5 貧困
二番街と呼ばれる辺りは煉瓦造りの高いビルが建て並ぶ小洒落た雰囲気の一角だった。
目につく文字はすべて日本語で「旅館」や「ホテル」と書かれた看板が多く目につく。
「この辺でいいかな?」
「うん。すごく助かったよ」
瑠那はお礼として少年に万札を握らせた。
東亜連合に属する地域ならすべて日本円が使えるはずだ。
受け取った金を目にしたリュウは目を丸くする。
「兄ちゃん、ひょっとして金持ち?」
「え? そういうわけじゃないけど……」
ウォーリアとして活動する人間は多少の軍資金を渡されている。
協力者への謝礼にするのは間違った使い道ではないとは思うが、瑠那はこの辺りの物価や相場を詳しくを知らなかった。
「正直に言うとチップくらいはもらえるかなって当てにしてたけど、ありがとう。これでしばらく妹たちを飢えさせないで済むよ」
「え……」
「それじゃ兄ちゃん、気をつけてな!」
リュウは丁寧に頭を下げ、渡したお金を握り締めて走り去っていった。
瑠那は彼の残した言葉が気になった。
みすぼらしい見た目から裕福な家の子ではないことはわかる。
だが家族がひもじい思いをするほど貧困な暮らしをしているとは想像していなかった。
「もう少し多めにあげればよかったかな……」
そんな事を考えたが、すでに少年の姿は雑踏に消えている。
瑠那はモヤモヤした気持ちを抱えながら二番街へ立ち入った。
※
キルスの出した条件を満たす宿泊施設を見つけることができた瑠那は駅へ向かって戻っていた。
一泊わずか二〇〇円程度で風呂付きツインルームなら上出来だろう。
どうやらこの町の物価は思ったよりもずっと安いようだ。
「あっ」
通りに出た所で、見覚えのある少年を見かけた。
リュウだ。
さっきとは服装が違う。
頭にはフードを被っているが間違いない。
彼は商店の前で何をするでもなく突っ立っている。
「おーい、リュウ――」
もう一度話したいと思っていた瑠那は近寄って声をかけた。
その時。
「え……?」
リュウは素早く手を伸ばし、商店に陳列してあった缶詰を手に取った。
それを服の中に隠すとあっという間に走り去ってしまう。
商店の主は別の客と話して気付いていない。
泥棒?
まさか、あんな親切な子が……
瑠那はどうしても信じられずに少年を追いかけた。
もしかしたらあれはリュウじゃなかったかもしれない。
けど、どちらにしても盗みなんて絶対に許されないことだ。
責任あるウォーリアとしては犯罪行為は見過ごせない。
場合によっては警察に突き出す必要もある。
瑠那もNDリングによる強化で超人的な身体能力を持つ。
いくらすばしっこいとはいえ、少年を追いかけるのは容易い。
リュウらしき少年は人混みを縫って裏路地に入っていった。
追いかけて角を曲がったがすでに少年の姿はない。
ならば耳をすませて足音を聞く。
いた。
迷路のような裏路地を頻繁に曲がって走る足音。
追われていることを前提にしたような追っ手を撒くための動きだ。
瑠那は付近に人の姿がないことを確認してビルの壁を蹴る。
煉瓦の出っ張りを足場に跳躍をくり返し、瞬く間に三階の高さまで昇った。
そのまま屋上伝いに少年を先回りしようと駆けた。
建物の縁から見下ろすと彼の姿が見える。
瑠那はビルから飛び降りた。
「うわっ!」
いきなり人が目の前に現れたことに驚いた少年は尻餅をついた。
その拍子にフードが脱げて顔が露わになる。
やはり思った通りにリュウだった。
先ほど二番街まで案内してくれた少年である。
「に、兄ちゃん、なんで……」
「どうして盗みなんてしたの?」
キツく咎めるような声で言うと、リュウはとっさにお腹を庇った。
やはりさっきの姿は見間違いではなかったのだ。
「くっ!」
少年は唇を噛んで上目遣いにこちらを睨んだ。
直後、立ち上がって背を向け逃げ出そうとする。
「待ってよ!」
瑠那は三歩で追いついて彼の背中を掴む。
「は、離して! これがないと妹たちが飢え死にするんだ!」
「話は聞くから落ち着いて。さっきお金はあげたのに、なんで――」
リュウは目に涙を溜めながら肩越しに振り返る。
その顔には大きな青アザがあった。
「……お金、誰かに盗られたの?」
リュウはこくりと頷いた。
「悪いことしてるのはわかってるよ。でも、生きていくためには仕方ないんだ」
「きみの家は? どこに住んでるの?」
「家なんてないよ。旧市街の廃墟に……」
「お兄ちゃん!」
幼い声が聞こえて振り向くと、小さな女の子二人がこちらを見ていた。
「メイファ! リー! 来るなっていっただろ! 大丈夫だからあっちに行ってろ!」
どちらも七、八歳くらいだろうか。
二人はリュウの制止を無視してこちらに走り寄る。
そして瑠那の両腕にしがみついて必死の表情で懇願をした。
「おねがいです、お兄ちゃんはわるくないです!」
「私たちがわるいです! おなか空いたって言ったのわたしたち、たいほならわたしたちをして下さい!」
たどたどしい日本語で呼びかける少女たち。
二人とも見ていて可哀想なほどに痩せ細っていた。
掴む腕にもほとんど力は籠もっていない。
彼女たちは一体もう何日まともに食事をしていないのだろう。
それでも兄を助けてもらうよう精いっぱいに呼びかける姿に胸が痛くなる。
「君たちの両親は?」
瑠那はリュウに尋ねる。
「父ちゃんは戦争に行ったきり帰ってこない。母ちゃんはなんとか生活費を稼ごうと朝から夜まで無理して働いて、去年の冬に病気になって死んじゃった。こっちの二人も一緒だ」
「この子たちはきみの本当の妹じゃないの?」
リュウは頷いた。
町の治安が悪いだけではない。
彼らが苦しんでいるのは親を戦争に奪われたからだ。
罪悪感に胸が痛む。
ユーラシア大陸で活動する彼らウォーリアの目的は、この戦争を持続させる為なのだから。
それに、もしかしたら……彼らから親を奪ったのは自分たちかもしれない。
「そっか、わかった」
瑠那はその場に膝立ちになって二人の少女を両腕で抱きかかえた。
なにか勘違いをしたのかリュウが目を見開いて詰め寄ってくる。
「に、兄ちゃん!」
「大丈夫。警察に突き出したりしないよ。リュウもおいで」




