も別にあるが、周囲の人間はみんな彼女を六と呼ぶので、本人さえも本名は覚えていない。

 歳はあと一月(ひとつき)生きることができたならば十二歳である。


 六は五斗樽に腰掛けて足をブラブラさせていたが、たまにフラフラと立ち上がって、草笛を吹いたり、川端に落ちている棒っ切れを拾って振り回したりしていた。

 その様子は女子というよりも腕白な少年のように見える。

 風貌は悪くはないが、仕草は慎ましさに欠け、原石のままの磨かぬ玉といったところ。

 犬のようなまん丸い瞳を持ち、この世界の女の子には珍しい総髪(ポニーテール)をしていて、それが元々ある少年的な雰囲気をさらに増やしていた。

 それでもすらりとした鼻先と桃色の柔らかな唇は、間違いなく女のそれであった。


 闇夜の中で六は無邪気だった。

 ただ一人山中に残されているという状況を理解しているように見えない。

 まるで自分が怪物の生け贄になっていると事実を認識していないように思われた。

 だが、六が自身の運命を知っているかどうかに関わらず、最期の時に向かって時間は刻々と流れていく。

 五斗樽に座った六は近くを流れる川の音を聞き、せせらぎの音に合わせて口笛を吹いた。


 初更(およそ午後七時から九時)の半ば、六は川にさざ波が立つ音を聞いた。

 ざぶんざぶんと、川から這い上がって来たのは蛇である。

 それも長さ八丈余り、胴回りは百年生きた巨木よりも太い、馬鹿げた大きさの大蛇だった。

 毒蛇・蟒蛇取りを生業とする者ですら、蛇の体長が二丈を超えれば恐れて近づかないという。ならば八丈余とはどれほどの大蛇か分かろう。

 この大蛇こそ、近隣の住人はおろか、官の役人にさえ祟りを恐れて震え上がる山の主。

 里長たちの夢に現れ、毎年少女の生け贄を要求する悪しき魔物である。


 大きさを恃みにする蛇は獲物を締め上げて殺すものが多い。が、この大蛇は生け贄相手にそんな面倒なことはせず、ただ大口を開けて少女に迫った。

 雄牛や羆ですら一口で飲み込む大きさの大蛇である。

 十二歳に満たない少女などひとたまりもない。


「しゃあああ!!」

 だが大蛇が目前に迫った時、六は突然雄たけびを上げ、足元に置いていた二振りの剣を手に、飛矢の素早さで大蛇の口に飛び込んだ。


 予想外の動き、そして六の身のこなしの速さに、大蛇は反応できなかった。

 六は牙を避けて自ら蛇の口中に侵入し、二股の蛇舌を踏みつけながら、手にした剣を大蛇の上顎から脳に向けて突き刺す。

 ずぶずぶと、剣は根元まで深々と突き刺さった。

 剣や弓矢を弾く強固な鱗も、口中には存在しない。


「ジャァァァァァッ!」

 大蛇が痛みに身をよじった隙に、六は剣を残したまま口の中から這い出ると、そのまま逃げる――のではなく、さらに蛇の頭部へと登った。

「せいっ!」

 スイカのような大蛇の眼がぎろりと少女を睨んだが、六は迷わず二本目の剣を大蛇の眼に突き立てる。

 大蛇の目玉に剣を突き刺すと、ようやく六は蛇から飛びのいて背中を見せた。

「シィァァァァァァッ」

 痛みと屈辱を受けた大蛇の怒りは凄まじく、狂ったように身をくねらせたかと思うと、逃げる少女に向かって猛然と向かっていく。


 しかし、追われる少女の胸中に恐怖などなく、むしろ胸は高鳴り、誇らしさでいっぱいだった。

 ――これこそ孝であり義だ。

 と、六は確信している

 六の家は女ばかり生まれて、家業を継ぐものはいない。総領となって婿を貰う一人を除けば、姉妹はみな家を出て嫁に行く定めだ。

 それでも嫁の貰い手がいるならいいが、末妹の六は編み物も針仕事も料理もできない。

 しまいには年の近い男子どもを片端から泣かして回り、ガキ大将に納まっている始末。

 父親にとって不安しかない娘だった。


 そのことは六自身も薄々感づいていた。

 漠然と自分の前途に不安を感じたその時、六は偶然にも自分の住む村は毎年生贄を捧げ、怪物を静めていることを知った。

