6 女王の沈黙
スコープの中心に標的の姿を捉える。
わずかに開いた窓。
部屋の中にはターゲット以外の姿はない。
これ以上ない最良のタイミングで翠はライフルの引き金を引いた。
大型のスナイパーライフル。
銃口から飛び出すのは一撃必殺の『C弾』だ。
それは二キロ先で居眠りしていた標的のこめかみに突き刺さる。
着弾と同時に標的の身体は内側から破壊された。
着ていた服、肉片、血の一滴すら残さず消滅する。
暗殺完了。
翠は携帯端末を紅葉に繋いだ。
「オダワラコミューンにいたウォーリアをやったぜ」
『了解した』
短い返事だけですぐに通話を切られた。
相変わらずせっかちな奴だ。
そういう男とわかってるから別に不快にも思わないが。
「さ、次に行くか」
翠は翠ですでに狙撃した名も知らぬウォーリアの顔さえ忘れている。
彼の任務は先行して紅武凰国内を巡り、片っ端からウォーリアを暗殺すること。
相手はこちらの存在を感知することすらなく死んでいくが別に哀れと思う気持ちはない。
「ウォーリアは一人残らずぶっ殺さなきゃな」
琥太郎のように事情があってウォーリアになった人間がいることもわかっている。
だが、それはそれとしてあいつらは翠の……そして世界にとっての敵だ。
個人的恨みだけで戦い続けているわけじゃない。
手加減する気はないから、死にたくなきゃさっさと白旗でも上げるんだな。
※
紅葉の任務は潜入と工作である。
姿を隠して施設へ入り込むのは慣れたもの。
先行して翠がウォーリアを片付けているため見つかる可能性もない。
ここはハコネコミューンの中心である町役場。
ブシーズと東京から派遣された役人たちが詰める施設である。
警備はザルの一言だった。
おそらく侵入者の存在など想定すらされていないのだろう。
ブシーズは拳銃以外の武装はしていないし、RACに感知もされない監視カメラはダミーである。
紅葉はまったく気づかれることなく二階の窓から侵入した。
何の障害もなくコンピューター室に入ることに成功。
軍の訓練で最低限覚えた操作でハコネコミューンのデータを洗い出す。
そのうち市民データに関しては即座に携帯端末で国境ビルに送った。
次に調べるのは銃火器の保管場所と食料配給のための集積所。
武器庫はすぐ近くのブシーズ詰め所の地下にあるようだ。
最後に全てのコンピューターを物理的に破壊し、わざと警報装置を鳴らして外に出た。
「侵入者だ! 誰か来てくれ!」
「なんだと!?」
紅葉は駆けつけるブシーズをやり過ごして窓から建物の外に出る。
そのまま近隣のブシーズ詰め所にある武器庫へと潜入した。
一部は持ち出し、残りは片っ端から破壊しておく。
続いて向かった先は食料集積所。
まずは所内を回って残っている作業員たちを奇襲する。
一人残らず気絶させた後、クサナギの実働部隊に連絡を入れる。
「どこにいる?」
『市役所の傍だ』
「食料集積所の裏手のドアを開けておいた。中は誰も残っていないからすぐに運び出してくれ。武器庫から持ち出した火器も一緒に置いておく」
『了解』
紅葉とは別に動いているクサナギ工作班の隊員たちを呼び寄せて、ここにある食料を持ち出させる。
念のため集積所の入口に潜んで警戒をしておいたが、無事に仲間たちが食料を運び出すまで、新たにやってくる敵は誰もいなかった。
『OKだ。持ちきれなかった分は損壊しておく』
「わかった」
作戦完了の報告を受けた紅葉はその足で次の目的地に向かう。
彼の懐には武器庫から盗みだした爆薬があった。
※
「なあなあ、聞いたか? 例の爆発騒ぎの真相……」
ハコネコミューン内のとある食品プラント工場にて。
「芦ノ湖の近くであった事件だろ。単なるブシーズの管理ミスで、犠牲者は誰もいなかったって聞いたけど」
「それがよ、あれって実は外国から侵入した特殊部隊がやったって噂だぜ。警察署から手榴弾が盗み出されたんだって」
「はあ? さすがにデマだろ、そりゃ」
「俺は反紅武凰国地下組織の仕業だって聞いたけど」
「ありゃもう壊滅したって宣伝されてただろ。外国の工作員だって、絶対」
「3534256! 3534303! 3534360! 作業中の私語は慎みなさい!」
壁面の絵画から流れるローカル女王に叱られた作業員たちは一旦は口を閉じる。
しかし、しばらくするとまた小声で会話を始めた。
「じゃあマジなのか? もうすぐ戦争になるかもしれないって噂は」
「今すぐにってことはないだろうけどなあ」
「巻き込まれたら嫌だな」
「最近、配給が少なくなってるのは戦争準備の影響って聞いたよ」
「おいおい頼むよ、飯くらい満足に食わせてくれよ。俺たちゃこうやって毎日お国のため勤労に努めてんだからよお」
平穏な日々が続くが故に、管理と監視を受け入れていた三等国民たち。
ほんの少しの事件をきっかけに彼らの不安と不満は蓄積していく。
悪い噂を流した何者かはこっそりと工場から姿を消していた。
そして翌日。
集積所の物資が盗み出され、実際にその日の配給が滞ったことが、彼らの不信感を急激に膨張させていく。
※
『警告します! あなたは非常に重大な罪を犯そうとしています!
あなたはコミューンに害なす者として処罰対象になります!
ただちにこの無益な行為を止めるよう強く推奨します!
偉大なる女王に対する反乱は決して許されません!
愚かな己を悔い改めこの場を立ち去りなさい!
直ちに止めなさい! 直ちに止めなさい!』
ローカル女王の機械音声が必死さを感じさせる口調で警告を発し続けている。
人形とお喋りする気などない紅葉はそれを全く相手にしなかった。
紅葉が現在いるのはハコネコミューンの『王宮』と呼ばれる施設。
その実態はローカル女王のAIを管理しているマザーコンピュータールームである。
町の中心から離れた位置にひっそりと建つその施設は、国境にもいなかったような完全武装したブシーズ隊員によって守られていた。
とはいえ紅葉にとっては問題となるほどの警備でもない。
正面口の兵士を奇襲で倒し、音を立てぬよう潜入して一人ずつ片付けていった。
そして辿り着いたのがこのコミューン支配の象徴であるローカル女王の部屋。
紅葉はコンピューター端末から情報班が制作した破壊ウィルスをインストールした。
『了解しました!
要求を聞きましょう!
あなたに利益ある提案です!
コミューン役員に推薦をします!
偉大なる女王の剣たる栄誉を与えます!』
「……後はこれを押せばいいのか?」
ついに命乞いまで始めたローカル女王だが、紅葉は無慈悲にキーを叩いた。
『止めて! やめ……アアアアアアアアア』
画面の中の女王の映像がノイズに乱れる。
合成音声は金属の擦れるような金切り音に変わる。
やがてコミューンの支配者だったものは完全に沈黙した。
町中の至る所にいた女王も、国民ひとりひとりの住居にいた女王もすべて消えたはずだ。
女王という監視システムが消えた今、町を支配するのは武器の多くを失ったブシーズだけである。
「さて、次のコミューンに行くか」
こうして紅葉たちはハコネコミューンを『攻略』した。
ここに住む者がどのような選択をするかは、残った彼ら次第だ。




