滅びた世界の、片想い。
生憎の雨だった。
朝から勢いが収まらず、窓越しからでも雨音が聴こえる。
病室で迎える雨の日はまた特別な感じがして、ルカはソワソワしていた。
「──貴船さん」
ノックと同時にエリカの声がした。「どうぞ」とルカが促すと入ってきたのはエリカとその旦那だった。初めて見る海都 燈希は落ち着いた雰囲気のある青年で、優しそうな顔立ちをしていた。
「はじめまして、貴船ルカさん。海都燈希です」
「……あ、はじめまして……」
「エリカがお世話になってるみたいで」
「いえいえ、こちらこそ……。こんな格好ですみません……」
「大丈夫ですよ。安静にしてらして下さい」
「あ、りがとう……ございます」
「貴船さん、お見舞い持ってきたよ」
エリカがフルーツバスケットを差し出しながら言った。
「ありがとう。豪華だね」
「フルーツなら食べやすいかなって、燈希くんが……」
「刺された箇所が腹部だと聞いたので」
「まぁ……腹ですね」
「具合はどうですか?」
「薬も効いてるみたいで今は楽です」
「──それにしても、随分とヤンチャなクラスメイトがいるんですね」
「……いやぁ……女子校ですし……?」
あの告白をした後、ルカは刺された。
誰よりもレイアに偏愛を抱いていたミカによって。
近くにあったナイフを手に取り、ふらつきながらもルカに迫って行った。
「ルカ……!」
サイが叫んだ瞬間、ナイフはルカの腹部に侵入し、激痛がルカを襲った。
「何してんだよ!」
すぐにマリがミカを引き離し、解放されたルカは清白家専属の医師に応急処置された。けれど傷が深かったので救急車で病院へと運ばれた。
「あの後、ミカが発狂して色々大変だった」
「……そう。ヒナタには申し訳ないな……」
「清白さん、気にしてなかったよ。大体荒れる予想はあったみたい」
「そうなんだ……」
「ミカは落ち着いたけど、放心状態で帰って行ったよ」
「まぁ……ショックだろうね……」
「貴船さんは悪くないよ。片想いは仕方ない」
「ありがとう、エリカ」
「訴える?ミカのこと」
「……えっ……?そんな大事かな……」
「だって刺されたでしょ?傷害罪に出来るよ」
「いや、でも……」
「貴船さんが良いなら、何も言わない」
「……うん。もう面倒事は厄介だし」
「そっか」
エリカは納得した様子でりんごを剥き始めた。手馴れた手つきに意外性を感じ、ルカは無意識にガン見していた。
「個室って良いですよね」
窓の外を眺めながら燈希が話しかけた。
「あぁ……。訳ありですけど、快適です」
「もしかして、友人関係とか?」
「……南サイって子がお見舞いに来るんで、患者さんの迷惑にならないようにって配慮が……」
「人気エグいですよね。ボクも好きです。この間のドラマも怪演凄かったんで見入っちゃいました」
「実力派俳優の仲間入りですね」
「ルカさんはモデルとか興味無いんですか?」
「あたしは別に……。人間関係得意じゃないんで……」
「まぁ、女子は色々ありますからね」
「ですね。今回みたいな事も起きる訳ですし」
「傷痕は女子にとっては大敵なんでしょう」
「セックスする時とかいちいち説明するの面倒そうだ」
「ちゃんと判断しないと男はつけ上がりますからね。ルカさんも気を付けて下さい」
「……はぁ。ありがとうございます」
「貴船さん。りんご出来た」
「わぉ……!うさぎリンゴ」
まさかエリカがそんな洒落たものを作れるとは思っておらず、ルカは大いに喜んだ。
「──そろそろ帰るね。貴船さん、また来るから」
「うん。今日はありがとね、エリカ。海都くんも」
「燈希で良いですよ。あと、タメ語で全然OKなんで」
「え、良いんですか?」
「ボクは癖でこの話し方なんで。畏まらずに気軽に接して下さると有難いです」
「……解った。なら、遠慮しない」
「ありがとうございます」
無邪気に微笑む青年はとても前科人だとは思えなかった。
「お大事にね」
「うん。2人も気を付けて」
去る2人を見送り、まだ残っていたりんごを食べようとした直後、意外な組み合わせの2人が入ってきた。
「──なんだ。元気じゃん」
「具合どうだ?ルカ」
サイとアカネのツーショットは珍しく、なかなか似合っているなと感心してしまった。
「今は楽だよ。お腹も満たされてきたし」
「飲み物買ってきた。あとおやつ。食べれそうならで良いから」
「うちもお土産」
アカネは紙袋から本や雑誌を取り出した。
「暇かなぁと思ってさ」
「ありがとう、アカネ。身体、大丈夫だった?」
「うん。支障無いって」
「良かった」
「エリカ達も居たんだな」
「入れ違いだったよ」
「そうか」
「ねぇ、ルカ。その傷、痕残るよね?」
「……多分。でも傷痕は小さいし、そんなに気にならない……」
「気にしなよ……」
「見えない所だし……」
「ミカには後でちゃんと謝罪してもらいな。治療費も出してもらいなよ」
「えっ……そこまでは……」
「あいつ、あのままにしといたらタチ悪いよ。今回の件で皆、ミカとは疎遠になったみたいだし。簡単に許しちゃダメだよ」
キツいアカネからの言葉にルカは考えさせられた。
「うちもさ……すぐにレイアの事助ければ良かったのかもしれないんだけど……。死なせてあげたかったんだよね」
