8 ザオユンの招待
「は……?」
意味がわからなかった。
まるで夢から急に覚めたよう。
陸玄は確かに上海暗黒街の裏路地にいた。
すぐ傍にはボスの側近である夏蓮と上海の守り竜。
今にも雨が降りだしそうな薄暗い雲の下に立っていたはずだ。
ところが、ここはどこだ?
清華風の金と赤の豪奢な壁面に囲まれた広い部屋。
目の前には大きな机、テーブルクロスの上には暖かな料理。
そして何よりも陸玄は自分でも気づかないうちに椅子に着席していた。
胸元から懐中時計を取り出して確認する。
現在時刻は十二時過ぎ。
正確に何時だったのかはわからないが、少なくとも十二時間近くが経過している。
服の中に隠し持っていた武器もすべて無くなっていた。
「ようこそ秋山陸玄」
「!?」
テーブルの向かいに座る男が声をかけてきた。
理解不能な状況とはいえ陸玄も朦朧とはしていない。
目の前に見知らぬ人物がいたのなら真っ先に反応している。
こいつは間違いなく一瞬前までそこにいなかった。
煙のように突然現れると同時に声をかけてきたのである。
「さすが日本軍の秘密工作員。この状況でも慌てないんだな」
「……それは買いかぶりです」
男の見た目は二十歳前後といった所だろうか?
明らかに染めた感じの茶髪に日本人顔。
喋る言葉も流暢な日本語だ。
「俺に会いたかったって聞いて迎えに行ってやったけど、余計なお世話だったか?」
「貴方がザオユンなのか」
「そうだ」
上海マフィアの統領ザオユン。
日本人としての名前は荏原新九郎。
紅武凰国が最も恐れていると言われる男だ。
言っては悪いがとてもそうは見えない。
悪そうではあるが、どこにでもいる裏社会の人間という感じだ。
上海中が恐れている暗黒街の統領……それ以上でもあってそれ以下でもない。
こいつは迎えに行ったと言った。
つまりこの男が陸玄に何かをしたのだろう。
強制瞬間移動?
あるいは意識を操る能力?
何らかの固有能力が使われたことは間違いない。
今は武器を奪われただけで済んだが、その気になれば奴はいつでもこちらを無力化できる。
数年前ウォーリア相手に手も足も出なかった時とも全く違う得体の知れない恐ろしさを感じた。
「いくつか質問を許してもらえるでしょうか」
「答えられる範囲ならな」
とりあえずは下手に出つつ状況を探るしかない。
彼を味方にできるかどうかは身の安全を確保してからだ。
「まず、ここは一体どこなのでしょう」
「上海で一番の清華料理屋だ。俺の行きつけの店だぜ」
「普段から身を隠している所なのですか」
「違う。外の人間と会う時によく使うってだけだ」
「あれからどれくらい時間が経っていますか?」
「お前がドンリィェンに乗ろうとした時からってことか?」
「はい」
「俺の体感時間で五時間、実際の時間は一分ちょいって所かな」
彼の体感時間。
そして実際の時間。
その言葉が意味するところから彼の能力を推測する。
「……時間停止能力?」
信じられないが、この男は時を止める能力者なのか。
周囲が止まっている中で自分だけが動けるとしたら、まさしく無敵の能力と言える。
陸玄の呟きにザオユンは答えない。
代わりに別の質問を投げかけてみた。
「最後にひとつ。なぜ今になって会っていただけたのでしょうか」
この五か月間、陸玄が彼を探し回っていたことは知っているだろう。
タクトの店に通い続けて、ようやく夏蓮という彼の側近と知り合うことができた。
別に無視し続けることもできたはずだ。
このタイミングで姿を現した理由が何かある。
「ついさっきウルムチで三大連合が和平を結んだ」
「……なんですって!?」
大陸で争い続けている三つの連合国家。
東亜連合、ユーラシア連邦、オリエンタル同盟。
戦場を支配するウォーリアが数を減らしたことで融和ムードが漂っていたのは事実だが、即時和平という話は陸玄の知る限りまだ出ていなかったはずである。
「そんな話は聞いていませんが……」
「つい一時間前のことだからな。今回の会談が決まったのだって三日前のことだ」
陸玄が日本の定期連絡員と最後に会話したのは四日前。
その時点ではまだ和平会談の話自体が無かった。
それにしても展開が急すぎる。
これまで世界大戦というべき規模で争っていた三つの陣営。
それがたった一度の会談で矛を収めて手を取り合ったとは、にわかには信じられない。
