5 春陽 -HARU-
きーん、こーん。
就業のチャイムが鳴ったよ。
「今日も終わったぁ~!」
一日の仕事から解放され、私は思わず大きく伸びをした。
くすくすと後輩の子が隣の席で笑う声が聞こえる。
私は急に恥ずかしくなって急いで席を立った。
「お、お先に失礼しますねっ」
「お疲れ様です、先輩」
受付のブースから出て足早に職員用更衣室に向かう。
L字型に折れた室内の一番奥、自分のロッカーを開けて服を着替える。
紅武凰国管理局職員の制服から通勤用スーツへ。
「受付の大島先輩?」
「えっ」
名前を呼ばれた。
けど振り返っても誰もいない。
「そうそう。あの人っていくつに見える?」
「かなり社歴が長いって言うのは知ってるけど……」
どうやら曲がり角の向こうで誰かが私の話をしているみたい。
「それがああ見えて四十歳過ぎらしいよ」
「マジで!? 若作りにもほどがあるでしょ……」
しかも年齢の話とか、ものすごく気まずい話題をされている。
興味本位であって悪口を言ってる雰囲気ではなさそうだけど。
「それには秘密があってね。あの人って昔……」
「お先に失礼しますっ!」
通勤用スーツに着替え終わった私はわざと大きな声を出して彼女たちの横を通り過ぎた。
大丈夫、外見や年齢のことを言われるのは慣れてるから気にしてないよ。
「お、お疲れ様です、先輩」
「お疲れ様です……」
「うん!」
私のことを話していた二人は聞かれていたことを知って気まずそうに挨拶を返す。
バスに乗った後、あれは逆に咎めてるように受け取られたんじゃないかと思って軽く落ち込んだ。
※
私の名前は大島春陽。
紅武凰国の一等国民で、クリムゾンアゼリアの四十九階層住まい。
お仕事は紅武凰国管理局の受付をやっています。
これでも社会人歴二十数年目のベテランだよ。
年齢は……まあそういうことなんだけど。
「ねえねえ、お嬢さん」
「…………」
「すみません。ちょっといいかしら」
「あっ、はい!」
バス停の近くでおばさんに声をかけられた。
自分が呼ばれていると気づかず無視した形になって申し訳ない。
「なんでしょうか」
「管理局はどうやって行けば良いかご存じかしら」
「はい。それだったらあそこの建物ですよ」
「あらあら私ってば。目の前なのに、ありがとうね」
「いえいえ。お気をつけて」
「就活中の学生さんかい? これあげるから頑張ってね」
「あはは……」
おばさんは私に飴玉を一つ渡すと、にこにこしながら管理局の建物へと向かって行った。
さすがに学生と間違われたのはちょっとショックかも。
スーツ着てるんだけどな。
ともかく私はやってきたバスに乗って自宅マンションへと向かった。
若く見られて何が嫌なのって言う人もいるけど、ぶっちゃけあんまりいいことはない。
仕事では後輩たちから侮られるし、年下のお局様に嫌味は言われるし。
あと男の人にモテるわけでもないし。
これが自分を磨いた努力の結果ならまた違ってくるんだろうけどね。
窓ガラスにうっすらと反射した私の顔は学生時代とほとんど変わっていない。
まるで時が止まったように、あの時からずっと。
※
バス亭四つ分、中心街から出てすぐの高層マンションが私の家。
結構いい物件だけど管理局職員特権でほとんどタダ同然で借りている。
スーツを脱いだらシャワーを浴びて部屋着に着替えてパソコンのスイッチを入れる。
アニメを見たり動画サイトを見たりゲームをしたり掲示板を眺めたりして過ごす。
「っあ!」
とある単語が目に飛び込んできた。
それは何でもない普通の英単語。
日本語で『春』を表す言葉。
私の恥ずかしい過去を思いっきり刺激することば。
「うわあ……」
ブラウザを閉じてしばし頭を抱える。
思い出したくない過去や、ほんの少し甘酸っぱい記憶が蘇る。
もう三十年近く前の話。
私がL.N.T.で生活していた時のこと。
かっこいいと思って『ミス・スプリング』なんて名乗っていたあまりにも恥ずかしい思い出。
「あれからもう三十年近くも経つんだなあ……」
戸棚の上を見ると、そこには古い写真が飾ってある。
L.N.T.で争いが始まって北部住宅街でみんなで暮らしていた時の写真。
今はもういない人、外国で暮らしている人、紅武凰国でえらい役職に就いている人。
そして昔の私の隣には、当時好きだった人。
目を閉じて思い返してみればまるですべてが夢の中の出来事みたい。
L.N.T.
正式名称はラバースニュータウン。
紅武凰国の前身である企業ラバース社が作った街。
そこではJOYやSHIP能力と呼ばれる超能力の研究がされていた。
能力者になった街の若者たちは互いに争うようラバースに仕向けられていた。
大勢の人が死んだし、悲しいことも辛いこともたくさんあった。
あの街で過ごした人はみんなラバースを恨んでいた。
……はずだった。
L.N.T.という街が存在したおかげで残った成果はたくさんある。
EEBC、ウォーリア、そしてSHINE。
あの街があったから今の紅武凰国がある。
L.N.T.の生き残りでテロ組織とかに加入していない人、あの街を運営していた大人たち、そしてあの街で命を落とした学生たちの遺族……そんな人たちが現在は紅武凰国の一等国民としてクリムゾンアゼリアに暮らしている。
私もあの街を生き延びた能力者のひとりだった。
仲間たちと一緒に街を支配する大人や悲しみを拡げる人たちと戦った。
そして、負けた。
みんながやられた後、私は抵抗をあきらめてラバースに降参した。
希少な能力を持っていた私は生かされてしばらくいろんな実験に付き合わされた。
ただしJOYインプラントをしていなかったため、歳を取ったら自然と能力は使えなくなった。
たいして頭もよくないし、大学も出ていない。
そんな私が紅武凰国管理局なんていう超一流の勤め先で働けるのはその時のコネのおかげ。
実験の副作用として身体の成長が止まってしまった以外は特に問題もなく悠々自適な暮らしを送っている。
私はもうあの街であったことへの恨みは残っていない。
思い出せば辛い気持ちになるけど、今さら何かを起こそうなんて情熱もない。
何よりそんなことを考えたとしても実行に移せるような力はひとかけらも残っていないから。
「……寝よ」
もう遊ぶような気分にはなれない。
就寝時間には早いけど、私はパジャマに着替えてベッドの中に潜り込んだ。
変化は何も望まない。
また争うくらいならこのままでいい。
この平和な暮らしが続けば私はそれで満足だから。




