2 再びクリムゾンアゼリアへ
母を取り戻し、親しき友人たちの無事も確認できた。
さらには若い頃に生き別れになっていた父親との望外の再会も果たした。
翠はすべての目的を完遂し、もはや年若い少年が命がけで戦う理由も無くなった。
だから、鎌倉山中での戦いの翌日。
畔木に呼び出された翠は今日を限りに軍から離れて、これ以上の命令は聞かないぞと言ってやるつもりだった。
「オリエンタル同盟の中枢都市が核攻撃を受けた」
「は?」
そんな現実味のない話を聞くまでは。
「正確に言えば従来の核とは別物らしい。攻撃を受けたアルムタドゥーナ共和国の首都は完全消滅。爆心地を中心に数十キロに及ぶ広範囲が衝撃波で破壊され、隣国との国境付近に迫るほどの被害を齎したらしい」
「ちょ、ちょっと待てよ! 一体どこの誰がそんなことをやったってんだ!?」
「紅武凰国に決まっている」
三連合の一角であるオリエンタル同盟。
紅武凰国に反抗する作戦を計画していたらしいが、まさか首都を核攻撃するなんて。
「市民の避難は……」
「完全に無警告な攻撃だった。人的被害も想像を絶するだろう」
「ふざけやがって!」
翠は思わず机を叩きつける。
「攻撃を受けたのはアルムタドゥーナだけじゃない。クリムゾンアゼリアから世界中のあらゆる都市に向けて空弾頭のミサイルが撃ち込まれた」
「空弾頭?」
「着弾しても爆発しないミサイルを撃ち込んだってことだ。被害は建物がいくつか破壊された程度の軽微なものだったらしいが……」
「そのすべてが核ミサイルだった可能性もあるってことか」
翠の隣で黙っていた琥太郎が口を挟み、畔木はそれに首肯する。
「各国に対する脅しだろう。紅武凰国はその気になれは世界のすべてを滅ぼせる。そして近代兵器を持たない国々には、それを防ぐ装備も、報復する手段も持っていない」
「なんでオリエンタル同盟が狙われたんだ? 三連合の中でも距離は一番遠いのに」
「いや、北京とモスクワにも撃たれたぜ」
背後のドアから声がして振り向くと、金髪の男が立っていた。
上海マフィアのボス。
父と一緒に来日したシンクとか言うやつだ。
「何しに来やがった」
「よ、テンマ。一か月ぶりだな」
「は? 昨日会ったばかり……いや、そういうことか」
単独で天使に対抗しうると言われる最強クラスの人間。
陸軍大臣であるテンマと対等に会話していることからも特別な存在であることが伺える。
「モスクワには個人的な知り合いがいるし、北京だとうちにも影響が出る可能性があるからな。爆発前に阻止させてもらった」
「お前……」
「別にわざとオリエンタル同盟を見捨てたわけじゃねえぞ? 最初の爆発があって初めて攻撃に気づいたんだからな」
「ミサイルは破壊したのか。残骸は日本軍に引き渡してもらえるんだろうな」
「いや、作動する直前で止めてあるだけだ。解除した瞬間に爆発する可能性があるから渡せねえよ」
翠には目の前で行われている二人の会話の意味はよくわからない。
だが中東以外にも少なくとも二か所の都市が核で狙われ、それをこの男が防いだということは理解できた。
「時間停止能力の使い手……」
にわかには信じられない話だが、以前に誰かから聞いた話を思い出す。
数多ある固有能力の中でも最強中の最強。
神器と呼ばれる三つの能力のうちの一つで、漫画のラスボスが持っているようなインチキ能力。
それを使えるのがまさに目の前の男だと。
「時間を止めるだけじゃねーけどな」
その男、シンクが翠を見た。
こうしてみると顔立ちは普通の日本人である。
不良っぽくて厳つい感じで、マフィアの人間と言われれば納得もできるという程度だ。
「陸玄やタクトから聞いてるぜ。まだ中学生なのに頑張ってるらしいじゃねーか、変身ヒーローくん」
「核ミサイルから都市を守れるくらい強いのに、あんたは紅武凰国と戦わないのか?」