 何食わぬ顔して暮らしている大人たちが、実は金で買ってきた女子を怪物に食わせている……そんなことをしていると知って六は怒りを覚えた。

 同時に、これこそ自分の為すべきことだと思った。

 自分が生贄になろう。

 怪物を倒せば皆が喜ぶ。

 家の手伝いもまともにできない自分も、人の役に立つというものだ。

 万が一失敗して食われても一年は皆が安心して暮らせる。

 食いぶちが減って父の頭痛の種も一つなくなる。

 いいことずくめだ。

 そう思って六は自ら生贄に手を挙げた。

 無論両親からは激しく反対されたが、ダメならダメで勝手に行くと言い張り、意見を押し通したのだ。


 六の動きはまるで野生の猿のように身軽でしなやかだった。

 自分を捕まえて締め上げようとする大蛇の蛇体を、宙返りなんぞしながらクルクルとかわす。

 大蛇の怒りを呼ぶその軽業は、六にとっては派手な親孝行のつもりだった。


 六はやみくもに逃げていたわけではなかった。

 先ほどまで自分が座っていた五斗樽まで辿り着くと、それをひょいと持ち上げて大蛇に向き直る。

 なみなみと中身の詰まった樽は、六自身よりも重い。

 だが怪力の少女にとっては小石同然の重さにしか感じられず、向かってくる大蛇の顔面に思いきりそれを投げつけた。

 大蛇の鼻先にぶつかった樽は、勢いよく割れて中身をぶちまける。

 五斗樽の中身は、油と松脂の混合物だ。

 ベトベトした粘着性の油を大蛇の顔面に浴びせると、次に六は篝火台の脚を握り、今度は台座ごと篝火を大蛇に投げつける。

 ボウッ、と瞬く間に油に火が付き、大蛇の顔面は炎に包まれた。


「シィィィィィィィィィッ!」

 鋭い悲鳴を上げ、大蛇は巨体を鞭のように震わせながらのたうちまわり、炎を消そうともがいた。

 しかし顔にべっとりと付いた油によって、煌々と燃える炎の勢いはまるで収まることを知らない。

 たった五斗の油では八丈もの長大な体を焼くには足りないが、蛇の頭を燃やすだけなら十分な量である。


 二か所に突き刺さった剣の痛みと、顔を包み込む炎によって、視力も嗅覚も奪われた大蛇は川に戻ることもできず、何度も身をよじる。

 生命力の強い蛇らしく、顔を焼かれながら長くもがいていたが、窒息したのかついに脳が焼けたのか、やがて大蛇の動きも弱々しくなっていく。

 その時、六の頭に大蛇の声が聞こえた。

 声帯を震わせて発した声ではない。長い年月を経て会得した、何かしらの妖術による声だ。

「おのれ、おのれーっ! 貴様これで終わりと思うなっ! この恨みは必ず晴らしてやる!」


 大蛇の脅しに六は不思議そうに首を傾げた。

「それは本気で言ってるの?」

 蛇の顔は焼け爛れ、両目は白く濁り、ところどころ鱗がはげ落ちて、肉が露出しているという凄まじいものだったが、六は怯まない。

 それどころか不満な様子を見せた。


「人を喰らうことはともかく、身一つで生きるお前の強さだけは尊敬してたのに、その言葉で少し失望したわ」

「なんだと!?」

「じゃあ……なんて言ってあたしを祟る気なの?」

「なに」

「“自分に捧げられた、人間の幼虫一匹にボコボコにされて殺されたのが悔しくて祟ります”って言う気なの? そりゃまた、山の主に相応しい立派な口上ね」

「……!」

 六の皮肉は大蛇の心を抉った。

 一瞬焼け爛れる痛みさえ忘れたほどだった。

 大蛇は鎌首をもたげたままピクリとも動かなくなった。


 長い沈黙の末、大蛇は一言だけ答える。

「……小娘が……」

 蛇は執念深いと言うが、山の主たる大蛇は恥というものを知っていたらしい。

 そのまま巨大な大蛇は息絶えた。



 大蛇の死を確認すると、六は山を下りて里へと戻って行った。

 家へ辿り着くころには、すっかり夜が明け、空はもう青くなっている。

 すると自分の家の門の辺りで、何やらやたらと人が出入りしてるのが目に入る。

 何かあったのか?

