面影(趙雲の恋?)
「おおっ~雪か・・・辺り一面、雪だわい・・・」
とある、新野の城の朝、簡雍は城の中から目を見張った。
一晩で降り積もった雪。雪。雪。
辺り一面、雪だらけ。
よたよたと、歩きながら、主君、劉備の寝室をめざす。
劉備が例え、奥方と寝てようとなんのその。
どかどかと上がり込む無神経さは簡雍ならではのもので。
「我が君っ。」
その日の劉備は酒に酔ってそのまま寝たのか。
床にごろんと横になって一人で寝ていた。
身体には女物の着物が数枚、かけられている。
「我が君、雪ですぞ。起きてくだされ。」
「ううううん。うるさいぞ。憲和。何事だっ。わしは頭が痛くてなぁ。」
「雪ですって。雪。」
「子供みたいに、はしゃぐでは無いわ。」
劉備は頭を押さえて、起き上がった。
「雪がどうした。わしは一気に起きる気が無くなったわ。もう一眠りする。」
「我が君。皆、下で待っておりまするぞ。」
「こんな日は、好きにしていて良いわ。」
劉備はそう言うと、再び眠り込んでしまった。
簡雍は劉備らしいわと思って、部屋を後にして、下に下りていく。
下には関羽、張飛、趙雲、孫乾、麋竺が集まっていた。
「てな訳で、今日は好きにしていて良いそうだ。」
簡雍の言葉に、張飛も、
「確かにこんな雪の日はやることもねえしな。酒でもかっくらって寝ている
方が利口か。」
関羽はそんな張飛に、
「ふん。それだから困るわ。いざという時の為に、鍛錬をかかさずに。
このような雪の日だから鍛錬には持って来いなのではないか。」
「鍛錬かっ・・・よっしゃ。雪の中。暴れまくるかっ。」
張飛は関羽と共に、外へ駆け出して行った。
孫乾と麋竺はそんな様子をあきれたように見つめながら、
「我々は読み物でも致しましょうか。」
「そうですな。」
そういいながら、広間を出て行く。
残された趙雲はぼんやりと庭をながめていた。
簡雍は趙雲に向かって、
「貴殿はどうするつもりだ。今日は。」
「私は・・・別に・・・」
趙雲に対して、暗い男だというイメージが簡雍にはあった。
子供に対する面倒見はとてもよい。
現に劉備の二人の娘達にはとても好かれている。
だが、普段の彼は口数も少なく、自分の意見を述べることもめったにしない。
「わしと共に飲むか?」
「私は酒はたしなまない。それは良く存知ておろう。」
「たまには良いではないか。さあ。」
簡雍は趙雲を自分の部屋に連れて行くと、酒を勧めた。
一杯、二杯、三杯。
次々と杯を重ねて行く。
酒をたしなまない。と言い切った割には、
趙雲は平然とつがれる酒を空にしていった。
「けっこう強いではないか。お主。」
「私は酒は強くはありませぬ。」
「その割には、平然と飲んでいるように見えるが。」
「所で憲和殿。貴殿は恋をされた事はおありかな。」
簡雍は驚いた。
無口な趙雲からそのような話が出るとは思いもしなかったからだ。
「恋とは又、可愛い事を言う。女なんぞは、抱いて楽しむもの。
その中で気に入ったもんがあれば妻にすれば良し。
子竜殿は純情であらせられるな。」
趙雲は真面目な顔をして、
「私は女に惹かれた事は無いのです。常に天下の事、民の事を思っておりましたから。
今とて、たとえ好きな女子が出来たとしても、いつ曹操に攻められるか解らない身
では、娶る事も出来ませんし・・・」
「ハハハ。貴殿は真面目すぎる。そんな事では一生、妻を娶ることも出来ないのでは
ないか。わしの妻なんぞは肝が座っておってのう。だから今までの苦難も
乗り越える事が出来た。そうじゃ。わしが一緒に女を探してやろうか?」
趙雲は慌てて、
「いえっ・・・私は別に・・・女子など。」
そう言って、頬を染める趙雲に、もしかしたら女に惹かれた事は無いと言っておきながら、
好きな女子でもいるのではないかと、ふと感ぐったりする、簡雍は。
「もしかしたら。好きな女でも・・・」
ばんっと卓を叩いて趙雲は立ち上がった。
「失礼いたしまする。馳走になり申した。」
そう言うと趙雲は部屋を出て行った。
簡雍は笑いながら、
「どうやら、好きな女がいるらしい。あの堅物が惹かれる女とはどんな女だろう?」
その事をその夜、劉備に話すと。
「ほう、子竜の奴が惹かれる女か。」
「ここら辺りは無いですかね。面白いじゃありませんか。」
「これ、面白がるのでは無い。」
そう言う劉備も面白がっているようだ。
ふと、思い当たったのか。
「もしかして、あの女では無いのか?」
「あの女?」
劉備の言葉に首をかしげる。
「ここの城下の酒家の女。」
「まさか。あのじゃじゃ馬ですかな。」
「そのまさかだよ。」
そう言えば、時々趙雲は夜に出かけて行くようなのだ。
それも、どうも決まった酒家に行っているらしい。
劉備と簡雍は顔を見合わせて、
「行ってみるとするか。あそこへ。」