静かな声で本音を吐露するアカネにルカもサイも黙って傾聴した。
「あの子が死を望んだなら、本望なのかなって……。死なせたい人を無理矢理蘇生なんてできる訳ないしね」
「……それ、皆の前で言ったの?」
「言わないよ。責められるの分かってるし。2人には話しても大丈夫かなって思ったから」
「そう……」
「ずっとあの日に縛られたままだったんだ。レイアが忘れるなって皆に催眠掛けたみたいな感じ」
「それだけ存在が大きかったってことだろ」
「うん。友達もたくさんいてリア充真っ盛りだったのに、失恋して死んじゃうなんて、あっさりしてるよね」
「潔かったんじゃねぇの?好きな奴に想いが届かないのは、生きていても辛いだけだ」
「レイアの分までたっぷり生きなきゃだね」
「足枷になるだけだろ。時々墓参りに行って愚痴ってやる方があいつも楽しめるだろ」
「さっぱりしてんねぇ、サイは」
「切り替えが早いだけだよ。飲み物買ってくる」
そう言ってサイは病室から出た。
自販機は待ち合い室の所にある。平日だったのでまだそんなに人の姿は無かった。
『サイは、あの子を幸せに出来るんですか?』
ルカとの関係をレイアに気付かれた日、放課後の教室で彼女に問われた。
『出来るよ』
『大した自信ですね』
『お前にルカは無理だ。すぐに別れるよ』
『失礼ですね』
『だってお前、人に頼らねぇだろ。ルカも気を遣う質だから、お互い遠慮し合って本音が言えなくなる。そしたら気まずいだけだ。教室で話してるだけの方がよっぽど楽だと思うよ』
『……まるで見てきたかのような言い方ですね』
『分かるんだよ。お前とルカは合わない』
『……酷い人。でも……貴方ぐらいです。はっきり断言してくれたのは。友達に相談したら揃って、上手くいくって。所詮は他人事だから、いい事を助言するだけなんですよね。その言葉に責任も根拠も無い。だから見守るだけ。私はそうはなりたくない』
『お前はそのままでいろよ。人徳はあるんだから』
『ありがとうございます』
『どんな結果になっても、選んだ道を責める事は出来ない。恋愛だって、死に物狂いなんだよ』
『命懸けで片想いしていた心算です。希望も少しはあった。でも……貴方には敵いませんね』
『レイア……』
『もし、私の恋が滅んだら、無様だと笑ってやって下さい。私は見果てぬ空であの子の恋路を祈っています』
それがレイアとした最期の会話だった。
まさかあっさり死を選ぶとは皆思ってもみない。
「──あ、お帰り」
「ただいま」
戻った時、ルカとアカネは楽しそうに話していた。
恋人が笑っている姿を願うのは当然だ。
「雨凄いねぇ」
止まない外の景色を眺めながらアカネが呟く。
「今日はずっと雨だって言ってたな」
「天気悪いと身体怠いんだよね……」
「アカネ、何で来たの?」
「旦那に送って貰った。車で待ってて貰ってるよ」
「なら、そろそろ戻った方が良いんじゃないか?あまり待たせると悪いだろ」
「そうね……。じゃあ、ルカ。お大事にね」
「アカネ、送ってくる」
「うん。ありがとね」
静寂が訪れるとルカはゆっくりと身体を倒した。
そろそろ薬が切れるかもしれない。
術後の痛みは地味に苦しい。
「レイア……」
もし、彼女と付き合っていたら何も起こらず平和な世界だったかも知れない。今となっては、後悔にしかならないけれど。
『放して下さい……』
泣きそうな声色で少女は小さな抵抗を見せた。けれど、何の効力も成さず男達は付け上がるばかり。
『少しだけだからさ。いいじゃん』
『ちょっと付き合ってくれるだけでいいんだ』
『……嫌……です……』
絡まれてしまったレイアは助けを求める事も出来ず、ただ恐怖に震えていた。通り過ぎる者は見て見ぬふりを貫き、救いは絶望に近かった。
『学校なんか休んじゃいなよ』
『楽しいこと教えてあげるよ』
囁くような声は更に恐怖を助長させる。
『早く連れて行こうぜ』
『泣かれると厄介だしな』
『ほら。歩けよ』
グイッとレイアの腕を引っ張ったのは彼らではなく、見知らぬ少女だった。そのまま何も言わずに男達から引き離され、小さな公園まで来た所で少女はレイアの手を放した。
『あの……ありがとうございました』
『朝から嫌なもん見た……。あいつらくたばればいいのに』
『……助けて頂きありがとうございます。同じ制服という事は貴方も新入生ですか……?』
『そうだよ。遅刻かと思ってダッシュしたらあんた絡まれてるし。大人が助けてやればいいものを見過ごしやがって……』
『すみません……』
『あんたは悪くない。朝から脳みそぶっ飛んでるあいつらが全部悪い。さっさとくたばれ』
『……どうして、助けてくれたんですか?』
『泣いてる子を放って置ける訳ないじゃん……』
その言葉にレイアは嬉しくなり、ようやく笑みを取り戻した。
『私は瀬乃レイアと言います』
『あぁ……あたしは貴船ルカ。まぁ、よろしく?』
『はい!よろしくお願いします』
そう言って微笑んだレイアの笑みがふと蘇る。
忘れていた記憶に今更思いを馳せても彼女は還ってこない。
「今度生まれ変わったら、結ばれる恋をしようか──」
傷痕を押さえながら、ルカは穏やかな笑みを浮かべた。