 目を凝らすと門の前に旗が立っている。

 読めない字が多いが旗には李寄(りき)という文字があった。


 これは見覚えがある漢字だ。確か人の名前のはず。

「……」

 誰だっけ李寄(りき)って?

 うーん大姉か二姉のことか?

 じゃあ里帰りしに来たのか?

 それにしては大げさな。


 状況から六は多分嫁に出た長女か次姉が帰省してるのだろうと考えた。

 だがその考えを脇に避け、面倒を避けるため裏口から家に入り、そして静かな部屋を選び、ごろんと横になると、すぐにグーグーと寝息を立てた。

 大蛇と戦って、さらに夜通し歩いていい加減疲れていたし、こういう大人たちのやり取りは子供(じぶん)には無関係なのが常だからである。


「きゃあああああああああ!!」

 李家の(やしき)に絹を裂いたような悲鳴が響いた。

 悲鳴の主は李家の四女・李瑳(りさ)である。

 その声に六もびっくりして目を覚ますと、目の前には姉が腰を抜かしてなにか口走っている。

「ゆ……冤鬼(ゆうれい)冤鬼(ゆうれい)……!」

「四姉よく見て。あたし生きてるわ」

 そうこうしていると家中の者が駆けつけて来た。

 六の姿を見て皆が絶句しする。

 死んだものだと思われていたものがひょっこり出てきたのだから当然である。

 六が見た門口で見たのは自分の葬式の準備だったのだ。


「り……六……お前生きてたのか!」

 六の父、李良は確かめるように言った。

「まあね。これからもお小遣いは紙銭じゃなくて普通のお金でちょうだい」

 普段と変わらぬ生意気な口ぶりを聞いて、六の母がわっと泣く。

「ううっ。本当に六なんだね。山に行くことを思い直してくれてよかった。本当に」

「いや。それは行ったよ。蟒蛇も退治したし。嘘だと思うなら人を()って見に行かせたらいい」


 六がそう言うものだから、李良は葬式の手伝いに来ていた若衆二人に蛇の死体を確認して来いと走らせた。

 その間に周りの者は六にあれやこれや問い詰める。

 六の顔に『うんざり』という文字が浮かんだ頃、走らせた男たちが帰ってきた。

「大蛇は確かに死んでいた。六の言う通りの姿で……」

 と、二人は証拠として剥ぎ取った大蛇の鱗を一同の前に出したものだから騒ぎはいよいよ大きくなり、里中が騒然とした。

 もう犠牲者が出ないという安堵。なにより恥ずべき因習を終わらせたという事で六は大いに称賛された。

 もはや誰も邪悪な大蛇に悩まされることはないのだ。

 その後、六を称える歌などが出来たりして、「そんなに出来た娘なら、六をウチで嫁に貰いたい」と富者が声が挙げ、村を救った英雄は金持ちの嫁として末永く幸せに暮らした。


 ――となればめでたしめでたしだが、確認された大蛇の死骸と、後に村に運ばれた大蛇の頭骨はあまりにも巨大だった。

 六はこれを殺したのか、とそれを見た若衆は全員金玉が縮みあがった(ドン引き)した。

 改めてその頭骨を見た六が漏らした一言も、若衆は聞き逃さなかった。

「いままで犠牲になった子が可哀想だ。きっと諦めず工夫して戦えば殺されずに済んだのに」

 そんなわけはない。

 行いは称賛はされたが、結局嫁の貰い手は現れなかった。

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