7 一般人
「ただいま帰りました……ん?」
ヒラツカコミューンの三等国民、頼太は自宅に戻るなり奇妙な違和感を覚えた。
普段なら絶えず感じている監視されているような不快な感覚がなくなっている。
そういえば今日の下校時はPDAの女王に注意を受けなかったな……
などと考えたところで、頼太は違和感の正体を知った。
「うわっ!」
PDAの画面から女王が消えている。
何かの拍子にぶつけて壊してしまったのだろうか?
焦った頼太は慌てて部屋奥にある等身大女王人形に端末をセットした。
しかし、女王はうんともすんとも言わない。
普段なら廊下を走るだけでも叱責が跳んでくるのに。
「なんだよ。どうしたんだ?」
三等国民に落とされてからというもの、一挙手一投足を口煩く指導されてきた。
もちろん口答えしても無意味なので普段は黙って言うことを聞いている。
うるさい奴が消えた!
自由になった!
……そんな風に楽天的に考えることはできない。
コミューンの監視の恐ろしさはもう身に染みている。
急に沈黙なんてされても不気味さしか感じられなかった。
ふと、頼太は机の上に一枚のメモが置いてあることに気づく。
「なんだ……?」
明らかに自分が書いたものではない。
何者かが勝手に部屋の中に入ったのだろうか。
訝しく思いながらも頼太はメモを手に取って読んでみた。
曰く。
「このコミューンのローカル女王は消去された。
あなたはすでに自由の身である。
食料が欲しければA地点に行きなさい。
武器を取って支配者と戦いたければB地点に行きなさい。
コミューンから抜け出して自由を手に入れたければC地点に行きなさい。
大陸の三大連合は戦争を終結させた。
紅武凰国に宣戦を布告する日は近い。
まもなくこの地は戦場となるだろう。
隣国日本はいつでも同胞を歓迎する――」
メモを読み終えた頼太は思わず眉をしかめた。
「は、はぁ?」
質の悪いイタズラだと断じたいが、あまりに内容が気がかりだった。
外国が紅武凰国に戦争を仕掛けてくる。
そういう噂を午前中に工場で聞いたばかりである。
もちろん大人たちはそんなことはあり得ないと笑い飛ばしていたが。
そしてどういうわけか、一昨日から食料配給量が急激に少なくなっている。
これも戦争準備のためだと囁く者はいたが、事の真偽はともかく、少なくとも頼太がこの二日間ずっと空腹に耐えているのは事実である。
メモの下部にはヒラツカコミューンの地図が記されている。
A地点は街道沿いの大きな神社。
B地点は旧駅前広場。
そしてC地点は市域北西端の街壁である。
少なくともこの中のいずれかに向かえば何かがわかるのだろうか?
女王がいないのならば日暮れ後に外に出ることを咎められることもないのだろう。
だが、頼太は迷っていた。
「急にそんなこと言われてもな」
このような冒険がどんな結果をもたらすかわからない。
簡単に命を懸けられるほど、この正体不明のメモを信用することはできなかった。
※
「しかし、凄いものだな」
湘南平の小高い丘に潜んだ陸軍特殊部隊クサナギの若い隊員は、双眼鏡でヒラツカコミューンの街並みを眺めながら思わず呟いた。
それを聞いていた他の隊員が食糧庫から奪った携帯食料を齧りながら問いかける。
「あの忍者の少年のことか? 本当にアニメのヒーローみたいだよな」
「いや違う。それも凄いが俺が言っているのは……」
彼が驚嘆しているのは紅武凰国の技術力と支配体制のことだった。
彼は元々この神奈川西湘地区の出身である。
E3ハザード時にはまだ中学生。
電気エネルギー消失の異変と同時に家族ぐるみで親戚を頼って隣県に避難し、それが彼の運命を大きく変えた。
場合によっては今ごろ紅武凰国の民として女王に管理され労働者として暮らしていたかもしれない。
紅武凰国が分離した日本に移ってからの生活は本当に大変だった。
なにせ今まで享受してた機械文明の恩恵が急に受けられなくなった。