「そうですな。」
二人はこっそりと城を抜け出して、例の酒家に出かける事にした。
降り積もった雪なんぞ、好奇心の前ではなんの障害にもならない。
酒家に着くと、案の定、趙雲が一人、奥の席で食事をしていた。
劉備たちの姿を見てひどく驚いたようで。
「我が君。憲和殿。何故ここに?」
劉備はにっこり笑って、
「たまには外で食事でもと思ってな。」
趙雲はちらりと簡雍を見る。
簡雍はしらんぷりして、目の前の席に劉備と共に座ると、そう、
例のじゃじゃ馬と呼ばれた娘。秋姫が盆を片手にやってきた。
年の頃は17か18位か。顔は人並み。やせぎすで、女らしい魅力なんぞちっとも無い。
「あら、劉将軍さんじゃないの。お久しぶりで。
いいんですかっ?こんなとこに飲みに来て。」
「たまには良いではないか。所で子竜は良く来るのかね。」
「ああ。子竜さんは良く来てくれるわよ。何がいいんだか。こんな店。」
ぽんぽんと歯切れ良く返す秋姫に。劉備は、
(相変わらず面白い女だな・・・ぽんぽんと言いよるわ。)
「で、何か見繕って持って来ましょうか?」
「そうだな。まかせよう。うまいもんでも持って来てくれ。」
趙雲は無言でちびちびと酒をすすっている。
秋姫が姿を奥に消すと、簡雍は、
「あの女子が好きなのかね。子竜殿は。」
「な、何をおっしゃいますかっ。私はっ・・・」
劉備もにっこりと笑って、
「言わなければ相手に伝わらんぞ。わしから言ってやろうか。」
「決してそのような想いは抱いてはおりませぬ。私には構わないで下され。」
劉備も簡雍も、赤くなって否定する趙雲を見て、
(ほほう~。子竜はあの女に惹かれているのだな。)
だなんて納得してしまったりして。
奥から秋姫が出てきて、
「はいっ。お待ちっ。酒と煮込み持ってきたよ。
精がつくからね。たんと食べておくれ。」
劉備が秋姫に、
「うちの子竜はお前さんの事が好きだそうだ。」
「へ????」
秋姫は吹き出して、
「劉将軍、それは違いますよ。このお兄さんはあたしを見て
姉上様を思い出すって・・・まったく姉上様ですってよ。このうら若き。
オトメを捕まえて。とんでもないですよねぇ。」
「あ、姉上様??????」
劉備と簡雍は顔を見合わせた。
趙雲はうつむいて、
「わ、私は姉上を幼い頃に亡くしていて、丁度、秋姫殿を見ていると
亡くなった姉上を思い出して。母もいなかった私にとって。姉上は母の変わり
だったのです。ですから・・・」
劉備はやさしく趙雲に、
「姉上か・・・私にも昔、母がおってな。今は亡くなってしまったが・・・
とても厳しく、良い母だった。秋姫殿に姉君の面影を見ている気持ち解る
気がするぞ。」
「我が君・・・」
趙雲は嬉しそうに劉備を見つめた。
簡雍はぽつりと。
「年の割には純情で・・・どっか変なんじゃ無いのか?」
趙雲はちらりと簡雍を見て、
「何かおっしゃられましたかな。憲和殿。」
「いや、なんでも。独り言で。」
秋姫はけらけら笑って、
「それにあたしは、決まった相手がおりましてね (^^)
この春に嫁ぐ事になっているんですよ~♪」
劉備が、
「そうか・・・それはめでたい。嫁いだら夫婦揃って城に挨拶に来てくれ。
何か贈り物を上げよう。」
「ありがとうございますよ。劉将軍。うれしいですわ。」
その夜、秋姫を交えて劉備たちは楽しく酒を飲み明かした。
そして、帰り道。劉備は趙雲と簡雍にぽつりとつぶやいた。
「この新野もいつまで平和でいられるのだろうか。
曹操が攻めてきたら、わしは・・・」
趙雲が劉備に、
「戦わねばなりますまい。あのような弱き者達を守る為に。」
簡雍が、
「戦うだと?もし劉表が降伏したら・・・曹操軍に太刀打ちできる
兵力は我らには無い。逃げるしか無いのではないのか。」
劉備は黙り込んだ。
逃げる?逃げるとしたらどこへ。そしてどうしたら良いのだ?
趙雲の心は沈んでいた。逃げて・・・逃げて・・・
あのような者達を守ることも出来ずに逃げて・・・
「雲・・・あんた何やっているの?」
「姉上様・・・木に登ったんだけど下りられなくて。どうしよう。」
「自分で登ったんでしょ。男の子なんだから、頑張っておりてごらん。」
どしんと。しりもちをつきながら、地面に転がって泣きじゃくる趙雲に、
「しょうがない子だねぇ。ほら、あたしにおぶさりなさい。」
「姉上様ぁ。」
「泣くんじゃないよ。男の子でしょ。」
そう、秋姫に姉の面影を重ねていたのだ・・・遠い日の姉の背の温かさは今も
忘れられない・・・
懐かしい思い出を思い出させてくれた秋姫・・・
酒家で彼女の姿を見ているだけでも心が癒された日々・・・
暗闇に雪が再び舞い降りてきた。
三人はそれぞれの想いを胸に天を見上げた。
曹操軍が攻めてくるのは。そう遠い日の事ではなかった。