探り合い
エリカが御手洗に行ったのを、ミカ達は確認していた。気付かれぬ様にその後を追い、御手洗から出てきた彼女を待ち伏せしていた。
「あんた、よくものうのうと出席したよね」
キョトンとしているエリカにミカが睨みつけながら口火を切った。
「……みんな出席って………」
「遠慮とか知らないの?相変わらず馬鹿のままか?」
見下す様な口調でマリが言葉を足していく。
「レイアちゃんの事は好きだったし……」
「うちらだってそうだよ!ちょっと相手して貰った位で親友気取りかよ」
「マジ巫山戯んな。何で此処に居るんだよ。さっさと帰れよ」
「……でも……」
「大人になっても変わんねーな」
「それは……貴方達も同じだと思っ……」
「うるさいんだよ!」
バシッと頬を叩かれ、エリカはふらついた。
「うちらをこんな目に遭わせておいて、いい気なもんだな」
「あんたの所為で人生めちゃくちゃなんだよ!」
どんなに罵声を浴びてもエリカは平然としていた。
「しかもお前、家庭持ってんだって?犯罪者が、普通の人間みたいな事してんじゃねーよ」
「こっちは子どもが出来ない身体にされたんだよ?人の事傷付けておいて何ちゃっかり子ども作ってんのよ」
「ミカなんて自由すら奪われたんだよ。それなのにお前だけ幸せになってんじゃねぇ」
「返してよ!うちの身体返せ!」
眼前にいる人達は何を喚き散らしているのだろうとエリカは不思議でならなかった。
「……これは……所謂、逆恨み……」
「巫山戯んな」
ガンッと今度は拳で頭を殴られ、その拍子で目の前が歪んだ。
「謝ってよ。取り返しのつかない事したんだ。うちらに謝れ」
あれから15年の歳月が経っているというのに、彼女達はいつまで経っても自分達が可哀想だと信じて疑わない。
「何ぼーっとしてんの?さっさと頭下げろよ!」
「ミカ。いいもんあった」
水の入ったバケツを見つけ、マリが持ち上げた。
「勝手にいいの?」
「だって置いてあったんだもん。大丈夫でしょ」
「そう。なら、ぶっ掛けてやって」
「そのつもりだ……」
「──何してんの?」
後ろから冴え渡る声が響き、ミカ達は同時に振り向いた。
ミーハー女子達から解放されたかと一息つく間もなく、サイはタイミングの悪さに溜息をついた。
「お前らまだエリカにちょっかい出してんの?」
「……だ、だって……不便な身体にされたから……」
「謝って貰いたいだけよ」
「一方的に謝罪しろって?種撒いた奴らが何言ってんだ」
「……はぁ?」
「エリカ」
サイは頬を紅く腫らしているエリカに歩み寄り、身体を支えた。
「南さん……」
「口の中切ったか?」
「……大丈夫」
「そうか」
自分達よりもエリカに構うサイに、マリは苛立ち持っていたバケツを形振り構わずサイに浴びせた。
バシャン、と思い切り全身に水を喰らったサイはゆっくりと彼女達に振り返った。
「何してんだほんとに」
冷ややかな声色にマリは背筋が凍った。
「エリカ、行こう」
サイはエリカの手を掴み、そのままキッチン・ダイニングへと戻った。
「……サイ!?どうしたの?」
マキが気付き、その声にみんなも注目した。
「朝シャン?」
「いやいやいや……!何があった」
「……エリカと話してたら、水ぶっかけられたんだよ」
「誰に?」
「あいつら」
後方でぎこちなく固まっていたマリ達は注がれる視線に痛いものを感じていた。
「いい加減、自分達だけ被害者振るのやめたら?」
「もう学生じゃないんだし、子どもかよ」
マキやカノンが彼女達を詰る。今はもうカースト制度は通じない。3人が馬鹿にしていた子達も憐憫な視線を向けていた。
「許せないんだよ!あんだけ傷付けられて、しかも将来に響いたのよ!償って貰うのは当然じゃない!」
叫んだ声は虚空に消えた。味方など居ない。あれは彼女達の自業自得だろうと誰もが呆れている。