食べられるものも極端に減り、時には水で飢えをしのいだ日もあった。
そんな辛苦の日々への恨みから彼は軍に志願したと言っても過言ではない。
軍の調査によって紅武凰国三等国民の生活に関しての情報は知っていた。
古いSF小説さながらの、コンピューターによる完全管理で労働力を搾取されていると。
かつての故郷に住む人々が奴隷のような扱いを受けているのが許せず、今回の任務が決まった時は、やる気と使命感に満ち溢れたまま列車に乗り込んだ。
ところが、現実の紅武凰国は想像と少し違っていた。
人工の灯りに照らされた星空のような夜景。
食料は培養技術によって工場生産され民は決して飢えることがない。
なにより情報攪乱工作のために潜入した工場では普通に市井の人々の笑顔が溢れていた。
完全監視はその通りだ。
しかし、ここには争いも貧困もない。
大人たちの大半はこの現状を受け入れて暮らしている。
もちろん中には不満を持つ者もいるだろう。
しかしコミューン脱出のためC地点に集まった三等国民の少なさが現実を物語っている。
ましてや自発的な反抗組織の設立を期待して武器を集めたB地点を訪れた市民に至っては一〇を下回っていた。
このコミューンに暮らす人々は現状にさほどの不満を持っていない。
多少の自由と引き換えに生存と繁栄が約束された今の生活に。
ならば我々がやっていることに意味はあるのだろうか?
もしかしたら勝手なイデオロギーの押し付けで混沌をもたらしているだけなのでは。
「……いや、なんでもない」
そんなことを考えてしまうが、もちろん口には出さない。
なぜなら彼は任務を忠実に遂行する兵士だから。
※
翠は旧神奈川県内を先行して東に向かっていた。
通り道にウォーリアを見つけては片っ端から暗殺していく。
紅武凰国に潜入してもう一週間になる。
RACがあるためこれまで一度も敵に見つかっていない。
空気中のSHINEをチャージで取り込むから補給も必要としない。
慎重な戦法と遠距離からの攻撃手段を覚えたディスタージェイドはまさしく無敵だった。
別行動をしている琥太郎はコミューン間の壁に抜け穴を作って回り、紅葉は箱根の国境を拠点にしたクサナギの隊員たちと協力して各地のコミューンに混乱を起こしている。
彼らは順調に紅武凰国へダメージを与えていた。
この国に暮らす人たちが自由を取り戻すのも遠くないだろう。
あとはクリムゾンアゼリアに入り込んでSHINEの秘密さえ見つけ出せば――
「っと!」
屋根から屋根へと飛び移っていた時のことだった。
頭上から無数の剣が降り注ぎ、翠の行く手を遮った。
「よく避けたな、ディスタージェイド!」
普段の訓練でRACに頼らない勘と反応を鍛えていなければやられていたかもしれない。
立ち止まって見上げれば、四階建てのビルの上に謎の人影があった。
「現れたな……!」
RACを誤魔化す道具が開発されたという話は聞いている。
このような逆撃の奇襲があることは十分に考えられることであった。
そして翠を知って攻撃を仕掛けてきたということは十分な実力を持った強者だろう。
「九天序列八位、『千剣』のトウヤだ。貴様にはここで死んでもら――」
呑気に自己紹介を聞いてやるつもりはない。
翠は即座に召喚武器を取り出した。
中距離戦闘用のアサルトライフル。
喋っている間に撃ち殺してやる。
しかし。
「っ!」
横からの衝撃が銃身を強く叩く。
続けて別方向からも強烈な殺気を感じた。
何かが地を這ってくる。
翠はとっさにライフルを消した。
代わりにハンドガンを召喚して銃口を向ける。
「ネズミ?」
ただのネズミではない。
三メートル手前から翠の顔めがけて飛び掛かってきた。
ギリギリ噛みつかれる直前でA弾を撃ち込んで動きを止める。
ビルの上のトウヤというウォーリアは笑っていた。
「『ウォーリア殺し』に手加減は無用! 怨敵ディスタージェイドよ! 序列六、七、八位の九天である我ら三人が、ここで貴様を確実に殺す!」




