2 紅武凰国を支配する者、天使
「よう邪魔するぞ!」
アオイと美紗子が話していると、やかましい音を立ててドアが開いた。
元気な声と共に入って来たのは見た目は小、中学生くらいの少女である。
「いま真面目な話してるんだからちょっと死んでくれないかしら。邪魔だから」
「ちょっとアオイさん!?」
「ははは。相変わらずおまえは怖いもの知らずだな」
アオイの辛辣な対応にも少女はあっけらかんと笑って対応する。
心が広い大物というわけではない。
彼女はアオイなどその気になればどうにでもできる。
基本的に見下しているからこそ、多少の失礼な物言い程度では動じないだけだ。
たったひとりでも地球を滅ぼしうる破壊者と呼ばれる存在。
他者とは隔絶した『この世界の外側の力』をその身に宿す者。
彼女の名は第四天使エリィ。
管理局の名目上のトップである。
「何の用? いつもみたいに部屋でごろ寝しながらアニメでも見ていればいいじゃない」
「研究所が作ってるファームってのに興味があってさ。あたしもそれに関わりたいんだけど」
アオイは露骨に表情を歪めた。
厄介な奴に目をつけられてしまったと思ったからだ。
「悪いけど諦めてもらいたいわ」
「なんでだよ」
「あれは紅武凰国のエネルギー事情に関わるプロジェクトよ。遊び半分で余計な手出しをされたくないの。もし失敗したら大勢の人たちの生活が大変なことになるわ。クリムゾンアゼリアに住む何百万人もの命がかかってるのよ」
「え、別によくないか? それくらい」
「……ちょっと待ってなさい」
コンピューターに向かってキーボードを叩く。
ネット回線につないで検索サイトを開ぐ。
「いきなりなに調べてるんだ?」
「『天使の殺し方』」
「アオイさん!?」
「あははー。そんなの調べなくてもあたしが教えてやるよ。天使の力を上回るエネルギーを叩き込めば存在が耐えられずに消滅する。簡単だろ?」
口で言うのは簡単だが、その莫大なエネルギーを調達する術がない。
かつての核兵器を含むこの地球上にかつて存在したすべての兵器を使っても足りない。
この地球上に生きるすべての人間から取り出した力をSHINEに変えたとしても難しいだろう。
天使の持つ『この世界の外側の力』
それは文字通り常識の範疇にはない、あまりにも莫大すぎるエネルギーなのだ。
十数年前、地球を滅茶苦茶にしたE3ハザードが、たったひとりの天使の手によって起こされたように。
紅武凰国がこの世界で唯一の先進文明国として栄えていられるのも、実はSHINEの独占のためというよりは天使の加護……という名の肩入れのおかげと言った方が正しい。
圧倒的な力による抑圧。
この歪められた世界の頂点に位置する者。
紅武凰国の一等国民ですら天使に生殺与奪を握られているというのが現実だ。
ちなみに天使と言っても別にこいつらはどこぞの宗教で語られる神話の存在ではない。
自分たちでそう名乗っているだけで、かつて最初に『この世界の外側の力』に触れた男から気まぐれで力を与えられた存在だ。
元はただの人間である。
アオイが第四天使に背を向けて奥歯を噛み締めていると、
trrrr...
デスクの上の通話機が鳴った。
無視するアオイに変わって美紗子が受話器を取る。
「はい、こちら管理局局長室……え、あっ、はい。ちょうど今お見えになってますけど」
美紗子は顔を上げて受話器から第四天使の方を見る。
「ん、あたしか?」
「軍からです」
紅武凰国軍が第四天使に直接要件ということは……
「アイシアか」
管理局の名目上のトップが第四天使であるように、他の三大機関もすべて天使が仕切っている。
そして軍を統べる天使はお飾りではなく実際に全権を掌握しているらしい。
第四天使はふわりと浮かび上がって美紗子の横に移動する。
彼女の肩に腕を置いて受話器に顔を近づけた。
「はいはいエリィちゃんですよー。え? あ、そうなの。うん。おっけー。すぐ行くわ」
短いやりとりはすぐに終わった。
美紗子は通話の切れた受話器を元に戻す。
「悪いけどさっきの話はまたあとでな。呼ばれたから行ってくるわ」
「どこに行くのよ」
「とりあえずアイシアのとこ。それからたぶん日本海あたり。シンクが動いたってさ」
「……っ」
他人の口から聞くのは久しぶりである。
その名前を耳にしてアオイは思わず言葉を詰まらせた。
シンクとは荏原新九郎のかつてのあだ名だ。
現在はザオユンと名乗っている上海マフィアの統領。
天使以外で唯一破壊者認定されている紅武凰国最大の脅威である。
「お、昔好きだった男の名前を聞いて動揺しちゃった?」
「死ねクソガキ」
口元に手を当て子どものような揶揄をする第四天使。
アオイは氷のような目で辛辣な言葉を返す。
第四天使は咎めるでもなく笑いながらふよふよと浮かんでドアの方に移動して、
「んじゃ、気が向いたら研究所に行くわ。アーティナにも言っておいてくれよー」
そのまま返事を聞くことなく出て行ってしまった。
厄介者がいなくなった安堵にアオイは深くため息を吐く。
「マジで新九郎に殺されてくれないかしら、あのクソガキ……」
「いやいや、気持ちはわかりますけど自重してくださいよ本当に。万が一にもあの人が本気で怒ったら私たちどころかクリムゾンアゼリアそのものがメチャクチャになるんですよ」
「わかってるわよ」
だからと言ってあんな奴に謙るのはごめんである。
天使は生ける災害とはいえ同様の力を持つ他の天使とのバランスがある。
そう無茶なことは起こさないだろうという打算がアオイにはあった。
特に軍のトップである第二天使アイシアと管理局のトップの第五天使アーティナは比較的性格がまともであり、少なくとも第四天使の気まぐれですべてが破壊されることを許すとは思わない。
それに何より、美紗子は第一天使アヤのお気に入りなのである。
彼女を巻き込む形で暴れるようなことは絶対にあり得ないはずだ。
「ともかく私は研究所に行ってくるわ。留守番を頼んでもいいかしら」
「わかりました。またSHINEが供給停止に陥った時のためにも誰かが残っておいた方がいいでしょうしね」
とか言いつつ美紗子は自分が研究所に行きたくないだけだろう。
仕事はできる女なので彼女が残ってくれるのは助かるので何も言わないが。
「車で行くなら運転手を呼びましょうか」
「必要ないわ。今日は気晴らしも兼ねて自分で運転する」
※
アオイは地下駐車場で手配した車に乗り込んだ。
液体SHINE駆動の砂にふるいをかけるようなエンジン音が響く。
いつもの習慣としてまずは車内に盗聴器の類がないかを確認する。
現状で管理局内部にアオイの腹を探ろうとする人物はいないと思うが、万が一の可能性にも注意を払っておかなければならない。
この慎重さこそが彼女を生身のまま今の地位まで上り詰めさせた秘訣である。
「……危うい所だったわ。偶然とはいえ新九郎に助けられたわね」
第四天使は絶対にファームに関わらせたくない。
知れば興味を持つとわかっていたから今まで教えていなかったのだ。
あのクソガキの耳に入れた奴は後で探し出して、この世界から物理的に追い出してやる。
好き嫌いの問題ではない。
もちろん紅武凰国の民の平和などもどうでもいい。
「ようやく訪れた天使を排除できるかもしれないチャンスなんだもの。絶対に邪魔はさせないわ」
酷薄な笑みを浮かべながら、アオイはアクセルを踏み込み、研究所へと車を走らせた。




