5 狭間の声
アオイと美紗子は一緒に車で移動をしていた。
研究所から管理局へと戻ったアオイは、その後に美紗子を連れて今度は階層内の某役所へと向かっている最中である。
ファームの進捗具合は確認できた。
管理局員としては普段の業務に戻らなくてはいけない。
エネルギー問題以外にもさまざまな雑務を行う彼女たちは暇ではないのだ。
狭い車内に携帯端末の着信音が鳴った。
運転席の美紗子はハンドルを握ったままダッシュボードの上にある端末を左手で取る。
そして画面の表示を見て顔をしかめた。
「うっ……あ、アオイさん、運転中なので代わりに出てもらえますか?」
助手席で外の景色を眺めていたアオイは、彼女の態度で通話をかけて来た相手がわかった。
美紗子が握る携帯端末の画面に目を向けると予想通り『アリス博士』と表示されている。
アオイは画面に指先で触れ、スピーカー通話で着信を受けた。
「忘れ物でもしていたかしら」
『一応、報告しておく』
さっきまで一緒にいたのでわざわざ挨拶などもしない。
世間話をするような間柄でもないので用件だけを手短に聞いた。
『ショウ=リペアが活動を停止した』
「……そう」
『それだけ』
「わざわざありがとう」
短い会話を追えると通話は向こうから切れた。
強めのブレーキがかかり肩にシートベルトが食い込む。
前方の信号は赤だった。
「唐突ですね。何かあったんでしょうか」
「さあね」
美紗子の声色は普段と比べてほんの少し上ずっていた。
あれとは事情が異なるとはいえ、彼女にとっては他人事ではない報告だったのだから当然か。
ショウ=リペア。
かつての最強者のJOY使い、アミティエ第一班班長ショウの複製体。
等外地区の秘密牢に入れておいたそれが機能を停止したと言う。
少し前に東京や大陸に姿を現しては好き勝手に暴れていたショウの姿をした人物を、管理局は星野空人らウォーリアと協力して捕縛した。
彼女たちも捕らえる前は本物だと思い込んでいたが、後になってアリスから驚くべき事実を聞いたのである。
ショウ=リペアは研究所で生み出された。
製作者はアリスであり、作成データも残っている。
その核となるのはショウ本人が所有していたジョイストーン。
いまアオイの隣にいる麻布美紗子……ミサコ=リペアと同様の人造人間である。
彼は実験の最中、意図せぬ事故で暴走し、研究所から逃亡したらしい。
本人は記憶の混乱があり、自身がコピーである自覚を持たなかったそうだ。
人間複製技術の元であるレインシリーズと同様に偽の記憶を埋め込まれており、オリジナル同様に自由な気風を持っていたこともあって、自分の存在に疑問を持つことすらなかったようだ。
本物と同様の記憶と人格を持つショウ=リペアは日本軍と協力関係を結び、クリムゾンアゼリアの外でさんざん暴れてくれた。
一番大きな被害を受けたのは各所で活動していたウォーリアである。
結果的に国内の潜在的敵対組織を弱体化させてくれたのは管理局にとっては好都合であったが、さすがにこれが露見したら大きな問題が生じる。
偽物とはいえ、コアとなっていたジョイストーンはオリジナルが使っていた本物だ。
いずれ安全に取り出す予定で秘密牢に隔離していたのだが、どうやらそれが裏目に出たらしい。
「えっと、回収しなきゃ不味いですよね……?」
「放置はしたくないわね。ただ、≪魔王風神剣≫は≪神鏡翼≫と違ってあくまで単なる強力な武器に過ぎないから、焦って動くほどのことじゃ――」
その時だった。
電源を切っていたはずのカーラジオから唐突なノイズが流れた。
二人の視線がスピーカーに向くと、続けて不明瞭な声が聞こえてくる。
『あっれー、いいのかなー?』
女の声。
どこか幼さを感じさせる、いたずらっぽい少女の声。
「っ!?」
『せっかく私が彼から奪って送ってあげたプレゼントなのに、無駄にされたら悲し』
アオイは反射的に冷気を纏った手のひらをラジオに叩きつけた。
「きゃあっ!?」
手加減なしの≪氷雪の女神≫は車体前方、エンジンから前輪にかけてを一瞬にして凍り付かせる。
美紗子は悲鳴を上げながら必死にブレーキを踏んだが車は減速できない。
しかたなく二人はドアを開けて車から飛び出した。
動力と運転手を失った車はしばらく惰性で走行した後、ガードレールに激突して動かなくなった。
「ちょっとアオイさん!? いきなり何てことするんですか!」
「……悪かったわよ」
幸いにも近くに他の車両がいなかったから良かったが、街中だったら大事故になっていただろう。
それでもアオイは自分の衝動的な行動を後悔はしていない。
あいつの声をあと一秒でも長く聞いていたら、それこそ見える範囲すべてを凍り付かせるほどの怒りを堪えられなくなっていたかもしれないのだから。
「……あの人、いつも唐突に現れますよね」
「怨霊と一緒よ。あの馬鹿女のことなんて気にしても仕方ないわ」
次元の狭間に捕らえられた第三の天使。
実体は未だこちらに戻って来られない代わりに、ありとあらゆる手段で干渉をしてくる。
以前にはテレビの画面に唐突に出てきたこともあって、その時は娯楽室とその周囲の三フロアを極寒地獄に変えてしまった。
「やっぱり、オリエンタル同盟に情報を流してるのってあの人なんでしょうか……?」
「気が変わったわ美紗子。やっぱりジョイストーンを回収しに行きましょう」
「え、アオイさんが直接ですか?」
「貴女も一緒に来るのよ」
「徴税局との会合は」
「後でいいわ」
あの女の手が入ったモノがこの世に存在していることがアオイには許せない。
さほどの脅威ではないが、やはり≪魔王風神剣≫はこの手で砕いてやる。
「わかりましたよ……はあ、また残業確定かあ」
「仕事なんだから文句を言うんじゃないわ」
「待ってください。車を回収するよう業者に……おっと」
美紗子が自分の携帯端末を取り出すと同時に着信音が鳴った。
彼女は一瞬首を傾げた後、通話をオンにして端末を耳に当てる。
「もしもし……ああ、あなたですか。お疲れ様です。え? アオイさんなら一緒ですよ。代わりますか? はあ、報告したいだけ。はい。はい。えっ? わ、わかりました、伝えておきます」
「誰よ」
「春陽さんです」
「……誰?」
「研究所製の変身アイテムのテストをしてくれた人ですよ。受付をやってたのをアオイさんが強引に連れて来たんじゃないですか」
「ああ、魔法少女(笑)」
そういえばジェイドたちがクリムゾンアゼリアに潜入したということは、奴らの始末を命じた魔法少女は任務に失敗したということだ。
まあ別にたいして期待もしていなかったから別に良い。
報告がこれほど遅れたということは、怒られるのを恐れて黙っていたということだろうか?
だとしたら軽くお仕置きが必要である
「謝罪なら反省文四千枚の提出で許してあげるって伝えておいて頂戴」
「彼女、陸夏蓮を発見して追跡していたそうですよ。それで報告が遅れたって言ってました」
「レンを?」
「塔の上空を旋回しながら侵入箇所を探しているそうです」
「そういえば新九郎に動きがあったとエリィが言ってたわね。あのクソガキ、まんまと出し抜かれたみたいね」
レンに関する情報は他のどこからも入ってきていない。
彼女の報告の通りなら立派なお手柄である。
反省文は三千枚で勘弁してやろう。
「目的はファームの調査でしょうか」
「ほんと、次から次へと面倒事が起こるわね」