「悪いな。自分の生活以外は興味ねーんだ」
面と向かって言い合ってもRACは反応してない。
ただし、それはこの男が脅威でないのではなく、敵対する意志が微塵もないからだ。
敵意を込めて睨みつけても柳のように受け流される。
翠はふぅ、とため息を吐いた。
敵でもない相手に緊張していても仕方がない。
「で、陸相さんは俺たちにもう一度クリムゾンアゼリアに行ってこいって言いたいんすか?」
「話が速くて助かる。外交筋からも連絡をとってもらっているが、東京の政治家は何も知らず、塔の中からは何の返答もないらしい。施設の破壊でも責任者の説得でもいいから、二度と無警告で核ミサイルなんて撃てないようにして欲しい。やってくれるか?」
「いや、やるしかないっしょ」
さすがにクロスディスターでも核なんて撃たれた後じゃどうにもならない。
日本軍だってミサイルを撃ち落とすような装備は持っていないはずだ。
「せっかく母さんやダチを取り戻したってのに、全部が台無しになるかもしれないなんて見過ごせるわけねーよ。そこの人が手伝わないってんならオレに任せておけよ」
ほんの少し嫌味を込めてみたが、シンクは特に気にした様子もなく黙っていた。
「琥太郎はどうだ?」
「俺はスイがやるっていうなら全力で手伝うさ」
「へへっ、サンキュな」
無二の友人も迷うことなく賛同してくれる。
翠は親指を立て琥太郎に感謝を示した。
「ならば準備ができ次第すぐに向かってくれ。必要なものがあったら何でも要求してくれて構わん」
「おう、ちょっとみんなに軽く挨拶だけ済ませてくるわ。行こうぜコタ」
「ああ」
「んじゃ、しつれーしまーす」
軽く頭を下げ翠と琥太郎は臨時司令室を退出した。
※
建物を出ると、黒い猫が近寄って来た。
猫は翠の前で足を止めると、見る間に人間の姿に変身する。
翠よりやや年上くらいの褐色肌の少女に。
「お、リシア」
「お前らクリムゾンアゼリアに行くんだな?」
「まーな。詳しくは言えないけど、大変なことが起こってるみたいだ」
核ミサイルのことは一応、軍の人間として伝えられた情報である。
まだ情報を開示していいとは言われていないので黙っておくことにした。
ただの世間話として話しかけてきただけかと思ったが、リシアは意外なことを提案した。
「アタシも連れていけ」
「は? なんで」
「ちょっと事情ができたんだよ。これでも邪魔にはならないはずだ」
クロスディスターの力を翠に与えてくれたのはリシアである。
しかし彼女自身は別に戦う力を持っているわけではない。
猫に変身できるというファンタジーな道具を使うが、それだけだ。
危険な敵地に同行させろと言われても簡単には頷けない。
けれども彼女の顔は真剣で、興味本位で言っているわけではなさそうだ。
「理由を聞いてもいいか」
「知り合いがあの塔にいるらしいんだ」
「クリムゾンアゼリアに?」
「ああ。どうしても会わなくちゃいけない人たちだ」
彼女の言う知り合いというのは日本に来てから出会った人物か。
それとも故郷であるクリスタの知人なのか。
「わかった、いいぜ」
「え、いいのか。そんなあっさり」
「リシアには世話になってるしな。ちょっとした危険からならオレたちが守ってやるよ。その代わり、任務にも協力してくれよ?」
大切な人に会うために無茶をする気持ちは翠にもよくわかる。
それと打算的ではあるが、潜入任務においては猫に変身できるリシアはそこそこ役に立ってくれるかもしれないとも思う。
「……ありがとな」
「困ったときはお互い様だぜ。それで、知り合いってどんな人なんだ?」
リシアはわずかに顔を俯けた後、やや上目遣いで視線を起こし、強い眼差しを翠に向け言った。
「一人はアタシの妹。もう一人は……ディスターリングを作った博士の弟子だ」