「ほんっと馬鹿だねぇ、お前ら。先にちょっかい出しておいて、反撃されたらそうやっていつまでもネチネチ文句言ってんの?滑稽過ぎて嘲罵されてもギャグにしか思えないんだけど」
そう言い放ったのはアカネだった。
「アカネだって見てただけのクセに!」
「それの何がいけないの?エリカは助けてなんて言わなかったし、余計な事したらお前らが消すんだろ?だったら大人しく見てた方が賢明じゃん?それにほら……お前らがエリカにやられた時もみんな見てたじゃん?助けてって泣いてたのにねぇ?あれも喜劇的で面白かったわ」
薄ら笑いを浮かべてスラスラと言葉を連ねるアカネに、隣にいたルカは畏怖を感じた。
「いじめを犯した報復が超ド級だったってだけだろ?人を馬鹿にしてるからそんな目に遭うんだよ。いい経験したね」
バシャンガシャン、と騒がしい音が響いた。
ワイングラスごと投げ付けられ、アカネは胸元に赤ワインを浴び、咄嗟に防御した腕からは紅い雫が垂れていた。
「アカネ!」
ルカはすぐに傍にあったタオルでアカネの身体を拭いた。傷の具合もガラス片が突き刺さっていて痛々しい。
「何してんのよ!」
「こいつが馬鹿にするからだろ!」
攻撃したのはミカだった。怒りに満ちた目は尋常ではない。
「正論言われてキレんなよ」
「どんどん惨めになるよ」
彼女達を責め立てる声が拡がっていく。
「うるさい……!」
睨み付けたマリは、みんなの表情に気付き、言葉を飲み込んだ。冷めた視線と囁き声。最早、憐憫な眼差しではなく、ただの悪者を蔑む様な目が彼女達を捕らえていた。
「救急車……って、あれ……?」
いつの間にか現れた白衣を着た人達がアカネの手当を始めていた。流石はヒナタの家。在住の医者までいるのかと感心が冷めやまない。
「いつまでも我儘が通る時代じゃないんだよ」
透き通った声が3人の意識をサイに向けた。
「謝れって?お前らはエリカに謝罪したかよ。一度でも頭下げたのか?筋も通さないで自分らの都合ばっか押し付けて調子づいてんじゃねぇよ。それは当然の仕打ちだったろ?エリカにした事に比べたら大した事無いだろ?痛みも分からねぇクセに人傷付けて嘲ってんじゃねぇっての」
「……っ、マリが最初に言い出したんだよ!エリカならいじめても誰も助けないだろうって!うちらはそれに乗っただけだ!」
責任回避するような事を言い出したのはミカだ。その発言にマリがイラッとしていた。
「そうだよ……。マリがエリカなんかいじめようって言ったから……」
ミカの発言にケイコも加わった。
「男使い出した時はやり過ぎだって思ったけど、止めたらうちらが犠牲になると思って」
「全部マリが始めた事だよ」
突然の裏切りにマリは茫然自失で何も言い返さなかった。
「乗ったお前らも悪いだろ。エリカの事、愉しそうに踏んづけてた奴が何言ってんだ?」
「……だ、だからそれはマリが……」
「言われて動くのもどうかと思うけどね。マリ一人に押しつけたって罪は変わらないんだよ。エリカを虐めていた事は事実だ。当人に聞けば答えはあっさり出るだろうし」
「懲りない人達だ」
エリカは平然としていてサイの言葉に傾聴している。
「どうすんの?今此処でエリカに頭下げたら、もう今後一切お前らを責めたりしない」
サイが3人に答えを促す。彼女は気まずそうにどうしたらいいのか目で探りあっている。そうまでして謝罪をしたくないのかと周りの者達は無言の圧を掛けていた。
「……ほら、マリ!あんたが頭下げなよ」
「えっ」
「そうだよ。言い出しっぺなんだから」
ケイコが無理矢理マリの腕を掴み、頭を下げさせようとした。
「ちょっ……」
「ほら」
グイッと力強く頭を押され、マリはお辞儀の姿勢になった。
「言いなよ。謝罪」
「……っ、やめろ……!」
マリは力いっぱい抵抗し、ケイコを振り解いた。その勢いが良かったのか、バランスを崩したケイコはそのまま後ろにあったテーブルの台にぶつかった。その拍子で丁度配膳されたばかりのスープが入った汁食缶が倒れ、熱々のスープがケイコの身体に振りかかった。
