2 翠の悩み
翠は悩んでいた。
成り行きでディスタージェイドに変身し、女の身体になってしまってから初めての通学の日である。
髪は短く黒く戻したし胸には厳重にタオルを撒いて膨らみを誤魔化した。
ブレザーを上に着ればまあ男じゃないとはわからないだろう。
夏服になったらまた別の方法を考える必要があるが、とりあえず今はぱっと見も男で通用するはずだ。
問題はトイレである。
この身体では立って用を足すわけにもいかない。
かといって個室ばかりを使っていてはあらぬ疑いをかけられる。
中学生の常として、何やら友人たちから良くない噂を立てられる可能性は避けたい。
連れションなんて誘われたらもってのほかである。
なので朝一番で友人たちに会う前、わざわざ一階の職員用トイレを利用することにした。
ここなら個室しかないので誰かに見つかるという失敗もない。
先生に咎められたら限界だったとか何とか言って誤魔化せばいいだろう。
「ふぅ……」
急いでいたために家で用を足してくるのを忘れた時はどうしようかと思ったが、とりあえず最悪の決壊の危機は乗り越えて一安心である。
しかしトイレに行ったり風呂に入ったりするたびに大事な何かを失っている気がする。
自分の体とは言え、もはや女体を見ても何とも感じないのは男子として問題ではないだろうか。
「あ、翠!」
職員用トイレから出たところでいきなり声をかけられた。
振り向くと頼太、楓真、冷二郎のいつもの三人組が仲良く昇降口で上履きに履き替えている。
「どうしたんだよ、今日はいつもより早いじゃないか」
冷二郎が片手をあげて小走りに駆け寄ってくる。
「お、お前らこそ早いじゃんか」
「僕たちはいつも通りだけど」
翠はいつも遅刻ギリギリなのでひとり登校だったが、こいつらいつも連れ立ってこんな早くから学校に来てたのか。
しかも三人揃ってかよ。
人のことをホモ呼ばわりしておいてお前らの方が怪しくないか?
特に冷二郎、お前彼女はどうした。
「それよりも、コラ翠!」
「てっ」
楓真から少し強めに肩を叩かれた。
基礎体力も強化されているので別に痛くはないが、いきなりだったのでちょっとムッとする。
「なんだよ」
「昨日のこと詳しく聞かせてもらうからな! あの外国の女の人といつ知り合ったんだよ!」
「う……」
そういえばこいつら、リシアのことを翠の彼女だと勘違いしているんだった。
冗談じゃない。
彼女どころか知り合って二日しか経っていないし。
むしろ人間としての姿を見たのは翠もあの時が初めてなんだぞ。
それを言ったところでなおさら根掘り葉掘り聞かれるだけだろう。
まさか正体が猫だなんて言っても信じてもらえるわけがない。
「……まあ、ちょっとな」
なので勘違いさせたまま語りたくない風を装い適当に誤魔化すことにした。
「ちょっとってなんだよ、その辺の事を詳しく話せよ。なあ、頼太も気になるよな?」
「ん? お、おう……」
なぜか一人だけ少し離れた場所に立っている頼太は曖昧な返事をしてそっぽを向いた。
時々ちらりと翠に視線を向けては慌てて逸らすのが気持ち悪い。
まさか女だってバレてるのか?
「おらおら、友だちに隠し事はなしだろ!」
「ぐっ」
楓真は右手を翠の首に巻き付けて強引に自分の方に引き寄せる。
「ほっそいなお前、ちゃんと飯食ってんのか?」
「食ってるよ! 離せ!」
力任せに腕を引っぺがして拘束から逃れる。
「うおっ、細いくせに意外と力あるのな」
腕力自慢の楓真はまさか力づくで解かれるとは思ってなかったのか驚いた顔をする。
髪を短くした状態でも翠はチンピラの数人くらいなら軽く倒せる力を持っている。
「いくら友だちだからって言えないことも……」
溜飲も下がったことで少しだけ強気になって言い返そうとするが、その前に少し考えてみる。
いや、まてよ。
むしろこいつらには話しておいた方がいいんじゃないか?
他の二人はともかく、勘の良い冷二郎にいつまでも秘密を隠し続けるのは難しそうだ。
大勢に知られる前に協力してもらってガードを固めるという方法もある。
でなきゃトイレどころか体育の前の着替えも満足にできない。
問題はどこまで話すかだ。
翠は現在も国の特殊部隊であるウォーリアから命を狙われている。
クロスディスターの事を話せばスパイの片棒を担いでいることも説明する必要があるだろう。
一般人のこいつらを巻き込むのは危険だし、最悪密告される恐れもある。
なら核心的な事だけは隠したまま女の身体になってしまったことだけを伝えるか?
リシアにはこの原因不明の奇病のことを相談していた医者てことにすれば疑惑も誤魔化せる。
ちらっ、と頼太がこっちを見たのが見えた。
しかも心なしか頬を赤らめている。
正直ゾッとした。
いや、やっぱりやめておこう!
友人関係が取り返しのつかない形で崩壊する未来しか見えない。
面倒だけどこのまま隠し通すことを翠は選択した。
「……なんでもねえよ」
「なんだそりゃ! おい、ちゃんと言え!」
「うるさい。先に行くぞ」
「かーっ、彼女ができたからって調子に乗りやがって!」
やかましく文句をたれる楓真を無視して翠はさっさと教室に向かった。
と、小走りで隣にやってきた冷二郎が顔をのぞき込んでくる。
「ねえ翠」
「な、なんだよ」
昨日も一番に翠の変化に気付いたのは冷二郎だった。
こいつにだけは特に注意しなければいけない。
翠はあまり注意深く観察されないよう顔を背けるが、
「言いたくないから理由は聞かないけどさ。たとえ女の子になっちゃったとしても、僕たちは翠の友だちだからね」
「ぶっ!」
ズバリと言い当てられた翠は思わず吹き出した。
隣に並ぶ冷二郎の顔を見返すと邪気のない顔で微笑んでいる。
彼女持ちのイケメン特有のキラキラオーラ丸出しである。
勘が良いどころではない。
こいつは確信を持って翠の秘密を見抜いている。
「なんで……?」
「あ、心配しなくていいよ。頼太や楓真は気付いてないから」
「いや、お前は」
「そういうのわかっちゃうんだ。実を言うと僕の彼女も男だし」
おいなんだそれ。
翠も何度か見たことあるが、冷二郎の彼女はボーイッシュだが背も低く肌も綺麗で、大きなポニーテールが特徴のどっから見ても普通に可愛い女の子だったはずだ。
いきなりそんな衝撃的すぎる事実を知らされてどうしろっていうんだ。
「よくわからないけど翠はそれを隠したいんでしょ? だったら僕に協力させてよ。楓真は良いやつだけど口が軽いし、頼太はあんな感じでしょ。今のところは自制が効いてるけど翠が本当に女の子だって気付いたら止まらないかもよ」
恐ろしいことをさらっと言う奴である。
確かにあいつらにはそれぞれ違う意味で秘密を知られたくない。
異様に気の利く冷二郎だけに協力してもらえるのはありがたいことではあった。
「一つ、確認したい」
「なに?」
「お前は……どうなんだ?」
わざと質問の内容をボカしたと言うより、何て聞けば良いのかよくわからなかった。
とにかくこの友人が自分にとって危険な人物かどうかだけが知りたい。
冷二郎はニコリと微笑んで応えた。
「翠は大切な友だちだけど、僕が愛してるのは今の彼女だけだよ」