「極秘に行われた会談ってことで初回の顔合わせだけの予定だったが、オリエンタル同盟にものすごく口の回る奴がいてな。あれよあれよと終戦協定からの限定軍事同盟まで締結しちまった。東亜連合は内部擦り合わせのため事後承諾って形になったけど、まあ決定が覆されることはないだろうな」
「貴方もその会議に出席していたのですか」
「そんなわけねえだろ。盗み聞きしてただけだ」
とんとん拍子で和平が成ったのは、それだけ紅武凰国に対する恨みが強いということか。
各連合トップ近くの人間ならウォーリアに戦争をコントロールされていたことも知っているだろう。
「そんでまあ、軍事同盟を締結したってことは、近いうちに紅武凰国に対して宣戦布告をするはずだ。すると非常にマズイことになる」
「何がマズイのでしょう」
「このまま戦争になれば三大連合は必ず負ける」
西欧を除いたユーラシア全土に勢力を広げる三大連合が力を合わせれば、史上空前の兵力を投入することができるだろう。
互いに協力し合うことで今までウォーリアが妨害していた次世代兵器の開発も可能になる。
しかしザオユンは負けると言い切った。
「数の優位ではどうにもなりませんか」
「どうにもならないな。技術力の格差は二、三世代じゃ効かないし、何より三大連合は紅武凰国軍の情報を全く持っていない。このまま戦えば相手にすらならないはずだ」
「紅武凰国……軍?」
「紅武凰国の武力はブシーズやウォーリアだけじゃないんだぜ」
日本陸軍に所属している陸玄ですらそんな話は聞いたことがない。
少なくとも日本軍がそんな戦力への対処をしていることは絶対にないはずだ。
東京や三等国民地域にブシーズ以外の軍事施設は存在しないはず。
ということはクリムゾンアゼリアの中にあるのか。
真の首都を守るためだけの軍隊が。
彼は続けて質問に答える。
「招待した理由だが、ぶっちゃけなんとなくだ。お前のことは一応調べさせてもらったが、ただの日本軍の遣いなら無視してた」
「……ぼくは日本軍の命令を受けてあなたを探していたのですが?」
「そういうことにしといてやるよ」
陸玄は目の前の男に底知れぬものを感じた。
こいつはどこまで自分のことを知っている?
いや、すべて知られているとみるべきだ。
その上で見逃されているだけ。
こちらの都合などどうでもいいのだ。
気分次第で自分などどうにでもできる。
生殺与奪は常に握られている。
それだけの実力がある。
「日本軍に力を貸すつもりはない……が、お前個人とは今後も付き合いを続けてやってもいい」
「あなたの役に立つ限りは、ですか」
「別に何かをさせようってわけじゃない。お前はお前で好きに動いてひっかきまわせ。どうせいつまでもそこにいる気はないんだろ?」
「なんのことかわかりません」
気に入らない。
しかし、この男は間違いなく強い。
陸玄にとって必ず必要となる……利用できる人物だ。
「さて、悪いが顔合わせはここまでだ。この後は別の人物と会う約束があるんでな」
「わかりました。忙しい中、ありがとうございます」
「今後は俺に用があればタクトを通してレンに声をかけてくれ。気分次第ではまた会ってやる」
「はい」
陸玄は軽く会釈する
視線を外したのはほんの一瞬だけ。
頭を上げた時、ザオユンの姿は消えていた。
「そうそう。最後に一つだけ教えておいてやる」
声は背後から聞こえた。
振り向くと、陸玄の肩にザオユンの指先が触れる。
「お前が最初に利用しようとしてた自称異世界帰りの男な、偽物だぜ」
※
次の瞬間、陸玄は全く知らない場所にいた。
先ほどまでの豪奢な清華料理屋ではない。
汚れた町並みは上海暗黒街のどこかの裏路地か。
どうやら固有能力で強制的に追い出されたようである。
「あれが、ザオユン……荏原新九郎か」
なるほど紅武凰国が最も恐れる男という話も頷ける。
そんな男が向こうから興味を持ってくれたのは僥倖だった。
一筋縄でいく相手ではない。
少なくとも一方的に利用できる人間ではない。
だがこの出会いは今後の選択の幅を大きく増やすことになるだろう。
相変わらずの綱渡りが続く、それだけの話だ。
とりあえず京都に戻ろう。
今はまだせっかく得た信頼を崩す時ではない。
その後は陸玄も覚悟を決める時だ。
足元を掬われないための力を得るために。
五人目のクロスディスターになる覚悟を。