「……あぁああああ……っ……!」
人間の声とは思えない程の叫喚が響き、ケイコは悶えながら素手で身体を拭く仕草をしていた。薄いドレスな上に生足だったのだからその熱さは尋常では無い。ケイコは泣き出しながら熱い、痛いと叫んでいた。
「はっ……!馬鹿め……。人に責任転嫁するからだ」
マリはケイコを助けるどころか見下し、その無様な姿に笑いを噛み締めている様だった。ミカも手を差し伸べる事無く他人事の様に無関心だった。
「すぐに手当てを……」
「待って」
医者が動こうとしたのをヒナタが止めた。
「過去の行いが祟った末路じゃない?自業自得だよ、ケイコ。セックス出来ない身体なのに余計人に見せられない身体になっちゃったね。そういうのなんて言うか知ってるかな?最近の言葉で、ざまぁって言うんだって。今のお前にはピッタリだよね」
淡々とした声色でエリカが見下していた。ケイコは苦痛に耐えながらエリカを睨んでいる。
「何その顔。気持ち悪い」
向けられた侮蔑的な視線にケイコは恐怖を覚え、大人しくなった。
「レイアちゃんを貶めたのも、貴方の仕業?」
核心的な発言がマリを捕らえた。
「どういう意味?」
マキが訝しげにエリカに聞く。
「あたし、見たよ。レイアちゃんとマリが放課後の教室で話してる所」
「えっ……!」
驚きながらミカがマリを見る。その様子では知らなかったのだろう。
「あの日……忘れ物したから教室に戻ろうとしたら話し声聞こえて。ドアの隙間から見たら2人が話してた」
「……どういうことよ、マリ!レイアに何したのよ!」
ミカが怒り混じりでマリを睨んだ。
「……話してただけだ。まさか死ぬなんて思わなかった……」
「何を話してたの……?言って!」
「……お前のことだよ、ミカ。あんたがレイアに心酔してるから付き合ってやればって言ったんだよ」
「……えっ」
「でも……レイアには他に想い人がいたらしくてさ。それは出来ないって言われた」
「想い人……?」
「好きな奴が居たんだろ?悪かったね、ミカ。勝手な事して」
「……誰?レイアが好きだった人って」
「さぁ?しつこく聞いたけど教えてくれなかった」
「……もしかして……この中にいるんじゃないの?レイアに想われてた人」
同級生を見渡しながらミカは疑いの目で一人一人に視線を向けていった。
「無駄じゃない?名乗り出る訳ないじゃん」
手当てをして貰ったアカネが口を開く。傷はそこまで深いものではなかったらしい。けれど身体に浴びたアルコールが影響の無いものとは言い難かった。
「何か知ってんの?」
「……何も。マトモな事を言っただけだよ」
冷たく言いながらその視線はサイに向いていた。目が合ったサイは意味深な笑みを浮かべた。
「まさか、あんた?」
ミカがエリカを指さしながら睨んだ。
「……レイアちゃんとは、数える位しか話してない。イジメの事もマリ達の事も話題に出なかった」
「じゃあ……何の話してたんだよ」
「好きな人の話。誰かは絶対に言わなかったけど、その人の為に努力してるって言ってた」
「何であんたなんかに相談してんのよ……。腹立つ」
「ミカに言ったら更に嫉妬するかもって。マリに言えば男紹介されるかも知れないからって。ケイコは論外だって」
「だからって、なんであんたなんだよ」
「あたしもレイアちゃんの事好きだよって言ったから。そしたら相談された。あたしの好きは尊敬だから」
「レイアは……その人の為に死んだの?」
「……言っていいのかな」
エリカはサイの顔色を窺いながら呟いた。
「もう全部バラした方が早いな」
何かを決意したみたいにサイが溜息混じりに介入した。
「───レイアが想いを抱いていたのは、ルカだよ」
ずっと、アカネの隣で俯いているルカに皆の注目が一気に集まった。
バラされては話さなければならない。
あの日、何が起きたのか。
ルカは、静かに顔を上げ、ゆっくりと口を開いた。